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▲『中央公論』 1957年6月号 72巻-8号 中央公論社 都内定価150円
『中央公論』 1957年6月号 72巻-8号 中央公論社
中野好夫 「菅生事件の ”戸高節” 」 という裁判傍聴記
▲『中央公論』 1957年6月号 72巻-8号 中央公論社 都内定価150円
▼ 目次 1
▲『中央公論』 1957年6月号 72巻-8号 中央公論社 目次 2
明日 6月2日は、「破壊活動防止法」を国会で通すために仕組んだ、国家による自作自演の「菅生事件」が起きてから55年である。
菅生事件については、それほど著作物がないので、当時の雑誌類も探そうと思い、現職警察官が、菅生事件の裁判で出廷した、昭和32年の頃の月刊雑誌を探してみた。
『中央公論』1957年6月号があった。
中野好夫 「菅生事件の ”戸高節” 」 という裁判傍聴記が掲載されていた。
記事の「戸高節」ということばの意味が最初わからなかったのだが、
これは、裁判の審理をさまたげようと、被告の戸高公徳(本名 市木春秋)が、裁判のなかで、編み出した「のらりくらり」戦術のことだった。
今「共謀罪」の成立をめぐって、参議院の論戦が続いているが、厳しい追及をかわすため、答えに窮した答弁者が、「覚えておりません」とか、「定かではありません」とか、並べ立てるのと同じである。
評論家の中野好夫が、被告の答弁の印象を戸高節と名付けたのだ。
彼の話し方、「日本語特有のあいまいさを、故意か無意識か、十二分に発揮させるのを興味深く聞いた。」
と中野好夫が言っていた節回しを紹介しておきたい。
「であるかもしれませんし、またそうでないかもしれません」
であり
「また・・・・・のようにも考えられます」
なのである。
中野好夫は、このようなことばを裁判の3日間を通じて何千回使ったであろうかと言っているが、それは誇張としても、とにかくこのことばと言いまわしを連発したようである。
しまいには、彼(被告)が「発言しはじめると、期せずして傍聴席から
「・・・・・・かもしれませんが、そうでないかもしれません」 と低い声の諧和が先んじて起こる。」
「果たして次の瞬間まさにそれが戸高の口から出るのだから、思わず失笑が湧くという思わぬユーモラスな一情景もあった」
中野好夫は、この被告のことばから、人間性を荒廃させた
「良心にかけて」ウソをつく人間にしてしまった背後の暗黒的権力」 の姿を見るのである。
上のことば、今の国会答弁にもそのまま適用できるか
今繰り広げられている「共謀法」国会答弁に耳を傾けつつ、55年前の菅生事件の裁判の模様を読み出す。
やはり、日本は独立していない。背後に「暗黒的権力」があるのである。
つづく