goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(33) 南海岸の二つ根岩

2013年03月30日 | 硫黄島・小笠原村
ここが、南海岸の浜です。硫黄島のこの海岸と、もう1箇所イタリアのある場所にしかない鶉石という珍しい石がある海岸です。隆起して戦時中よりは海岸が広くなっているはずですので、戦前はもっと、浜の部分は狭かったと思います。この海岸から第二次世界大戦の時に目議運が上陸をしました。硫黄島は多くの日本兵だけでなく、たくさんの米軍兵の犠牲者も出た激戦の島です。米軍がこの狭い戦場でこれほど多くの犠牲者を出したという例もほとんどないだろうと思います。

船での慰霊墓参での硫黄島訪問には、昨年が8回目の参加でした。この南海岸には行く回も行かない回もありますが、昨年は、1日目の午後のグループごとに集落への里帰りの時間、元山チームは硫黄ヶ丘に行くだけで、時間が余りましたので、希望して、ここに連れてきてもらいました。今回、連れていってもらった地点は、この写真の、二つ根岩よりも擂鉢山に近い場所でした。前に行った回では、二つ根岩よりも擂鉢山から離れた箇所だった時もあって、二つ根岩越しに擂鉢山を撮った写真もありました。

この特徴的な形で目立つ二つ根岩ですが、以前は、こんなに陸に上がっていなくて、海中や干満で全体が陸上に出たりというぐらいの位置にあったそうです。今では、満潮時でも根の部分が海中になることは全くなく、すっかり陸上に出ています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2012年、小笠原村、硫黄島へ... | トップ | 2012年、小笠原村、硫黄島へ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

硫黄島・小笠原村」カテゴリの最新記事