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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(25) 硫黄島の中央あたりの硫黄ヶ丘の入り口

2013年03月22日 | 硫黄島・小笠原村
慰霊祭が終わると、一度、記念館に行って昼食のお弁当をいただきます。それから、1日目の午後は、戦前在住島民と関係者の私どもは、戦前の在住の集落ごとのグループに分かれての、里帰り です。役場や学校や商店などの主要な施設が集まっていて戦前は硫黄島の中心だった元山に、私の祖父の商店兼家がありましたので、元山に里帰りするグループに入りますが、戦前に元山だったあたりは、今の飛行場にもかかっていると言われていて、当時の住居の跡などの、生活の場所だった跡だと分かる場所が残っていません。
例年、私ども元山へ里帰りのグループは、他に行く場所もありませんので、元山に隣接していて近くだった硫黄ヶ丘に行きます。2012年は5人(3家族)と、付き添いで毎年一緒に訪島してくださっている、一木重夫小笠原村議会議員が同行して下さいました。
写真は、硫黄ヶ丘の入り口近くからの写真で、焦げて炭化している大木があります。この木は堅いことでも知られているタマナの木(小笠原での呼ばれ方のようで、テリハボクという木だそうです。)だそうです。
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