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諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』 1978年 新日本出版社

2017年05月31日 | 戦後秘史・日本占領期

              ▲諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』 1978年 新日本出版社

 

 

諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』 1978年 新日本出版社

 

諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』 1978年 新日本出版社

 

諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』 タイトルがすごいが、この事件(菅生事件)を担当した弁護士が「菅生事件」をわかりやすく、国民に訴えたもの。この事件は、死者こそでなかったが、その計画性、組織性、などからして、日本独立前から用意周到に練り上げ「破壊活動防止法」を成立させるために仕組んだ国を挙げての謀略事件だった。1952年6月2日、独立間もない戦後「治安維持法」のない社会から、「破壊活動防止法」を制定することで、アメリカに奉仕する目的もあった。設立間もない「日米合同委員会」で議題になった、アメリカの朝鮮戦争をにらむ、九州・九重・阿蘇山麓の米軍演習場の用地取得要求とからんでいた。住民反対運動・左翼弾圧も意図したものだったのである。

▲諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』 1978年 新日本出版社 当時定価920円

 

▲ 諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』  目次1

 

▲諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』 目次 2

 

1952年6月2日、九州・大分県直入郡菅生村巡査駐在所爆破事件について

この事件の被疑者を裁判において弁護を担当していた諫山 博が、後年事件の全貌をわかりやすく明らかにしたもの。

サンフランシスコ講和条約と日米安保条約発効が1952年の4月28日

米軍占領からの撤退に会わせ、「日米合同委員会」の設置、日本の治安維持と称して「破壊活動防止法」にむけ、着々と法整備をすすめていた日本政府は、この法案を通すため、一連の騒擾事件を起こしてきたのだが、その中で、究極の事件が、「菅生事件」だった。

この事件は、演習場設置反対運動をしていた共産党・農民たちをでっち上げ、テロリストに仕立て上げ、菅生村巡査駐在所爆破事件の犯人として、不当逮捕し、一審有罪とした政府がらみの巨大な謀略事件だった。

菅生事件については、すでにこのブログで、紹介をしていた、主任弁護人の清源敏孝 『消えた警察官』1957年 、現代社や、

あとからこの事件の弁護に加わる正木ひろしの著作『エン罪の内幕』1970年、三省堂新書もある。

この2冊以外にあるのが、菅生事件の副主任弁護士をしていた諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』1978、新日本出版社である。

 

現在不当にも進行中の「共謀罪」 法制のもくろみの真相を探る上で絶好の本である。

諫山 博 『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』1978、新日本出版社 は、清源敏孝 『消えた警察官』1957年 、現代社に比べ、発行年が比較的新しいので、古本屋でまだ入手できるはず。

 

悪法なら、法律は国民の力で廃棄することができる。

1952年日本独立というのは真っ赤な嘘である。真相においては戦前のファシズム社会となんら構造的に違うところがない。

ナチス・ヒトラーが「自作自演の国会議事堂放火」で、あの第2次世界大戦の引き金を引いたが、日本では、占領下はもちろんのこと1952年の独立前後にも某国家に指示されたと思われる工作事件が頻発していた。

「破壊活動防止法」の成立前後と、「共謀法」 成立に向かって、メディアが共謀してしまうのも、1952年前後と酷似している。

『駐在所爆破 犯人は現職警官だった』

この本のタイトル通りのことが、1952年に日本で起きていたのだ。

1952年4月28日はなんと「日米合同委員会」という秘密トンネルも有した独立の日でもあったのだ。

後日談だが、この事件の駐在所爆破を仕組んだ現職警官を捜しあてたのは、もちろん、偽犯人をでっちあげた警察・検察ではない。自作自演の犯罪で、政府・警察・検察・裁判所までも総ぐるみのいかさま田舎芝居だったのである。真犯人を捜すわけがないではないか。


共同通信社の記者たちが、駐在所爆破を仕組んだ現職警官を捜しあて、何と犯人を発見したのである。

え!

凶暴なる国家をこそ引っ捕らえよ・・・・・・・

今、メディアに真実を希求する力があるか。国民にも真実を希求する力があるか。なければ、創るしかない。

  

 ▲ 『正木ひろし著作集 Ⅲ』 1983年 三省堂 定価4800円

菅生事件は、後から、正木ひろしも参加して、ダイナマイト爆破が、駐在所の外から投げ込まれたものではなく、駐在所内に設置された椅子付近から爆破されたことを、椅子の破片を丹念に集め、組み立て、推論し、東京大学工学部に、爆発の検証を依頼させることに成功した。でっちあげられた犯人が、ガラスを破ってダイナマイトを爆発させたものでないことを論証したのである。駐在所の部屋の中の椅子で、爆発したのである。謀略工作が完膚無きまでにばれてしまったのだ。

この本には、東大鑑定をもとにした「弁論要旨」が裁判資料として収録されているので、「菅生事件」の謀略性を確認するのに恰好の資料となっている。この菅生事件は1952年に日本で起きた歴史的事実である。

ケネディ大統領暗殺事件以後、謀略の存在を隠蔽するのに、権力側・それに追従するメディアが「陰謀論」ということばを発明・普及したと言われる。

噂されている事件のすべては、陰謀ではないのはもちろんだが、確実に政府・権力が仕組んだ陰謀・工作事件は存在するのである。あやしげな、偽事件を巧妙にとりまぜ配置し、バラエティ番組に仕立てあげた番組が後を絶たない。2016年3月にNHKがパックンも出演させていた番組にそれがあった。

 

 

つづく

 



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