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小田実1960年ギリシアの旅

2021年05月23日 | 小田実

小田実1960年ギリシアの旅

 ▲『黒いアテナ 古典文明のアフロ・アジア的ルーツ』2004年 藤原書店

 

小田実1960年ギリシアの旅

最近は夕食に350mlの缶ビールを飲むと、まるで睡眠誘発促進剤のようになる。気がつくと、本がアイマスクになっている。さて、朝になったかと気持ちよく目覚めると、まだ午前1時。付箋を貼っていた本も付箋を貼りすぎると本の厚さが変わり変形してしまう。それで今日は深夜から、小田実の「『黒いアテナ』のすすめ 」という、代々木ゼミナール時代の教え子が訳した本に寄せたodamakoto 紹介文を再読しながら、メモをとることにする。以下の文章は2004年刊行のバーナール著、金井和子訳『黒いアテナ 古典文明のアフロ・アジア的ルーツ』藤原書店への小田実による推薦文の一部                   「ホメーロスはふつう「ヨーロッパ、西洋文学の父」とされている詩人だ。しかし、ホメーロス生きていたころ、私たちが考える「ヨーロッパ、西洋」は存在したのか。ホメーロスが生きた紀元前八世紀にその名の文明はあっただろうか。当時の、「ヨーロッパ、西洋」はただの黒い樹林のひろがりとしての土地があっただけのことではないのか。            同じことは時代はもう少しあとのことになるが「西洋哲学の始祖」ソクラテス、「(西洋)歴史の父」ヘロトドス、「(西洋)医学の開祖」ヒポクラテスにも言える。彼らが生きた時代には、「ヨーロッパ、西洋」はいぜんとして、ただ黒い樹林のひろがりとしてあった土地で、その名の文明があったわけではない。                 なかったものの「父や「始祖」「開祖」になれるはずがない。逆に言えば、その子孫を僭称することはできない。元来が無関係のはるか昔の偉人を先祖と称して自分を偉く見せるのはサギ師のよくやることだ、「ヨーロッパ、西洋」はそのサギをやって来たサギ師のように見える。・・・・・・・私の旅はヒッチハイクの車を乗り継いでの無銭旅行に近い旅で、それだけギリシア人社会の中に入り込む度合い強う、深い旅だったからにちがいない、その印象は強かった。社会の奥の、あるいは下のチマタの人であればあるほど「白い」度合いより「黒い」度合いは強くも深くもなった。今も、ギリシアに行くたびにある。            私にはギリシア人自身が、自分をヨーロッパ人、ヨーロッパ世界の一員として考えることに違和感を追っているように見えた。この違和感は、庶民・・・チマタのギリシア人であるほど強くなる。1960年の最初のギリシアへの旅で私を驚かせたのは、ギリシア人がパリへ行くことを「ヨーロッパへ行く」ということばで言いあらわしていたことだ。いや、今も似たようなことばや気持ちの表現を私も耳にする。「どこかちがう」・・・・・彼らがそう感じていることは今も変わらない。その「どこかちがう」の「どこか」は何か。(バーナール著、金井和子訳『黒いアテナ 古典文明のアフロ・アジア的ルーツ』藤原書店への小田実による推薦文の一部(33頁ー34頁)

 

 

 

 


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