江戸前の作法というものがあります。ネットで「江戸前の作法」
と検索すると、「寿司の食べ方」みたいなことばかり出てきますが、
そうではなく、日常生活での人と人のやりとり、生活を楽しくする
ような気遣いを、江戸前の作法というのだと、聞いたことがありま
す。
たとえば、ちょっとしたことで、人と言い争いになることがあり
ます。そういうとき、どちらかがちょっと冷静になって、
「ごめん、ちょっと言い過ぎた」
と言うと、もう一方が、
「いや、俺のほうも大人げなくて、すまなかった」
と応じます。
それで、さっぱりと仲直りするわけです。
別に、江戸前の作法という言葉を持ち出さなくても、そうやって
仲直りするということは、珍しいことではありません。
江戸前というと、江戸、東京のことになってしまいます。いや、
日本全国、どこでも、そうやって仲直りするというのは、ふつうに
あることです。
いまここで出した例でいうと、それは、まず、どちらかがちょっ
と譲る。そうしたら、相手も、同じように、ちょっと譲る。大事な
のは、お互い、ちょっとずつ譲り合うことによって、相手を立てる
ということです。そのときに、「ごめん」とか「すまない」という
言い方をしますが、それは、決して、「謝罪」とか「おわび」とい
うほどのものではなく、むしろ、相手を立てるという感覚だと思い
ます。
ところが、この作法が、外国に対して通用するかというと、通用
しません。
この作法が通用するのは、日本国内、あるいは、お互い日本人同
士という場合に限定されます。
外国に対し、この江戸前の作法をやって、失敗したのは、韓国と
の外交でしょう。
慰安婦問題で、日本は、1993年(平成5年)に、当時の河野
官房長官が、いわゆる河野談話というものを出し、
「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわた
り癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省
の気持ちを申し上げる」
と、「心からのお詫びと反省の気持ち」をはっきりとうたってい
ます。
この河野談話は、その後、いろいろ問題点が指摘され、日本とし
て禍根を残したという批判もあります。この談話は出すべきではな
かったという主張もあります。しかし、いまは、それを論じません。
そうではなく、いまは、この河野談話では、はっきり「お詫びと
反省」を表明していることを取り上げます。
江戸前の作法ということでいえば、我々、日本人の感覚では、と
もかくも、こうやって、おわびと反省を表明し、こちらが譲って相
手を立てたのだから、これで、問題は解決されるだろうと思います。
これでもう、仲直りできると思います。それが、日本人の感覚です。
ところが、それは、日本国内だけ、相手も日本人である場合にだ
け、通用する話でした。
韓国は、この河野談話の後も、くどいほど、「日本は謝れ」「日
本の謝り方は心がこもっていない」というようなことを言い続けま
した。
そのため、日本人は、「いったい、どうやって謝れば、いいのだ」
「いつまで謝ればいいのだ」という気持ち、というより、不信感を
を持ち始めました。
とくに、朴槿恵大統領が、就任してすぐの演説で、「加害者と被
害者の関係は千年たっても変わらない」と明言したものですから、
日本人は、「うわ、これはだめだ」と思ってしまいました。
日本側の「おわびと反省」が、どうして、韓国は、素直に受け止
められないのだろうーーそれが、おおかたの日本人の感想でしょう。
どうしてでしょうか。
それについて、シンシアリーさんという韓国人が、明快な解説を
してくれています。
シンシアリーさんは、韓国人の歯医者さんで、「シンシアリーの
ブログ」というブログを書いています。シンシアリーさんは、韓国
の現状に絶望し、韓国の抱える問題点を、自分のブログで発信して
います。日本語が上手で、「シンシアリーのブログ」も、日本語で
書いています。そのブログをまとめたものが、すでに、4冊、扶桑
社から本になって出版されています。もちろん、シンシアリーとい
う名前は、本名ではありません。
そのシンシアリーさんが、釜山の慰安婦像を批判し、1月13日
のブログで、韓国のおける「謝罪の意味」について、説明しています。
大変参考になるので、引用します。
「韓国では、謝罪は、『下』になると認めることです」
「韓国人にとって、上下関係は、死活問題です」
この部分を少し私が解説しておくと、シンシアリーさんによると、
韓国では、儒教の影響がいまでも強く、人と人のつきあいでは、ど
ちらが上で、どちらが下か、ということが、非常に重大な意味を持
つのだそうです。そして、自分が『上』になったら、『下』の人に
対しては、何をしても許されると思っていると、シンシアリーさん
は、解説します。
ですから、「韓国人にとって、上下関係は死活問題です」という
文章になるわけです。
引用を続けます。
「韓国で、『ごめんなさい』は、『私は罪人です』の意味から来
ているのです」
「韓国人にとって、上下関係は死活問題です。そして、罪は、『下』
を意味します」
「謝るなど、罪人のやることだーーその考えが、韓国人の『上下』
に強い影響を及ぼしている」
シンシアリーさんは、韓国生まれの韓国人です。しかし、ご両親
が日本語が出来て、ご両親から日本語を習い、日本のことをよく知
るようになりました。そうやって、韓国と日本、韓国と海外を自分
で比較するようになりました。
ですから、「謝罪」「おわび」について、韓国人と日本人の感覚
の違いが、的確に説明されているように思います。
シンシアリーさんの説明で分かるように、「おわびと反省」をし
たことで、日本のほうが『下』になってしまったわけです。
これは、韓国にとっては、非常に気分のいいことです。
それなら、日本にはずっと『下』でいてもらおう。
ですから、韓国にとって、日本はずっと「おわび」と「謝罪」を
し続けてもらわないと、困るのです。
韓国にとっては、日本の「おわび」を受け入れた瞬間に、日本は
『下』ではなくなってしまうのです。
いったいいつまで謝らなければならないんだ?という疑問への答えは、これで、出ています。
そう。韓国の立場では、日本は、ずっと謝らなければならないのです。
相手にちょっと譲ると、相手も同じようにちょっと譲ってくれる。
そうやって仲直りする。そういう作法、「江戸前の作法」を、日本
人は、いいことだと思ってきました。
いまでも、普通の日本人は、そう思っているでしょう。
ところが、そうした作法は、日本を一歩出ると、通用しないので
す。
それどころか、相手に利用されるだけになるかもしれません。
私は、江戸前の作法が、好きです。
そうありたいと思っています。
しかし、外国との交渉、つまり、外交の場では、江戸前の作法は、
通用しない。むしろ、不利な結果につながるかもしれない。
冷静に、そう考えておく必要があると思います。
しかし、それにしても。
そんなこと、政府・外務省は、分かっていなかったのでしょうか。 「ごめん」と言っておけば、相手も納得して仲直りできると、日
本の外務省は、ずっと、考えていたのでしょうか。
しっかりせよと書いておきます。
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