▲ ケネディ大統領暗殺事件直後の日本の新聞記事 11月25日 東京新聞 朝刊 記事 第一面トップは容疑者オズワルド射殺の記事
なぜか、紙面下部の広告欄は 早川書房の広告である。「世界最高最大のミステリー」ということばが重い。20世紀後半最大の謎がこのケネディ暗殺事件であろう。
▲1963年11月25日 東京新聞 第1面 の小さな記事 「FBIが犯行の六日前に尋問 オズワルドを」という記事
小さな記事であるが、大変重要なものであろう。
事件のあった地元 「ダラス・モーニング・ニュース」紙によると、オズワルドは、暗殺6日前にFBIに尋問されていたのである。
つまり、オズワルドが、偽装であれ何であれ、ソ連に亡命したことがある人物であり、アメリカのニューオーリンズほかで左翼活動をし、テレビでも紹介されたことのある人物であることが、ダラスでは知られていたということである。FBIは警備上警戒をすべき重要人物として、マークしており、尋問したのに、そのことを大統領護衛当局に伝えていなかったという記事なのである。
オズワルドは、ケネディ暗殺のある、2ヶ月ほど前から、射撃をしたとされる教科書ビルになぜか雇われている。ダラスを事実上支配する企業経営者は、右翼的言動をする人物が数多い街なのである。ある意味では札付きの左翼としてメディアに登場していたオズワルドが、ダラスで、右翼的と目される企業グループが所有するビル内の仕事にどうしてありつけたのか。摩訶不思議なのである。
ケネディ大統領のオープンカーのコースが発表されてから、オズワルドは、教科書ビルに雇われていることが、その後の調査で明らかになっている。
「ダラス・モーニング・ニュース」紙のこの記事では以下のように整理している。
「護衛当局と警察の間でケネディ前大統領の警備計画が検討された十六日にFBI当局はオズワルドを尋問していた。消息筋によると、その結果すでにオズワルドの資料を集めてあるFBIの厚いファイルには、さらに情報が追加されたはずである。FBIは二ヶ月前彼が就職したことを知っていたようだが、警察の情報担当官はオズワルドの存在を知らなかった。」
オズワルドは、FBIの最下級情報提供者として、仕事をし、報酬を得ていたとするケネディ暗殺研究者はかなりにのぼる。
彼は、坦々として、暗殺周辺の動きを、情報提供者として、仕事をし、察知した情報をFBIに提供していたのではないだろうか。
逮捕され、自分がケネディ暗殺容疑者としてされていることに、尋問の合間の警察署内部屋移動の際、つめかけていた記者団に聞かれ、気がつくのである。かれはこのとき初めて、自分は罠にはめられていたと知るのである。
FBIのオズワルド情報ファイルは厚いとする、この情報は、まだ早い段階での国の情報統制が、されていない段階での記事なのであろう。貴重な地元紙による情報ではないだろうか。
11月24日、東京新聞は、もうほとんど、ケネディ暗殺の犯人は、オズワルドに間違いあるまいというような、悪意すら感じられる記事を掲載していたが。
アメリカワシントンに飛んだ、東京新聞の坂井特派員は、11月25日朝刊の第一面に、「国際信用失墜を憂慮」というタイトルのもとに次のような記事をしるしている。
「ワシントン24日坂井特派員」
「ケネディ前大統領暗殺の容疑者オズワルドが24日移送中に腹を撃たれて殺された事件は、同人が犯行をまったく否定し続けていただけに、ケネディ暗殺事件が迷宮入りするおそれもあり、共産主義国のみならず多くの国々から疑惑を持って見られることが心配されている。
この事件はケネディ前大統領暗殺につづき全米国民に第二のショックを与え、”法治国” 米国の体面を傷つけるものだとの声もあがっている。”リンチ(私刑)の南部”という印象が抜けないところへ、ピストルを持った下手人を最も重要な容疑者に近づけたダラス警察のやり方はなっていなかった。オズワルドの死亡に「より共産側が宣伝しているケネディ暗殺に関する疑いをぬぐい去ることが非常に困難になろう」
つづく