黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 二階の物置化した部屋の整理を始めたが・・・・・・思わぬ思い出が!

2016年02月17日 15時59分05秒 | その他


    

 



 昨日、我が家の二階の「開かずの間」に入り色々と整理を始めた。昨年までは此の部屋には殆ど入る事は無かったが今年に入ってからは何回かICBMに使用する予定の部品探しに入る機会があったが其の時は探す事に夢中に成って部屋の中をゴチャゴチャにしてしまったので一度時間を掛けて整理しなければと思っていた。部屋は6畳の広さで広くはないが子供達のお雛様や五月人形や鯉のぼり、二人の子供が大学を卒業した折に持ち帰った生活用品や衣類関係が所狭しと並び部屋は完全に物置き場と化している。


 最初に子供達の人形関係の整理から始めたが雛人形だけでも抱え切れない様な大きな箱が4個、雛壇部材やガラス・ケースに入った雛人形や息子の武者人形だけでも15個以上有り可也の場所を占拠している。それ以外でも鯉幟だけでも10流(りゅう又はながれ と数えるらしい。本当の漢字は此の字では無いが最近は変換出来ないので此の漢字でも良いらしい)以上有り結構な場所を陣取って居る。私たち夫婦は其々の兄弟が5人づつ居るので兄妹や両親からのプレゼントを入れると此の数に成ってしまう。

 

  結構な値段と祝い物なので捨てる事も出来ずに後生大事に保管しているが此の鯉幟が空を泳いだのは子供が生まれた最初の2~3年間だけで二つのタワーの上のポール間に滑車に通したロープを横に張り其れに鯉のぼりを横に並べて泳がせた壮観な時代も有ったが家内では簡単に揚げ降ろしをする事は出来ないし一度は12m位有る一番大きい鯉のぼりが風向きの変化でタワーに巻付き家内では如何する事も出来なくて仕事から帰った真っ暗の中をヘルメット・ライトを頼りに回収に上った事も有った。その後は夫婦の口喧嘩に発展し遂に其の後は御蔵入りの状態に成って二度と鯉のぼりが五月の薫風の空を泳ぐ事は無かった。雛人形も然り、娘が生まれた後の5~6年間は家内も気合が入って毎年1ヶ月前から飾り頑張って居たが馬鹿でかい場所を取る事と同じく後始末が大変で娘が小学校の高学年に成ると「面倒くさい!」の一言で却下していた。


 祝い物を頂いた時は其々に嬉しかったが今思うと勿体無い事此の上無い、どれを取っても購入すると1.5~2万円はするだろうに?昔からの風習とは言え余り生かされない侭に最後は粗大ごみに成る運命に成るが さりとて現段階で処理する事は出来なかった。余談に成るが私の子供の頃は鯉のぼりも布に成り始めて居たが上の兄の時代は紙製の鯉のぼりが多く2~3年も上げるとボロボロに成り揚げられなく成って此れは実に理に適って居た様に思えた。現代なら現金が一番喜ばれるだろうHi


 少し整理した事に寄りスペースが確保出来ると一寸一服状態に畳に横に成ったら本箱の一番下の棚に有る日頃なら見えない写真の古い雑誌が目に入った「何?」と思ったら私の中学卒業アルバムや若い頃に買ったラジコンエンジン・マニュアル(上、下巻)とアマチュアのDX通信入門の表紙等が可也変色した小雑誌が有るではないか?最初に卒業アルバムを取り出してパラパラとページを捲ると何年ぶりだろうか?多分30数年振りと思うが懐かしい同級生の面々の写真に懐かしさが込み上げて来た。

 

 アルバムには1964年と印刷されて居るので約52年前の写真に成りますが卒業写真に写っている其々の顔を見ていると其の頃の思い出がドンドン思い出されます。三年生の全生徒数が250人強の学年でしたが男子の同級生は其々に顔を見ると名前も思い出すし何がしかの接点が有ったので其々の思い出が甦りますが女子の中には20人程の全く記憶の無い名前や顔もあって一寸驚きましたが二つの小学校からの生徒が統合された中学校であった為、在校中の3回のクラス替えでクラス・メートに成らなかったら殆ど接点は無かったのでしょう。中学校も3年生頃に成ると少々色気も出始めて気になる同級生も何人か居ましたが現在の学生の様な同級生同士の交際等は余り無かった様で浮いた噂を聞いた事も有りませでしたが私には小学校辺りから気に成る同級生が居ました。確か小学校の卒業間近い三学期頃に2~3人の女の同級生から「卒業も間近いので感謝を込めて私達数人で全校内の下駄箱の掃除を遣ろうと思うけど手伝ってくれない。」とお誘いを受けたので「O・K」の二つ返事で引き受けて下駄箱の掃除を卒業までの数ヶ月間ほどして回ったが何故か?参加した男子は私だけ、後の女子の3人は学年の成績が優秀な綺麗どころばかり子供心に少し変な感じはしたのだが・・・・


 其の後、中学校に入学して或る同じ小学校を卒業した男子同級生から「お前って鈍い奴だなぁ~・・・・・本間に気付かなかったのか?」と言われて「何が?」と聞いたら彼が色々教えてくれたのだが後の祭りで有った。そして高校は其々に別の高校に進学して社会人に成って徳島に帰ったばかりの頃に不思議にも偶々ふらりと訪れた母校の運動会の本部席横のベンチに座ったら隣の人が若い凄い美人で相手が驚いた感じだったので「あれ~?」と良く見ると彼女だったのである。しかし隣には彼女の御爺さんが座って居て気軽に話し掛ける事は出来なかったが何か物凄い胸の高鳴りを感じ落ち着かず最後まで言葉を交わす事は無く終わって仕舞った。其の2~3年後に町内の夏祭りで会った時にはお互いにカップル同士であったが彼女のお相手は長身のスゲェ~美男子で(其れは如何でも良いが)浴衣姿のチャングムの誓いの主人公を演じたイ・ヨンエ似の彼女は姿は非常に眩しかった。



 もしタイムマシンに乗って人生で一回だけ遣り直すチャンスが有るなら間違い無く成人した後のあの座席に座った瞬間に戻ってみたいものだ。多分、如何にも成らなかったとは思うのだが今の度胸が有れば駄目で元々、一度アタックしてみたかった。その随分後に(結婚後に)私が偶々仕事でお宅にお伺いする機会が有ったが小学校時代に何度かお母さんに会って居たので私が名前を言ったら私の事を覚えて居たので昔話に成って帰り際に冗談気味に「子供の頃はお嬢さんの隠れファンでした宜しく言っておいて下さい」と笑いながら話したら「必ず伝えておくわ」とお母さんもニッコリ笑いながら返して下さった。

 

 今日、久し振りに卒業アルバムを開いて中学生の頃の写真を見ていたら其の様な事を思い出したが写真を見ると三年生当時は同じクラスで有ったし放送部にも在籍していた様なので接点は有った様だが私の記憶の中には残って居なかった。其の後は部屋の整頓などは如何でもよく成り畳に寝そべってアルバムを見ながら彼是思い出し何か胸がきゅんと成る一日と成ったが此の歳に成っても此の様な気持ちに成る自分自身に驚いたが遠い古き良い思い出である。