3月12日付中日新聞尾張版に、大和西小学校にある浅井星洲筆塚に説明板が設置されたという記事が掲載されました。
浅井星洲は、江戸時代末の画家で、心證寺の創設者、浅井氏の末裔です。
詳しいことは、心證寺ウエブページの「心證寺と苅安賀城」をご覧ください。
その記事に心證寺のことが書かれてあり、何件か問い合わせをいただきました。
今日、大和西小学校を訪ねて、教頭先生のご案内で筆塚の案内板を見せていただきました。
説明文の最後のところ、心證寺について書いてあります。教頭先生にお聞きしたところ、心證寺のウェブページの記述を参考にされたとのこと。
恥ずかしいような、嬉しいような。でも、「この地は、苅安賀の中央に建てられた心證寺境内でした」という部分は、やや正確さを欠くと思い、教頭先生にその旨お伝えしました。
心證寺があった場所は、現在、東海北陸自動車道および西尾張中央道になっています。筆塚も平成10年頃までは、小学校の東門の脇にありました。高速道路の工事にともなって、大和西小学校は、校地の東側を一部削られることになり、講堂や校舎も全部建て替えられました。その際、筆塚も校庭の西側に移転しました。説明板の建っている「この地」は、心證寺の境内であったわけではないのです。
しかし、こんなすばらしい説明板が立てられ、多くの子どもたちが心證寺という寺があるということを知るようになると思うと、いい加減な活動はできないなと気の引き締まる思いです。