また、小笠原丸の位置が、北硫黄島が横に広がって見える角度に進んできた時の写真です。おそらく、島の西側だと思います。雲がかかっていない左側に見える峰が清水峰で雲に頂上が隠れてしまっている右側の峰が、最高峰の榊ヶ峰ではないかなと思います。 この日、「この島のどこに人が住んでいたのだろう?学校の分教場もあったと戦前に住んでいた人が教えてくれたが、そんなものがあって、集落があったというほどに広そうな場所はどこにも見つからない。」と思いながら、観察を続けていました。 結局、島を二周しましたが、「狭い浜はある。」ぐらいで、「あの広さの場所が集落があった場所だろう。」と思える場所は見つけられませんでした。 上や斜めからではなく、ある程度離れた場所から横から見ているので、「ごく狭い石の浜が見える以外は、海からすぐに切り立った斜面」と見えたのが、実際は、ある程度の広さの平坦な場所があったということだと思います。さきほど、 村の位置だった場所が写真で説明されているサイトを見つけたので、やっと、自分が撮影してきた写真と、古代遺跡も見つかっている石野村や、もう一つの西村の位置と、対照させることができます。
そのサイトについては、また、紹介させていただきます。
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