いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

陸前高田のいま(3)・・・市街地から山に向かう登り口にカラフルな家があって・・・。

2014年01月05日 21時33分08秒 | 日記

 2014年のこのブログの第一回目は、陸前高田の訪問記の続きです。
 陸前高田を訪問したのは、昨年2013年11月のことでした。
 我々は、いわゆる「奇跡の一本松」を見て、陸前高田駅の現状を取材し
ました。
 その後、あの日とこまで津波が来たのかをみるため、陸前高田の旧市
街地から、山の方へむかいました。
 すると、こんな建物が目に飛び込んできました。



 えらくカラフルな建物で、ひときわ目立っています。
 近寄ってみましょう。



 驚きました。
 原色をふんだんに使った可愛い建物で、明らかに、被災後に
新しく建てられたものです。
 仮設住宅という感じではありません。
 人が定住するには、ちょっと小さい感じです。

 向かい合って、10棟ほど並んでいます。
 ちょっと不思議な光景です。
 すると、車に乗って、男性がやってきました。
 話を聞くと、この方が、ここのオーナーのようです。
 「いや、もともとね、ここに、ジャズバーみたいなもの
を作ったんです。陸前高田にジャズをというわけでね。
 ところがね、建ててすぐ、そう、半年も経たないうちに、
3・11になって、全部やられてしまったんですよ」
 なるほど、そういう場所でしたか。
 
 この方によると、ちょうど、この当たりまで、津波が
来たそうです。
 「初めはね、津波が来るというので、いったい、どう
いうものか、どんな津波が来るのか、ちょっと見てやろ
うという気持ちだったんです。
 ほら、ここは、ちょっと高台になっているでしょ」
 
 ここは、市街地から、緩やかな坂を少しだけ登った
ところにあります。
 山に向かう坂の登り口というあたりです。
 ここまで津波が来るとは、たしかに、思わないでしょう。
 「そうでしょう。ところがね、あの日、津波が海岸
から市街地に入ってきたと思ったら、あっという間に、
市街地を飲み込んでしまいましてね。
 もう、とても、津波を見てやろうというようなもの
じゃなかったです。
 あっという間に、津波がこのあたりまで来て、びっく
りして、山のほうへ逃げたんですよ。
 作ったばかりのジャズバーも、津波ですっかり流
されちゃいましてね。本当にびっくりしました」
 でも、よく助かりました。

 でも、いま、ここに経っているカラフルな家は?
 「でね、津波でジャズバーがすっかり流されたあと、
放ってほいてもしようがないので、これを建てたん
です。 
 陸前高田に来ていただくボランティアの方とか、
そういう方に、ここに泊まっていただこうというので、
ここに、これを建てたんです。
 ここに泊まっていただくなり、利用していただけ
れば、と思っています」
 
 なるほど。
 そういうことでしたか。
 カラフルな色合いにしたのも、明るい気持ちでやって
いこうという狙いだそうです。
 全景が、これです。

 
 このカラフルな住宅の横に坂があり、そこを少し登って
振り返ると、こんな感じになります。

 平らな市街地から、少し高台になっているのがよくわか
ります。

 ここから逆の方向、山側を見ると、すぐ上が、こんな
ふうになっています。

 ここが、まさしく、津波が押し寄せた末端です。
 この家は津波にやられて壊れていますが、この家のすぐ
上にある家は、まったく何事もなかったかのように無事に
立っています。
 おわかりになるでしょうか。
 
 すぐ上の家は、白い壁も、そのまま残っています。
 さらに、坂のもう少し上の家になると、まるまる、きれいに
残っています。
 写真をご覧ください。

 いま、この写真を撮っているすぐ横が、さきほどの
カラフルな家、ジャズバーの跡地です。
 テレビでも映していましたが、まさに、ここが、津波
が押し寄せた最終地点ということになります。
 ほんのわずかな高低差が、大きな違いとなりました。
 残酷なほどの対比です。
 陸前高田の市街地も、もう少し標高があれば、津波の
被害もあんなには大きくならなかったのではないかと
思うと、やりきれないものがあります。


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