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考える英語 (英作で英会話上達!)

身の回りの事から、社会情勢まで、幅広い事柄を、自分の知っている簡単な英語で表現していきます。英会話教室をやっております。

身の丈に合った英語を!英会話上達の秘訣!

2017-09-13 12:18:57 | 英語学習

よく『身の程を知る』という。自分を顧みて己の実力をわきまえる、といったことであるが、英語でも大事な発想である。身の程を知るとは、無理な背伸びをせずに、自分の身の丈にあった努力をすること。英会話で言うと、高尚な英語ではなく、自分の知っている簡単な英語を使うことである。簡単な英語を使うことはわかるのだが、実際どうやって『証人喚問』などの難しい日本語を英語にするか、それが難しいのである。簡単な英語で英会話というのは、別に私の専売特許ではない。昔から言われていることである。昔から言われているのだが、よく巷にあるのが、簡単な英語で簡単な内容を言うといったものである。そんなものは当たり前だろう。簡単なことを簡単な英語で言うのは極めて簡単である。じゃあ簡単な英語で『忖度』やら『証人喚問』やらをどうやって英語にするか。それが本ブログにおいて長らく研究し、追及しているテーマである。

身の程を知るというのは、自分の実力を知ることである。自分の実力を知るというのは、自分の持っている武器を知ることである。自分の体力を知ることである。自分に戦える武器と体力がどの程度あるか見極めることである。私の見たところ、多くの英会話に苦しむ学習者は、身の程を知らずに戦おうとしている。戦うためには自分に合った武器というのが必要なのだ。

 身の程を知る、というと、なんかこう消極的な感じがするが、実は実践的な英会話上達の技術論なのである。孫子の兵法で言うところの、敵を知り己を知らば百戦危うからずである。ということは、己を知らなければ、百戦百敗だということだ。要するに身の程を知れということ。自分の実力をわきまえず、強大な敵に立ち向かえば、間違いなく勝負に負ける。身の程をわきまえていれば、相手が強すぎれば、『三十六計逃げるにしかず』で戦いを避け、他日に期すということにもなるだろう。

身の程を知るとは、英会話においては、身の丈に合った英語を使うということである。基本的な英語を使いこなす術を知ることである。自分の知っている、慣れ親しんだ英語で戦おうとする、いわば覚悟である。自分の武器で戦うという覚悟が、英語の上達をもたらすのである。自分に無いものを求めない。どこまで自分の知っている英語だけで言えるかという挑戦である。

 

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英作と問題意識の関係性

2017-05-14 15:49:16 | 英語学習

 現在の英作テーマは『都政』である。結構前に始めたテーマであるが、今に至るまでまだ続いており、そろそろ終わりにしなければとも思う。今回は『都政』やその他様々な社会問題等のテーマに関して英作を行なうことの意義について考えたい。

豊洲問題やオリンピック予算など、難問山積の様相を呈する都政であるが、英語で『都政』等を考えることの意義は何であろうか。単に『利権』やらの単語を辞書や機械翻訳にかけてわかった気になるのではなく、いちいち考えて本質レベルまで日本語を分析しなおして、その意味を英語に直すことが英作という作業である。

普通は考えることは面倒と思うだろう。みんな機械翻訳に頼る時代だ。しかし機械翻訳に頼ることで、実はすごく損をしている。英語的には、これまで何回も指摘している通り、機械だけあって非常に機械的であり、単なる直訳であり、単語だけを羅列して、総体として意味をなさないことが非常に多い。食べる飲むなどの物理的即物的表現は機械は得意である。しかし比喩的表現などの、文学的表現等は、察するという能力をもつ人間の独壇場であり、機械の出る幕ではない。

自分で考える意義は、もう一つある。表現上のこともさることながら、自分で英語を表現しようとすることで得られることは、問題意識の活性化である。英語で表現しようと英作を行なうことにより、よりその事柄を深く考え、理解しようとする。都政にせよ、国際情勢にせよ、社会問題にせよ、それらの事柄を英語にするにあたり、単純に機械翻訳にかけても、その事柄は自分には縁遠いままである。しかしあえて自分で考えて、間違えてもいいから自分の英語で表現しようとすることで、その事柄が身近になってくる。

中国古典に『近思録(きんしろく)』というものがある。儒学者である朱子という人の書である。かつて日本でも江戸時代に、朱子学は隆盛を極めた徳川幕府の官学である。書名の近思録は論語の『切に問いて近く思う』に由来する。

『近く思う』とは、宙に浮いた議論をせずに、空理空論に堕すことなく、その事柄、問題を自分の事として考えることにより、より実際的に問題にあたる、ということである。

『近く思う』。簡単に思うかもしれないが、これほど難しいことはない。良くも悪くも日本は島国であり、人と人の距離が近いゆえに、かつての日本であれば『近く思う』とは自然であっただろう。しかし戦後、西欧の考え方がどっと流れ込み、これまでの伝統的な東洋の価値観は打ち捨てられ、良く言えば個人主義、悪く言えば利己主義が横行する昨今では、『近く思う』ことは益々難しいこととなってきた。

英語を勉強するとは、単に単語や表現を覚えるだけではない。英語を勉強することで、日本語もしくは日本だけしか知らない環境を脱して、自分と異なる文化、考え方に触れて、多様性を受け入れ、外国の視点から自国の文化、ひいては己を見つめなおすというプロセスである。

英語を通して、外国の文化を学び、遠く離れた場所のことであっても、そこの地域の問題を我が事として考える。外国の問題を通して自国のそして自分の問題を知る。それこそ外国語学習の本来のあるべき道である。

『都政の透明化』やら『利権』やらを機械翻訳にかけて、分かった気になってはならない。単語を移し替えたって、何もその事柄は、わかっていないと知るべきである。あえて機械翻訳に頼らず、和英辞典に頼らず、ネイティブにも頼らず、稚拙でもくちゃくちゃでも、自分の頭と心で考える。英語は結果ではない。あくまでプロセスである。苦労せずして得たものは、すぐに手放すこととなる。自力で考える。その英語は稚拙でもいい。しかしその事柄は考えるたびに身近になり、問題意識がますます高まる。この問題意識の活性化こそ、英語の表現力の向上と同等もしくはそれ以上に価値のあることである。

ある事柄をあえて苦労して英語にすることで、その事柄の問題点が浮き彫りになる。考えることにより、それまで他人事であった事柄が、自分に関わる問題として見るようになる。要するに『当事者意識』が芽生えてくる。簡単な英語で、限定された語彙で考えると、どうしても頭を酷使せざるを得ない。少ない英語で回す必要があるので、その分どうしても、その事柄に関わる色々な人の立場や問題を、さまざまな角度から考察する必要が出てくる。単に機械翻訳に頼っているだけでは、考えないので、到底問題意識も当事者意識も出る余地はない。

 

考えること。

多くの英語学習者が、その面倒さ故に自分で考えることを避けてしまう。

考える人と考えない人。その差は今は小さいかもしれない。しかしその小さな差は、いつかもう埋めることのできない圧倒的な差となり得る可能性を、我々は思うべきであろう。

 

 

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英語学習者の皆さまへ新年のご挨拶(及び『捨てること』に関して)

2017-01-03 02:52:09 | 英語学習

当英作ブログをお読みの皆さま、新年あけましておめでとうございます。

年末には妻と一緒に教室と自宅の大掃除を致しました。おかげですっきりと新年を迎えることができます。

自宅の大掃除の際、かなりの本を処分しました。書棚に収まらず、多くの本が床の上に積んであり本を探す時、はいつくばって探すこともあります。

今回とりあえずかなり本を処分して、床にある本はすべて書棚に収めました。

衣服やその他の物品への執着はそんなにないですが、本の処理には困ります。

要る本、要らぬ本の選別は時間がかかります。色々な事を思い起こしながらの作業です。

作業をしながら、捨てるということが人生においてどういうことを意味するのかを考えさせられました。

捨てること。捨てるということは、過去への執着を捨てること。不用品を捨てる。本を捨てる。それより何より過去への未練、執着、後悔、こだわりを捨て、未来に歩みを進めることが捨てることの本来の意義でしょう。

捨てるということは難しい。

英語では『捨てる』という一言も場面によって色々あります。物を捨てる場合の捨てるは、throw away があります。私は本をたくさん処分したので

・I threw away so many books last year. (昨年本当にたくさんの本を捨てた)

・I have so many things in my house. I need to throw them all away. (家の中だ物だらけだ。全部捨てないと。)

このあたりは『捨てる』の基本形。


他にも『捨てる』は様々。

悪い習慣を『捨てる』といった場合、throw away は使えない。この場合、捨てるということは、それをすることを止めるということなので

・I stop smoking. (喫煙を止める)

・I quit smoking.  (喫煙を止める)

このstop など色々使える。

・I stop eating too much. (過食を止める)

・I stop drinking too much. (飲みすぎを止める)

・I stop using my smart phone too much. (スマホの使い過ぎを止める)

他にも悪い習慣を捨てる、ということで、この場合、習慣をhabit、動詞はbreak を使い

・I break the habit of smoking all day. (一日中喫煙する習慣を捨てる)

・I break the habit of chewing nails. (爪を噛む癖を止める)

・I break the bad habit of fidgeting. (貧乏ゆすり等の悪い習慣をやめる)

・I break the habit of eating snacks after midnight. (夜中のおやつを止める)

上記のような習慣を『捨てる』系統はgive up もよい。

・I'll have to give up eating late at night if I want to lose some weight. (痩せたいなら、夜遅くに食べちゃだめだ)

このgive up とhope(希望)を合わせて、~したいという希望を捨てる、というように使える。

・I give up hope of becoming famous some day. (いつか有名になるという希望(願望)を捨てる)

・I give up hope of becoming popular amoung girls. (女性にもてたい、という願望を捨てる)

等、色々使える。


では、プライドを『捨てる』なんかはどうなるか。英語の場合、プライドは捨てるのではなく、

・I will have to swallow my pride to ask my money back. (プライドを捨てて、お金を返してと頼む)

のようにプライドをswallow (飲み込む)と表現する。

・Put your pride in your pocket. という慣用句(ことわざ)もある。これもプライドを捨てるということ。


男女の間のことであれば、私は彼女に捨てられた、などは throw away は使わない。捨てるということは、去ることなので leave を使い、

・She left me. (彼女は私の元を去った)

・He left me for another girl. (彼は私を捨てて、他の女のところに行った)

・He left his wife and children behind and flew to the US alone. (彼は妻子を残して、独り渡米した)※ このあたりのleave は permanent(永久)かどうか状況による。


次は、同じ『捨てる』でも 『過去を捨てる』はどうなるのか? get + behind を使い

・Get the past behind you. (過去を捨てよ/ 忘れよ)

let も使える。

・Just let the past go. (過去を捨てよ/ 過去を手放せ)


他にも『捨てる』=forget (忘れる)となることもある。

・Forget about the past. (過去を忘れよ/ 過去を捨てよ)


まあなんせ『捨てる』にも本当に色々あります。

一年の計は元旦にあり。お正月なのでおせちの海老の話を少々。

腰の曲がるまで、ということで長寿を連想させる海老。

その海老の、おめでたいとされる本当の理由があるという。それは、海老という生き物は、生涯に渡り何回も脱皮を繰り返し、皮がいつでも若くて柔らかく、固くならない。よって海老は永遠の若さの象徴である、というもの。これは漢学・東洋哲学の大家である故・安岡正篤氏の著書にある話。

腰が曲がるまで、というのもよいが、年を経てもなお古い皮(自我、執着)を脱ぎ捨て、世を去るその日まで成長し続ける。我々も海老に見習いたいもの。

さて、捨てる。物を捨てることによって、果たして我々は本当は何を捨てるのでしょうか。

そして英語学習において『捨てる』とは何を意味しているのでしょう。

学習において、その学習を妨げる要因は様々あります。それらを見抜くことが英語上達の鍵にもなります。

捨てるべき習慣は色々あります。なぜ古い習慣を捨てるのか。新しい習慣を身につけるためです。古い習慣の根は深く、容易に捨てることはできません。英語でも

・Old habits die hard. (古い習慣はなかなか改まらない)と言います。

英語学習における古い習慣とは、色々あります。一例を挙げれば、

・英語を読む際、日本語に訳してしまうこと。

 ⇒学校の訳読中心の学習のクセが抜けず、英語のままでは不安で理解しているか心配になる。訳しているうちは、英語で読んでいるとは言えません。上達するためには英語は英語のまま読むように訓練する必要があります。

・辞書に頼ること
 
 ⇒英語で読む際、辞書に頼っていては、いつまでも洋書は読めません。辞書を(ある意味)『捨てる』必要があります。

 ⇒英語のアウトプットにおいても、当ブログで主張しているように、自分で考える習慣を身につけずに、辞書やネット翻訳に頼っていては、いつまでたっても自力で英語を話せるようにはなりません。日本語に頼る習慣、直訳の習慣を捨て、簡単な英語で表現する習慣をつけることです。何でもトレーニングです。日本語で考えてから英語に直す、という従来のやり方から次第に英語だけで表現するように自分の頭脳を切り替えて行くことが必要です。英語で話す時は頭の中から日本語を締め出す。日本語を捨てて、英語だけで勝負する。英語は単語の多さが問題なのではありません。問われているのは覚悟です。


上記は学習上の『捨てるべき』習慣のほんの一例です。そういうふうに、我々英語学習者の英語上達を妨げる要因は多々あります。上達するためには、それらを認識することが必要不可欠です。


新年です。

私も自らを顧みて、物もさることながら、心の中の不要な雑念、妄念、執着等を捨てていき、思考を集中し、志を高くもち、自分のやるべきことに心を傾けていけるように、そして本当の英語学習の面白さ、素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらい、英語学習者が本物の英語学習を通して自分に対する信頼を取り戻して、一人一人が日本人として自信をもって堂々と自分の英語を話せるようになる、その志を達成するためにより一層『捨てる』努力をして参る所存です。


さて、英語学習者の皆さまは、今年、何を捨てますか?


本年もどうぞ宜しくお願い致します。


英会話スクール English and Beyond のホームページはこちらです! ご覧ください(^^♪

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英会話スクール開校のお知らせ

2016-01-16 11:29:54 | 英語学習

いつも当英作ブログをご覧いただき誠にありがとうございます。

先日ご案内した新規英会話教室に関して、ホームページを作成致しましたので、ご覧いただけましたら幸いです。

英会話スクール English and Beyond

と言います。

兵庫県は尼崎市という場所で、小さな部屋を借り、細々と教室を始めますが、内に秘めたる志は熱く、過去多くの語学の達人が行なってきた大量インプットとアウトプットをベースとしつつ、独自に編み出した哲学的英作技法を用いて、学習者の表現する回路を刺激して、早期に英語が話せるようになる、概略そのような方法で皆さまのお役に立てればと考えております。

今後ともどうぞ宜しくお願い致します。





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新年のご挨拶

2016-01-03 00:28:18 | 英語学習

当ブログをご覧頂いている皆さま

新年あけましておめでとうございます。

当英作ブログも既に開始以来一年を経過しております。色々妙なテーマで書いておりますが、言いたいことはただ一つ『考える』ということに尽きます。

考えることにより、自分の中に埋もれた英語の知識が活性化する。内に埋もれた知識に生命の息吹を与える。それが考えるという効用です。

何より考えることにより、自分に自信を取り戻すということです。英会話というと、誰しもネイティブに気兼ねして、自分が知っていることも言えずに終わり、自信をどんどん失う、そんな状況にあります。私自身がそうでありました。

日本人は謙虚です。それは美徳であり、誇りに思うことです。しかし行き過ぎた謙虚は自己否定となり、自ら内に持てる宝物を打ち捨てるようなものです。

学ぶとは何か。考える必要があります。

英語を学ぶ人たちは、多くは真面目な方々です。努力家です。語学は何が難しいかというと、知識を身に付ければいいというだけではないからです。インプットとアウトプットの高度なバランスが要求されるものが語学です。逆に言うと、そのバランスが崩れているから、なかなか我々の語学は上達しないということです。私自身バランスとは縁遠い人間です。偏りが激しい、だからバランスの重要性がわかるとも言えます。

さて新年です。学習者の皆様にとってどのような一年となるでしょう。

実は、新年一月末より、自分の理想と志しを形にするべく、ささやかながら英会話教室を開くことになりました。ただ今準備の真っ最中です。ほぼ見切り発車のようなスタートですが、一人でも多くの方に早く英語が話せるようになってほしい、その願いから、既に洋書を用いた独自の教授法でTOEICや英会話を教えている妻(ブログ『洋書で英会話』があり)と一緒に、理想とする英語の教育を実現させたいと思っております。

皆さまご存知のように、教育とは英語でeducation です。元々古代ギリシャ語の エデゥカーレ が語源でありますが、e + duce という組み合わせで、 e が『外に』+ duce が導く、ということで、『外に導く』→ 生徒自身の中に生来ある知識を外に導き出す、という意味です。可能性や英知などを内より引き出すことが、教育の第一義だと言えましょう。現行行われているように知識を押し付けるといった教育では、内にあるものは引き出されません。考えることにより初めて英知は引き出されます。ここに英会話上達のヒントが隠されています。

新しいスクールに関しては、ただいま自らホームページ等を作成中であり、後日お知らせ致します。単にペラペラになることだけを目的とせず、多くの本を読み思索を深め、英語の上達と共に視野を広げ、人間的な成長も期する、そのような教育、そのようなスクールを目指して参ります。

今年も、一人でも多くの英語学習者が、『考えること』に目覚め、多くの洋書を読み、外国語学習の王道を歩まれますようにお祈り申し上げます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。






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