Coronavirus Crisis /コロナ禍
4. コロナをなめては、ならない。
⇒ なめる、とはどういうことだろうか。
昔、なめ猫といって、何か不良の恰好をした(させた)猫の写真が載った免許証が流行って、子供の時分に持ってた気がする。なめるな、ということだが、あとは、ホタテをなめるなよ、というテレビコマーシャルがあったことを思い出す。なめるな、ということは、バカにするな。軽視するな、ということ。
コロナを軽視する、ということは、コロナを過小評価してはならない、ということ。
コロナを過小評価するということは、コロナにかかっても、大したことがないと思うこと。
実際、もしかして、そう思うからからこそ、人流が増え、路上飲みが減らないのだろう。
さて、『コロナをなめては、ならない』という発言だが、具体的にイメージすると分かりやすいが、例えばどういった人が言うのだろうか、想像してみると、まあ例えば、政府で言えば、首相だったり、コロナ対策の担当大臣や、政府に提言をする医療のトップである尾身会長、知事、感染症の専門家、医療関係者等だろうか。
こういう英作文であるが、単に単語レベルで、単語の置き換えをしても、自然な英語にはできない。第一、舐める=lick など使えない。日本語で『なめる』というのは、メタファー(比喩)として言っているだけである。
とはいえ、上記のような、毎日テレビの報道で観るような方々は、当然『なめるな』などという言い方はしないだろう。しかし、内心は、確実にそのように思っているだろうことは、想像に難くない。
コロナをなめるな、とは何か。
コロナをなめている、と思われる人に向かって、コロナをなめるなと言う。
コロナをなめるなとは、本当に言いたいことは何だろうか。
なぜコロナをなめるな、と思い、そう言いたいのだろうか。
なぜコロナをなめるなと、言う必要があるのだろうか。
コロナをなめている人が、何かを理解していないことを知るからこそ、コロナをなめるなと思うし助言をする。
コロナをなめている人が、理解していないこととは、一体何か。
その理解していないことがあるが故に、その結果コロナをなめるということに至る。
コロナをなめている人が理解していない点。
それは、コロナにかかったら重症化するということ。
もっとはっきり言うと、コロナにかかると、死ぬ可能性があるということである。
コロナをなめていない人は、コロナにかかると死ぬ可能性があることを認識している。
コロナをなめている人は、コロナにかかると死ぬ可能性があることを、理解しない、もしくは目を背けている。
ここまで考えてくると、なめるとはどういうことか、はっきりしてくる。
『コロナをなめるな』と言うことは、要するに、もしコロナにかかったら、死ぬかもしれないぞ、ということと同じと言ってよいだろう。よって、英語は
・If you get COVID, you may die.
非常にシンプルになる。でも考えたらそうなる。
なぜ『なめるな』というのか。生きていてほしいからである。
相手がコロナを『なめていて』その相手に、本当にコロナの恐ろしさを理解してほしくて、生きていてほしかったら、そのための一番効果的な方法は、最悪の可能性に言及することであろう。だから、このような英語になる。だから、コロナをなめるな、というのは、日本語でもキツイ表現であり、私の英作でも、おどろおどろしい表現であるが、その根底にあるのは、相手への思いやりである。
・Don't forget. COVID is a serious disease.
・You get Covid, you may die. Don't get COVID.
・Do you really understand how serious the COVID is?
・You must remember if you get COVID, you will get really sick, or you may even die.
take を使ってもよい。take ~seriously というものがある。真剣にとる、ということ。
教室の生徒さんならば、take の暗唱文(速習)で『医者の言うことをちゃんと聞くべきだ』I should take the doctor's advice seriously. とあるので、それを活用すると、コロナをなめるな→コロナを真剣にとる、と考えると
・Take COVID seriously. となる。
色々あるだろう。
大事なことは、自分の頭で考えること。
コロナをなめるな。このようなものを聞くと、すぐわからないと、たいていすぐ和英辞典に頼る人が多い。
試しに、ネット翻訳で、コロナをなめるな、を検索してみると、Don't lick corona (?!)という、危険すぎる英語が出た。そのまんまかいな。
楽して、ネットで調べて、変な英語を言うよりも、少し考えて、多少ゴツゴツしていたり、少し間違いがあったとしても、そしてその英語が、特にニューヨークの街角で使われている今時でオシャレな英語(?)でないとしても、自分の頭で必死で考えて、言葉の字面ではなく、意味本位の英語を言うことを心掛けたならば、必ずその人の英語は、通じるし、その地道な努力を続ければ、必ず、上達し続けるだろう。
表現することは、戦いである。
戦いを避けてはならない。