時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

こどもの哲学

2010-01-07 | essay
小さい頃、といっても大阪にいた時代だから
小学校低学年くらいの頃、夜布団に入ると何故か
「死」とはなんだろう。と夜な夜な考える時期があった。
だいすきだった伯母が病床にいたせいかもしれない。

「死んでしまうってどういうことなんやろ」
「体がなくなると、こころはどうなるんやろ」
「今じぶんがこうやって考えてる気持ちも消えてしまうんかな」
「そしたら、mikoはmikoじゃなくなってなんにもなくなるんかな」
「でも考えてるmikoはかたちがないんやから死んでもなくならへんはずや!」

って、自問自答しているうちにとても怖くなって
考えるのをやめようと努めて眠ったのをよく覚えている。
子どもは子どもなりにいろんなことを考えているものなのだ。

今思えば、あれが自己の確立のはじまりだったのかも。
哲学者デカルトの有名な言葉「我思う、ゆえに我あり」
あの夜な夜なの自問自答はまさに哲学の入口の第一歩だったのね。
(哲学の道には進まなかったけれどね!)

  「“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が
   自分が存在する証明である」-我思う、ゆえに我あり-

そういえば、長男も小学一年生の頃、
夜になるとやたらと「こわいこわい」と不安を訴える時期があった。
末っ子が産まれたばかりだったから赤ちゃん還りの一種かもしれないけれど、
「お母ちゃんはまだ死なない?」
「お母ちゃんがいなくなったらどうしよう」と泣く夜もあった。
どの子もそれなりに、自己形成に伴って
「死」や「自分」についておぼろに考える時期があるのだろうな。

ひとのこころはとても複雑で繊細にできている。
子どものこころも、同じなのだ


最新の画像もっと見る