
ここが、南海岸の浜です。硫黄島のこの海岸と、もう1箇所イタリアのある場所にしかない鶉石という珍しい石がある海岸です。隆起して戦時中よりは海岸が広くなっているはずですので、戦前はもっと、浜の部分は狭かったと思います。この海岸から第二次世界大戦の時に目議運が上陸をしました。硫黄島は多くの日本兵だけでなく、たくさんの米軍兵の犠牲者も出た激戦の島です。米軍がこの狭い戦場でこれほど多くの犠牲者を出したという例もほとんどないだろうと思います。
船での慰霊墓参での硫黄島訪問には、昨年が8回目の参加でした。この南海岸には行く回も行かない回もありますが、昨年は、1日目の午後のグループごとに集落への里帰りの時間、元山チームは硫黄ヶ丘に行くだけで、時間が余りましたので、希望して、ここに連れてきてもらいました。今回、連れていってもらった地点は、この写真の、二つ根岩よりも擂鉢山に近い場所でした。前に行った回では、二つ根岩よりも擂鉢山から離れた箇所だった時もあって、二つ根岩越しに擂鉢山を撮った写真もありました。
この特徴的な形で目立つ二つ根岩ですが、以前は、こんなに陸に上がっていなくて、海中や干満で全体が陸上に出たりというぐらいの位置にあったそうです。今では、満潮時でも根の部分が海中になることは全くなく、すっかり陸上に出ています。
船での慰霊墓参での硫黄島訪問には、昨年が8回目の参加でした。この南海岸には行く回も行かない回もありますが、昨年は、1日目の午後のグループごとに集落への里帰りの時間、元山チームは硫黄ヶ丘に行くだけで、時間が余りましたので、希望して、ここに連れてきてもらいました。今回、連れていってもらった地点は、この写真の、二つ根岩よりも擂鉢山に近い場所でした。前に行った回では、二つ根岩よりも擂鉢山から離れた箇所だった時もあって、二つ根岩越しに擂鉢山を撮った写真もありました。
この特徴的な形で目立つ二つ根岩ですが、以前は、こんなに陸に上がっていなくて、海中や干満で全体が陸上に出たりというぐらいの位置にあったそうです。今では、満潮時でも根の部分が海中になることは全くなく、すっかり陸上に出ています。