ケネディ大統領暗殺事件とそれに関わる日本文献。その2
2009年1月3日の当ブログで、問題点整理のために、自分用に、網羅的ではないが日本語で読めるケネディ暗殺事件に関わる書籍とその時代のリストをほぼ年代別にリストを作っていた。11月22日、ケネディ大統領暗殺から50年になる。今年20歳の成人の人たちは、父母もケネディ大統領暗殺事件のあった1963年には生まれていない人が多いはず。事件は調べる意志が無ければもはや何も発掘できない遠い歴史の中の出来事になってしまった。文献リストだけでは興味の湧かない映像世代のために、まずは、表紙タイトルくらいはカラーにしてみよう。事件解明のための長い歩みの一端の中から、その興味のきっかけになるよう、また、自らも初心に返り、なぜ現代史の謎に興味が湧き、関心がそこに向かうのか、自問することにしよう。
▲ 今回は上のケネディ関連本右から14冊目の本から
▲ 堀田宗路 『ジョン・F・ケネディの謎』 日本文芸社 1992
帯のことば にある通り、堀田も土田宏 と同様に、教科書ビルから、つまり後方からの銃弾により死んだとする見解の証拠を作るため、ケネディの遺体を変造したとする見解にたつ。土田宏 が訳したリフトンの『ベスト・エヴィデンス』 彩流社 1985年 をかたわらに置き、読み進めることをすすめたい。
ケネディの外交・内政の政策から、ケネディ排除の動きが、一部の者の謀りごとではないことにも頁を割いている。ベトナム政策をより詳しく論じる。 1992年までの参考文献がつく。
▲ 奥菜秀次 『ケネディ暗殺 隠蔽と陰謀』 鹿砦社 2000年 価格2800円+税
ウォーレン報告はもとより 付帯文書 26巻も参照してたいへん詳しい本なのだが、では、何があったのか、それに対して、自分の立ち位置がよく見えてこない不思議な本。奥菜秀次は、ダラスの現地にも行き、参照文献や、映像資料、ホームページからの資料収集など、日本国内では有数の資料収集家のようだ。出版された直後は、落合信彦のケネディ本を凌いでいるなぁと思ったのだが・・・・・
でも その後奥菜の『陰謀論の罠』 とかいう本や、9.11事件真相究明会議での発言などを考えると、知的遊戯として楽しんでいるのでは?との疑念が湧いた。世界の真相を知ろうとする。それを通して私はなにかを考え、なにかをしようと促される。それが、奥菜の本には・・・・・
▲ ネリン・E・ガン 内山敏 訳 『ダラスの赤いバラ』 「現代ノンフィクション全集24」に収録 筑摩書房1967
箱入りの本で、箱が紛失中。背にしかタイトルがないので、背のタイトルのみ。古本屋さんの店の表の百円均一コーナーで私は買ったような気がする。神田界隈の古本屋さんでは今でも外にあるボックスで百円で並んでいるのではないだろうか。当時の本は糸綴じなので、厚い本にもかかわらず大変読みやすい。布のソフトカバーも、手になじむ。「現代ノンフィクション全集24冊」のシリーズだが、これが百円で手に入るなら、時々神田界隈の古本屋さん街をぶらつきたいものだ。今の糊付けの並製本は、きつく開くともう折り目が戻らないし、寒暖の差のある部屋の並製本は、解体寸前になっている。
巻頭にあることばが印象に残った。
「テキサスの黄色いバラ
お前のところにきたよ・・・・・・・・ テキサスの民謡」
「あの日、わたしは三度テキサスの黄色いバラの花束をもらいましたのに、ダラスで差し出されたのは紅いバラでした。・・・・・・・紅いバラとは少しヘんだな、と思いました」 ジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディ
「『セントルイス・ポスト・ディスパッチ』の一記者は大統領の前方の窓ガラスが、弾丸でヒビがはいっていたと認めている。またなぜパークランド病院の医師団の報告書は、一度も考慮に入れられなかったのであろうか?」 『ダラスの赤いバラ』 191頁
この本の訳者は内山敏で、トーマス・ブキャナンの『誰がケネディを殺したか』 文藝春秋 1964 の翻訳もしているのであった。トーマス・ブキャナンの本は米政府のウォーレン報告書が出る前の本だったから、大変な出版妨害に遭い、パリで出版するしかなかったらしい。
ネリン・E・ガン 内山敏 訳 『ダラスの赤いバラ』 のあとがきで内山は「狂ったアメリカ」という題で解説を書いているのだが、この中で、
「アメリカ国内ではまだ、公式見解に疑念をもち、これに異論を唱えるものは、「アカ」よばわりされる危険をおかさねばならぬ雰囲気だった。ブキャナンの本を邦訳した私自身も、在東京の米人記者から、なぜこんなけしからん本を訳すのかと詰問された経験をもっている。これらの著書をアメリカで出版することが問題外だったことは、容易に想像できる。」 389頁 と書いていた。
2001年の911事件直後のアメリカの狂乱にはモデルがあった。同じだったのだねえ。「ショック・ドクトリン」だ。
▲ AP通信社編 『ダラスの金曜日』 朝日新聞社 1964年2月 定価380円
AP通信社がまとめた、金・土・日・月曜日までの4日を描く。ウォーレン報告書刊行前なので、事件の詳細な報告ではないが、通信社ならではの記録写真が巻頭に48頁。
日本大使になったキャロラインの愛くるしい表情にあらためて胸うたれる。あれから50年の歳月だ。
アメリカという国家はこの間なにをしてきたのか・・・・・・・・自浄能力を失った50年だったのではないだろうか。
▲ AP通信社編 『ケネディ家の栄光と挫折』 朝日新聞社 1968 定価520円
ケネディ一族の起源から・ロバート・ケネディの死まで。原著は1968年の7月刊行であるから、弟のロバートが亡くなってすぐに出版されたようだ。同年9月に朝日新聞社から出たので、これも新聞社ならではの素早い対応ででた。今となっては印刷の解像度が違うが、ケネディ家の起源からロバートの死まで、貴重な写真が豊富。
▲ チャールズ・A・クレンショー/ジェンス・ハンセン/J・ゲアリー・ショー 岩瀬孝雄訳
『JFK謀殺 医師たちの沈黙』 早川書房 1992
巻頭にはベセスダ海軍病院で撮影された、ケネディ大統領の公式の検死写真が掲載。みたくない写真であるが、パークランド病院に運ばれたケネディ大統領を必死に救命しようとした病院医師たちの証言である。見るしかない。
ベセスダ海軍病院での検死写真に対し、パークランド病院の著者たちは変造の痕を指摘する。パークランド病院に運ばれた際に確認した大統領の頸部の傷は、射入孔で、射出孔ではないとする。またパークランド病院で診たときには、後頭部にはあった大きな射出孔が、検死写真には損傷が見られないという。全く政府の公式報告書と全く逆なのである。つまり前方からの射撃が2発発射され、あたったとするのである。なぜ、ケネディ大統領の遺体を、ベセスダ海軍病院に、強引に運んだのか。
拳銃をもった政府職員の監視の中で、恐怖をもって、救命にあたったパークランドの医師たち。
クリントン民主党政権のもと、オリヴァー・ストーンの映画も公開され、ようやく1992年には、死の恐怖から物言えなかった、証言が相次いだ。・・・・・・
2発の銃弾は、前方から・・・ザプルーダーフィルムを見た印象では誰もが後ろにのけぞる大統領を見て、これは前方からだと確信した人が多かったはず。
この著書の著者にはあがっていないがチャールズ・A・クレンショー以外でもバー・マクレランというパークランド病院の別の医師も、喉の傷は前方からと断言していた。随分昔見たドキュメンタリー番組で証言していたのだ。その番組では「ダラスでは銃によるけがや殺人が毎日のように起きていて、ダラスで応急処置をする医者は、銃による傷が、射入孔であるか、射出孔であるかすぐ見分けられる」といっていたことが、生々しい記憶に残ることばだったのだが。(射入口はきれいで、射出口は、骨や筋肉組織等の抵抗物にあたれば、傷口が大きく開く傾向)
2013年の11月22日前後の日本で新しく公開されるドキュメンタリー番組で、「遺体の変造」に関して触れたものがあればと思い、録画しているのだが、見落としがあるかもしれないが、NHKBSでは突っ込んだ取材の番組がなかったように思う。また昨日から続くヒストリーチャンネルや、デスカバリーチャンネルのケネディ没後50年特集をざっと早見したが、メモを取って紹介しなければと、気合いを入れたいものがなかったなぁ。
ただ当時のニュースに出てくるオズワルドのことばに細心の注意をはらいながら、再度点検することにしているのだが。
リフトンの著書に加え、パークランド病院の医師のこの著書や発言は重視されなくてはならないと思う。ケネディ大統領没後30年・40年の番組では日本の民間テレビも、娯楽番組の形をとりながら、なかなかいい取材の中味があったのだが。どうした日本のメディア! 安倍政権下で萎縮しているのか?取材費がないのか。
▲ ハワード・ハント 『大統領のスパイ わがCIA20年の告白』 講談社 1975 当時 定価980円
ご存じ、ウォータゲート事件で名高いハワード・ハント。日本にもCIA局員として東京にいた。(おっとオズワルドも日本の厚木基地にいたことがあるよね。)ハントは2007年に死んだが、この本を出版した時にはもうCIAは辞めていた。退職したとはいえ、過去の重要な事実を書くことは御法度なので、あたりさわりのないことを書いている。もちろん、1963年11月22日に、スタージェスらのグループに会いにダラスにいたなんてことは書いてない。
しかし、臨終際の告白では、ケネディ暗殺に関わる、(CIAの)仕事でダラスにいたこと。ケネディ暗殺の作戦名は「ビッグ・イベント」だったと言っていたらしい。ハントの息子が、DVDにして、販売しているという記事を読んだのだが。リンクがわからなくなってしまった。
かつて雑誌にかかれたケネディ暗殺事件とハントの関わりの記事をめぐる名誉毀損の裁判で、ハントは、その日ダラスにいなかったということが、証明できず、裁判で敗れた。その日ハント家族はケネディ暗殺の番組を見ていたというアリバイが子供たちからもとることが出来なかったハワード・ハント。君の言う「愛国」とは何だ?
ハワード・ハントの名誉毀損訴訟に関しての記事は当ブログに記事あります。2012年7月18・19日
▼記事はここ
http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/cf32717b741bcec9daca1c1dfebb603e
http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/ac23128caf1625ba496c2ce70d820bcf
▲ マイケル・コリンズ・パイパー 太田龍監訳 『ケネディとユダヤの秘密戦争』 成甲書房 2006 2200+税
この本はいわゆる陰謀論として、研究者や学術書にはほとんど現れない本。中味は「驚愕すべき入り組んだ情報」に満ちている。引用された、著者が引用した個々の著書の原本を読んでいない(翻訳もされていない)ので、真偽を選り分けるには、しばらく時間がかかりそうだが、一国を超えた国際的工作に興味のある向きは、捜して読まれるのがよいだろう。太田龍が亡くなった今、この種の情報をどこから仕入れるか・・・・・著者のマイケル・コリンズ・パイパーは、ハワード・ハントがリバティ・ロビー社を相手どって起こした当の会社にも勤務していたので、著者が複雑怪奇な世界の政治運動に詳しくなることは了解できた。
▲ ピーター・コリヤー / デヴィット・ホロウィッツ 鈴木主税訳 『ケネディ家の人びと』 上・下 草思社1990
各巻とも定価2500円 上巻380頁・下巻370頁
ケネディ家のアメリカ渡米から、ケネディドリームの終焉まで130年の歴史。友人その他聞き書きの部分もあり、解釈なのか、事実なのか、問題提起なのか注意を払う必要がある。ケネディ暗殺直後の著作ではないので、ケネディ家一族のその後の醜聞や、四男エドワードのチャパキディック事件なども扱う。
▲ 藤本一美 編著 『ケネディとアメリカ政治』 EXP 2000年 価格 3500円+税
ケネデイとケネディ時代のアメリカを総展望する学術的雰囲気の書。
第1部 ニューフロンティアの時代 藤本一美・山本和隆
第2部 ケネディとアメリカ政治の展開 と題して
序章 若き日のジョン・F・ケネディ 土田 宏 など9本の論考
2部の終章は 土田 宏 の「ケネディ暗殺の背景」
第3部 ジョン・F・ケネデイをめぐって 斉藤 眞
巻末に詳細なケネディ関係文献一覧・人名索引・事項索引が完備されて、使い易い。ここで知った文献も多かった。
▲ フェリス・I・ロドリゲス/ジョン・ワイズマン 落合信彦訳 『秘密工作者』 光文社 1990年 定価1400円
中南米を主なエリアとして活動した元キューバからの亡命者フェリス・I・ロドリゲスの半生記。CIAは、中南米で何をしてきたか。アメリカ政府の公式外交ではなく、CIA工作者の眼でみた、中南米の冷戦記。ピッグス湾、カストロ暗殺計画、ニカラグア内戦、チェ・ゲバラ処刑、イラン・コントラ、副大統領だった父ブッシュからもらった表彰状の中味とは?キューバ革命後、上流階級のキューバ亡命者はケネディ政権の何を憎悪したのか。
▲ 加茂雄三 編 『キューバ革命』 「ドキュメント現代史11」 平凡社 1973
キューバ革命の資料集
▲ 『スパイ帝国 CIAの全貌 ロックフェラー委員会CIA活動報告書』 共同通信社外信部・藤田博司他編訳 徳間書店 1975年 262頁 定価850円
この項 続く
その3は下▼の書誌情報