野散 NOSAN 散種 野の鍵 贈与のカオスモス ラジオ・ヴォルテール

野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

中村雄二郎さん追悼 そして中村訳 フーコーの『知の考古学』 

2017年11月26日 | 旧刊書遊記
2017年8月末、新聞に中村雄二郎さんの訃報が載った。91歳だったそうだ。『現代思想』、『思想』、『世界』誌などで、中村雄二郎の論文や評論をよくみかけたのだが、ここしばらく、読んだ記憶が薄れ、雑誌などの掲載を見ていなかったのだ。どうしているのだろうと思っていた矢先である。1969年に出版された、ミシェル・フーコーの『知の考古学』をいち早く紹介し、1970年秋には訳・注・解説を入れて400頁を越える『知の考古学』を河出書房から出していた。 . . . 本文を読む

『ユリイカ 特集 太宰治 私とは何か』 所収 寺山修司 「歩け、メロス・・太宰治のための俳優術入門」

2017年06月09日 | 旧刊書遊記
『ユリイカ 特集 太宰治 私とは何か』 所収 寺山修司 「歩け、メロス・・・・太宰治のための俳優術入門」 1975年3-4月号 . . . 本文を読む

読書日誌 直木孝次郎 『日本古代兵制史の研究』 1968 吉川弘文館 ほか 1-1

2016年03月27日 | 旧刊書遊記
読書日誌・旧刊・新刊 播種 直木孝次郎 『日本古代兵制史の研究』 1968 吉川弘文館直木孝次郎 『日本古代国家の構造』 1958年 青木書店 . . . 本文を読む

石垣綾子 「アグネス・スメドレーの思い出 ー『偉大なる道』執筆の頃ー」  1955 岩波書店

2013年04月22日 | 旧刊書遊記
このエッセーは、アグネス・スメドレーの著書 『偉大なる道 朱徳の生涯とその時代』 阿部知二訳 1955 岩波書店 の下巻に収録された、石垣綾子のスメドレーとの交友録である。1945年から親しく付き合い始め、イギリスに渡り、死の直前まで著書の完成にむけて執筆続けたスメドレーとの交友を綴ったものである。この頃アメリカ国内では、アメリカの対中国政策が大転回をはじめ、レッドパージへの動きが急速に進み、アグネス・スメドレーの身辺にも、監視の目と、フレームアップの記事が踊り始めていた。石垣綾子がみた1945年~1950年前後のアメリカを語る貴重な証言記録ともなっている。 . . . 本文を読む

叢書文化の現在 1980年11月ー1982年7月 岩波書店

2013年04月20日 | 旧刊書遊記
叢書文化の現在 1980年11月ー1982年7月  岩波書店  編集委員 磯崎 新 ・一柳 慧・井上ひさし・大江健三郎・大岡 信・清水 徹・鈴木忠志・高橋康也・武満 徹・東野芳明・中村雄二郎・原 広司・山口昌男・吉田喜重・渡辺守章 先日山口昌男が亡くなり、山口昌男の著作や、関係した雑誌など手近にあるものを探しだしたのだったが、山口人脈というか、山脈を形成している知的つながりがどうしてうまれたのか気になった。彼が北海道生まれで、官許アカデミズムから遠く隔たったところで人間形成していったのが、彼の知的淵源の底にあるのかも知れない。岩波文化とはかなり相性がよかったのか、思想・世界・へるめす・多くの叢書で山口昌男の姿が見える。けれども晩年期の山口は中央の文化文脈からも縦横無尽に飛翔し、『敗者の精神史』『挫折の昭和史』等を書き上げた。70年代末から80年代初頭の頃の山口昌男人脈・山脈の一端がこの叢書中にあるのだが。また、この岩波文化執筆陣では取り上げられなかった文化の底辺を支える未知の分野もたくさんある。 山口昌男が深掘りをかけていった日本文化の深層の豊穣さを知るために、まずは、70年末から80年初頭の文化の状況を確認していこう。 . . . 本文を読む

20130409 『江上波夫教授古稀記念論集』 歴史篇 1977年 山川出版社など 古書到着便

2013年04月10日 | 旧刊書遊記
低気圧による大風と豪雨で配達が遅れていた書籍が4月9日到着。 『江上波夫教授古稀記念論集』 歴史篇 1977年 山川出版社  黛弘道編 『古代国家の政治と外交』 2001年 吉川弘文館  目黒区教育委員会編 『広開土王碑と古代日本』 1993年 学生社  森克己・田中健夫編 『海外交渉史の視点』 1ー3  1975年 日本書籍     . . . 本文を読む

『政治社会史論叢 山田英雄先生退官記念会編』 1986 近藤出版社 

2013年03月14日 | 旧刊書遊記
『政治社会史論叢 山田英雄先生退官記念会編』 1986 近藤出版社 が本日古本屋から到着。坂元義種の 5世紀の倭の五王に関する論文 「大明四年の倭国王」が収載されているために注文したのだったが、考えてみれば、坂元義種は大阪大学院に行く前、新潟大学で学び、山田英雄に出会い、古代史の眼を開かれていたのだった。またこの論集刊行の発起人の一人に甘粕健の名を発見。不思議でもないが、人脈の糸がほの見えてきた。 . . . 本文を読む