野散 NOSAN 散種 野の鍵 贈与のカオスモス ラジオ・ヴォルテール

野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

『ホロコーストを学びたい人のために』 ヴォルフガング・ベンツ 中村浩平・中村仁訳 柏書房

2017年06月22日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
『ホロコーストを学びたい人のために』 ヴォルフガング・ベンツ 中村浩平・中村仁訳 2004年 柏書房 . . . 本文を読む

ドイツ・ヒトラー政権時代 ユダヤ人大量殺戮政策をめぐる日本語文献

2017年06月07日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
ドイツ・ヒトラー政権時代 ユダヤ人大量殺戮政策をめぐる日本語文献 外国語からの翻訳は以前からあったのだが、『マルコ・ポーロ』廃刊以降は、日本人によるユダヤ人大量殺戮政策について文献が増加したような印象があった。それは実際本当だったのか。まだ収集途上で、細々と集めているので、ユダヤ人大量殺戮政策をめぐる論争の焦点が何なのか私にはまだ皆目分かっていない。まずは櫛欠状態であるが、整理しないと展望もできないので現時点の通時的な文献の一覧を私的に作ってみたい . . . 本文を読む

『国会炎上』 四宮恭二 1984 その4 議長公邸から国会へ通じる暖房用地下道はあった!

2013年05月08日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
『国会炎上』 四宮恭二 1984 日本放送出版協会 ボイラー棟の下から続く暖房用管理地下道は後に建設されたドイツ国会議長公邸の地下室も取り込み、国会議事堂へ通じる暖房用地下道とつながっていた!噂通り、国会が炎上する1933年2月27日の何日も前から、深夜国会議長公邸と地下トンネルを動き回る物音は確かめられていた。また戦後にいたっても、暴力の記憶からか、証言をためらう人々が多かった。しかし1967年のドイツ国会議事堂炎上の真相をめぐるテレビ討論会の一視聴者から、有力な情報がもたらされた。それは事件当時13年間も国会議長公邸に勤務していたボイラーマンの証言だった。またこれらの証言をもとに、西ドイツ・東ドイツ共同で行われた、合同現地調査でのグルーネワルトの証言を記して真相の一端を示す。 . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 3 国会議長公邸から国会議事堂へ通じる地下道はあった!

2013年05月07日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
ヒトラー・ナチス政権下で1933年2月27日に起きたドイツ国会議事堂放火事件において、最高裁の裁決は、オランダの青年ファン・デル・ルッペの死刑判決、ルッペ以外の、ドイツ共産党国会議員トルクラー、ブルガリア人共産党員ディミトロフ、ポポフ、タネフの3名計4名は無罪確定。国際社会と記者たちが監視するなかで、終わってみれば、大々的な国際共産党の陰謀キャンペーンどころか、ヒトラー・ナチス国家の自作自演の陰謀を深くにおわせる三文芝居となってしまった。その後ドイツが世界大戦で敗北し、戦後になるまで、真相は闇の中であった。しかし戦後、思わぬところで、事件当時国会議長公邸でボイラーマンだった人物の証言が出てきたのである。 . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」の急報に「しめた!」と叫んだ 2-3

2013年05月06日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 その2-3では事件直後から警察発表の放火犯逮捕と消防隊発表との複数犯説、との二つに分かれていたのだが、その事情を深く知っている立場の者が次々と消されていく人々を追う、またナチ政権側の人中でも、不用意に国会炎上事件の秘密を漏らした人々、史料を収集していた人までが粛清されていったことを四宮は探る。 . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」の急報に「しめた!」と叫んだ 2-2

2013年05月05日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 その2-2では事件直後から警察発表の放火犯逮捕と消防隊発表との複数犯説、との二つに分かれていたのだが、その事情を深く知っている立場の者が次々と消されていく人々を追う . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」の急報に「しめた!」と叫んだ 2-1

2013年05月04日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 その2ー1では「国民と国家の防衛のための大統領緊急命令」の人権保護条項の徹底して欠落した条文と、国会炎上の翌日発令の早業のこと . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年 ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」 の急報に「しめた!」 と叫んだ その1

2013年05月03日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 . . . 本文を読む