いまジャーナリストとして

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東大の秋入学のおかしさ・・・日本が低迷してきたいまになって、「国際基準」にというのはどうでしょう。

2012年01月26日 17時53分40秒 | 日記


 東大はじめ日本の大学が、ここへきて、秋入学を唐突
に打ち出したのは、どうしてでしょうか。
 太平洋戦争が終わってすでに67年がたちます。
 日本の教育制度は、戦後、アメリカの指導によって現
行の制度になったわけですが、67年の間に、いくらで
も、秋入学に変える機会があっただろうと思います。
 「アメリカに合わせる」というのであれば、むしろ、
戦後すぐ、アメリカの影響力が強力な昭和30年代のほ
うが、はるかに実行しやすかったでしょう。
 入学の時期がずれていて、たとえば、アメリカに留学
すると、日本の大学に戻ったとき、復帰する学年がおか
しくなるという状態は、戦後長い間、ずーっと存在して
いたわけです。
 「国際基準に合わない」という状態は、いま始まった
ことではなく、昔から、あったのです。
 そんなことは、みんな承知で、みんな当たり前のこと
として受け止めていました。
 それで、何の支障もなかったのです。

 それなのに、なぜ、いまになって、秋入学を打ち出す
のでしょうか。
 ひとつの答えは、
「日本の大学が、自信を失っているから」
です。

ついこのあいだ、1980年代から90年代前半にか
けて、日本は、経済力を軸にして、アメリカを追走し、
アメリカをしのぐ勢いでした。
 科学立国、電子立国という言い方も生まれ、日本の科
学界、日本の大学は、自信に満ちあふれていました。当
時の大学の課題は、日本への留学生をどう増やすかとい
うことでした。
 日本から海外に留学するのではなく、海外から日本に
留学にきてくださいというわけです。
 それならば、日本の入学の時期に、海外から来る人が
合せてネーーということになります。

 このころ、「秋入学」などと、日本の大学の関係者が
発言するのを聞いたことがありません。
 それは、「日本が世界の中心になっている」という思
いがあったからです。
 日本が世界の中心? 
 そんな馬鹿なと、いまなら思うでしょう。
 しかし、当時、「パックス・ジャポニカ」という言葉
があったのです。「日本による平和」という意味です。
 世界第二位の経済力、アメリカに迫る経済力を背景に、
「日本の経済力による世界平和」という意味です。

 もともと、第一次大戦の前、イギリスが「太陽の沈む
ことのない帝国」として君臨し、それを、「パックス・
ブリタニア」と言いました。イギリスによる世界平和で
す。
 しかし、第一次大戦、第二次大戦を経て、イギリスが
衰え、代わりに、アメリカが台頭しました。アメリカは
「世界の警察」として超大国の地位を得て、それを「パ
ックス・アメリカーナ」と呼びます。アメリカによる平
和です。
 そして、日本経済が圧倒的な力を持ち、アメリカをし
のぐように思えたころ、それを「パックス・ジャポニカ」
といったのです。バブルのころ、1988年、89年の
ころです。

 バブルとはよくいったもので、私たちは、「泡」でふ
くれあがったものを、日本の実力と勘違いしたのですね。
 当時、「日本の大学を国際基準に合わせて秋入学にし
よう」と提案したら、馬鹿にされたのではないでしょう
か。「何を言うんですか。世界の大学が日本の基準に合
わせればいいじゃないですか」と猛烈に反論されたので
はないでしょうか。
 
 日本の経済力(GDP=国内総生産)が、中国に抜か
れて世界二位に転落したのは、去年のいまごろ、ちょう
ど1年前のことです。
東大の秋入学の議論が出たのは、そういうタイミング
です。
日本経済が低迷したから、日本を国際基準に合わせま
しょう。そんなイメージです。
なんだか、なさけないでしょう。

日本が強かった80年代、90年代前半にすでに「秋
入学」を打ち出しており、今回、改めて「秋入学」を提
案するというのなら、まだしも分かります。
そうではなく、日本の力が落ちてきたから、日本の大
学の力が落ちてきたから、日本を国際基準に合わせたい
ーーというのは、志が低くはありませんか?




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