野田内閣の閣僚の不用意な失言が相次いでいます。
この週末には、鉢呂・経済産業相が辞任に追い込まれ
ました。鉢呂氏は、福島に視察に行った感想を聞かれ「ま
さに死の街という感じでした」と答えました。さらに、
また、取材に来た各社の記者に対し「放射能をつけちゃ
うぞ」といって、自分の服をこすりつけるような恰好を
しました。
この言動が問題となり、辞任したものです。
ほかにも、いろいろ発言がありました。
平野国対委員長は、国会の会期を4日間と短く設定し
たことについて、「内閣がまだ不完全で対応できないか
ら」と答えました。この人は失言の多い人です。
小宮山厚労相も、「たばこは700円ぐらいまで上げ
ても税収は減らないから、そのぐらいまで持っていきた
い」と会見で口にしました。
さあ、これを、どう考えればいいのでしょう。
第一に、いずれも、民主党が野党であれば、そう問題
にはならなかったかもしれません。
たとえば小宮山氏の発言ですが、もし小宮山氏が野党
の議員であれば、いくら「たばこは700円に値上げす
るべきです」といったところで、新聞もテレビも取り上
げないでしょうし、だれも相手にしないでしょう。それ
を厚労相として言えば、発言の重みはまるで違います。
政権を取ったことがなかったので、政権の座、権力の
座にある人間が、どれほどの発言力を持っているか、民
主党の政治家は実感として分かっていないのだと思い
ます。
自民党からも、失言がいろいろ出ています。
問題発言を連発するのは、石原幹事長です。この人は、
9月11日のアメリカ同時テロ10周年に関連し、「こ
のテロは、歴史的必然といえるのではないか」と発言し
ています。
新聞各紙の扱いは、せいぜい囲み記事の扱いでしたが、
もし、石原幹事長が、いま与党にいて、たとえば経済産
業相だったとすれば、この発言は、ものすごい批判を受
けます。「死の街」どころではないでしょう。
もしかすると、アメリカからも批判が相次いで、日米
関係に影響か?みたいなことになっていたかもしれま
せん。
この人は発言は、いつも、本当に軽い。政治家として
は失格かもしれませんね。
しかし、第三に、ちょっと待て、といいたいところが
あります。
こういう発言は、政治家として、許されるものではな
い。経産相が福島を「死の街」と表現してはいけないで
しょう。「放射能をつけちゃうぞ」というのも、立場を
考えると、まずいでしょう。
しかし、あえて誤解を恐れずにいえば、こういう言い
方は、私たちも、ついしてしまう可能性があります。
普段の生活の中で、言わないほうがいいけれど、つい
うっかり言ってしまうことというのがあります。そんな
経験は、だれしも、何度かあるでしょう。
たとえば、原発周辺の町を見に行ったとします。帰っ
てきて、「原発周辺の町って、どんな感じでしたか?」
と聞かれ、「うーん、人っ子ひとりいないんですよ」ぐ
らいは答えるでしょう。実際、立ち入り禁止で、だれも
いないのです。そこで、つい「うーん・・・まさに死の
町というか・・・」と続けてしまうというのは、ありそ
うなことです。
つい不用意な言葉というのは、あるものです。
もちろん、政治家、とくに政権にある政治家が不用意
な言葉を口にするのは、ほめられたものではありません。
しかし、それでもなお、ついうっかり、ということは
あります。
ひとつの基準として、差別的な発言は許されません。
性別や人種、民族、あるいは、職業、出身、学歴、そ
ういったことを攻撃するような差別的な発言は、これは
絶対に許されるべきではありません。
しかし、そうした差別的な言葉ではなければ、ちょっ
とした不用意な失言というのは、もう少し寛容に対応す
るべきではないのでしょうか。
ちょっとした不用意な発言をとらえ、野党が与党を攻
撃する。首相の任命責任まで問う。
その結果、国政が停滞する。
――これほど、無意味なことはありません。
野党が鉢呂氏の発言を問い、国会で追及するというの
であれば、与党だって石原幹事長の「テロは歴史的な必
然」という発言を問えばいいのです。
しかし、そんなことをすると、国会は、言葉尻をとら
えた報復合戦ということになっていまいます。
不用意な失言は、もちろん、あってはいけないことです。
しかし、あえて言いたいと思います。
政党もメディアも、もう少し寛容になってもいいのでは
ないでしょうか。
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