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My Graffiti Board

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ベークカメラの定番だった?一光社の "Start-35"

2008-08-14 12:59:15 | その他
ふとした切っ掛けで、何十年もその存在すら忘れていたカメラが出てきました。
昭和二十年代から三十年代にかけて、当時の少年たちの憧れでもあったベークカメラ、一光社の "Start-35" です。ベークとはベークライトの略で合成樹脂のことです。ボディーがベーク製だったので、そのように呼ばれたのだと思います。
この "Start-35" は、当時の初心者用のカメラ、あるいはトイカメラとしては定番?だったと思います。
サイズは、幅80mm,高さ55mm,奥行き50mmくらい。シャッターは(インスタント、1/30秒程度)と(バルブ)の二つだけ、ファインダーは素通しです。フィルムはボルタ判と呼ばれる裏紙つきの35mmフィルムを用い、装填は背面から、三脚穴も付いています。
当時のフィルム感度は、たしか、ASA 50(ASAってISOと同等)程度だったので、日中の太陽光が十分な時に撮ることで、そこそこの結果が得られた様に思います。もちろん白黒写真ですが・・・
初心者用のカメラとはいえ、子供の小遣い程度では買えるはずもなく、何年越しかの親との交渉?で年相応になった頃にやっと買って貰った様に記憶しています。
最初の頃はフィルムなど不用、素通しのファインダー覗きながらシャッターボタンを押すだけで満足でした。
カメラを所持した事自体が子供心にもステータスを感じ、級友に自慢話のひとつも出来た時代でした。もっとも、フィルム価格はそれなりに高価で、町の写真店へ頼む現像と密着プリントの費用も子供の小遣いではそうそう賄いきれない額でした。
今のデジカメの様に、とにかくたくさん撮って一枚でも二枚でもベストショットがあれば良いなどとは雲泥の差でした。何度もファインダーを覗き返し、息を凝らしてシャッターボタンを押す、自分の脳裏に思い描いた光景をフィルムに焼き付けた瞬間が至福の時でした。しかし、それから幾星霜、プリントは何故か一枚も手許に残らず、正に強者どもが夢の跡のごとくカメラだけが今ここに往事の姿を留めています。



クリスタルガラスの "スワロフスキー" から2GBのUSBメモリーが

2008-07-30 12:59:15 | その他
若い女性に人気のブランド、クリスタルガラスを使った高級アクセサリーの "スワロフスキー" が、フィリップスとのコラボで、なんとUSBメモリーを発売すると発表しました。
二種類あって、そのヒトツは、約4cmの丸いクリスタルをあしらった "MOON" 。ペンダントとしても着用可能なネックレス付きで、黒とシルバーの2種類があります。
メモリーとして使う時は、USBコネクターをスライドさせてパソコンなどに接続します。
もうヒトツは、ロボットがモチーフとしてあしらわれたメモリー。黒いモデルは "NAUGHTY RAYMOND" 、白は "HAPPY LAURA" と名付けられたキャラクターが、細かいクリスタルで描かれています。
頭の部分をボディーから抜き取ってパソコンに差し込むタイプで、短いチェーンが付きアクセサリーとしても使えます。
いずれも2GB、前者が35,700円、後者は28,350円で九月発売とか・・・果たして、どんな使われ方をするのか?想像もできません。

世界5局の標準電波に対応したデジタルウォッチが思い起こさせるモノ・・・

2008-07-23 17:29:15 | その他
少々訳ありで電波時計をプレゼントされました。
今の自分は一分一秒に追われる様な生活ではないので、必需品では無いと言うと嘘になりますが、出掛ける時にはやはり腕に付けて出ます。
今春、発売になった世界5局の標準電波に対応した電波受信機能と蛍光灯のわずかな光でも駆動する充電システムを搭載した角型フォルムの "G-SHOCK" 。何でも二十五年前の初代モデルの文字板レイアウトに加えて、文字や縁取りなどカラーリングも継承したアニバーサリー・モデルだそうです。
"G-SHOCK" って最新のテクノロジーが凝縮されたタフな腕時計としての認識はありますが、これまで特に自分用として考えた事はありませんでした。
今まで腕にしたヤツを思い起こしてみると、学生時代に何個を取っ替え引っ替え使いましたが、どれもオヤジのお古だった様に思います。当時は、腕時計もそんなに安いモノでなく、極論すればカメラ同様に財産の一部だったのかもしれません。
就職するので、初めてORIENTの二針で小さな秒針が付いた腕時計を五千円くらいで買った様に思います。
しかし、本当は秒針も同軸になっている、いわゆる三針が欲しかったのですが高くて買えなかった・・・当時の学卒者の初任給は二万円足らずでした。
1970年頃、突然、海外出張を仰せつかり、何しろ初めての事でもあり色々と身支度を整えた。その時に奮発して三針の "SEIKO LORD MATIC" を二万円くらいで入手しました。念願のモデルで八年ほど使用しました。
1970年代も後半になるとデジタルウォッチも安価になってきて、アナログ時計はドンドン姿を消していきました。ちょうどその頃に、液晶で世界地図が表示され世界の主要都市の時刻にワンタッチで切り替えられる "WORLD DIGITAL WATCH" がSEIKOから発売になり、飛びつく様にして買いました。スタンダードのデジタルウォッチは一万円台で買えたのに、これは破格の四万五千円もしました。
これはとても気に入っていてその後、海外出張もそこそこあり、電池交換をしながら二十年ほどでしたが、たいへん重宝しました。
しかし、さすが液晶の製法技術がふた昔も前のモノで、表示部の劣化が進み実用に耐えるギリギリまで来た様に思われリタイアさせました。
これに代えて、買ったのがSEIKOの逆輸入時計。三針はもちろん、小さな二針時計と60秒時計、30分時計が付いているいま風の時計です。
デザインも機能も満足していますが、唯一、アナログ時計の宿命か?大の月と小の月の判別が出来なくて、二ヶ月に一度、月初めに日付の小窓の数字を見ながら"31" から "1" に送ってやる必要があり面倒と言えば面倒です。当然、クオーツですから、時報に合わせる必要もなく、合っていて当たり前の精度で不自由はありません。
それが、ある日突然の様な "G-SHOCK" の登場で、時刻合わせも電池の交換もフリーになり、これから先、何時まで時を刻み続けるのか?私の人生との競争になるのかも知れません・・・
 
余談ですが、
日本の標準時間は、40kHzの標準電波が国内二カ所から送信されていて、それを電波時計で受信して時刻を較正する仕組みになっています。
その電波の大元を管理しているのが、東京都小金井市にある情報通信研究機構(NICT)です。
たまたま今週末に研究施設の一般公開があります。情報通信研究機構って馴染みがありませんが、私達の年代の人には電波研究所と言った方がわかりが良いかも知れません。
昔は、5MHz/10MHz/15MHzの標準電波(JJY)を24時間出していて、周波数の基準と時刻の基準として利用した方も多いと思います。
時刻について、改めて勉強したい人は是非行かれる事をお奨めします。

琢郎の歌の魅力、果たしてきた役割をエッセイとインタビューで

2008-07-17 20:59:15 | その他
駅前に出たついでに前々から気にしている本があり書店へ立ち寄ってみました。
パソコン雑誌のコーナーから音楽雑誌のコーナーへ移動すると、直ぐに「吉田拓郎読本」が平積みになっているのが見えました。出る出ると春頃から噂?され、その都度ですが、発売日は延び延びになっていました。CDジャーナル ムックで、どうやら昨日?店頭に置かれたようです。
吉田拓郎を知ったのは、独身時代の最後の頃で、彼のファン(支持者?)の多くは私より若い、いわゆる団塊の世代以降の若者達であったはず?そんな意味に於いて、私は奥手だったと今にして思います。
買ったばかりで、まだ、パラパラとページをめくった程度ですが、まず冒頭では、
1970年にレコードデビューを果たしてから、38年。吉田拓郎の活動はまさしく「大いなる歩み」というしかない足跡を音楽シーンに残してきた。
ライブでもレコードでも、あるいはラジオをはじめとするメディアでも、彼の存在を抜きにして日本のポップスを語ることはできない、と、彼のスケールの大きさを称えています。
1972年、CBSソニーに移籍し、あの "結婚しようよ" が大ヒットになると、それまでのファンからは大ブーイング、「帰れ!、帰れ!」コールの洗礼を浴びもした。しかし、それにもめげず更に成長し、1975年、今となっては伝説的なあの "つま恋" を成功させ、ファンの心をガッチリと掴んでしまった。
この当時の私は "FM東京" のエアーチェック用にカセットデッキを二台も買い込み、FM Fanや週間FM、FMレコパルなどで「フォーク」や「拓郎」の文字を探し、毎日毎日が留守録に明け暮れた時代でした。その録音済みのカセットテープの幾つかが手許に残り、まさに強者どもが夢の跡、今にして思えばよくやったと自画自賛ですが・・・
1970年代から、日本のフォーク・シーンを代表する存在として今も活躍し続ける吉田拓郎ですが、今日までに彼の果たしてきた役割、そして真髄である歌の魅力を彼とご縁の深い人物のインタビューやエッセイ、全曲解説、代表作の楽譜などを通して彼自身をクローズアップしています。
私のマッキントッシュにあるiTunesのライブラリーでは、オフコースやチューリップ、かぐや姫も多いけど、やっぱり "吉田拓郎" の楽曲が一番多いかな? これから "伽草子" の "暑中見舞い" なんか聴きながら、この「吉田拓郎読本」をジックリと読んでみようかと思っています。
主な内容は、
インタビュー
伊藤明夫/加川 良/山本コータロー/田家秀樹
エッセイ
大越正実/かなざわいっせい/田家秀樹
コラム
鈴木勝生/和田彰二/杉山達/古矢 徹
ディスク・ガイド
スタジオ録音全アルバムに加え、ライヴの傑作を紹介
代表作の楽譜を収録
「マーク?」「こうき心」「夏休み」「春だったね」「たどりついたらいつも雨降り」「リンゴ」「伽草子」「落陽」「外は白い雪の夜」「唇をかみしめて」
巻頭カラー
吉田拓郎 ある日、ある時
吉田拓郎の詩
「イメージの詩」「今日までそして明日から」「おやじの唄」「人生を語らず」「流星」「大阪行きは何番ホーム

日本国道路元標は橋の真ん中にあり目立たない存在ですが、

2008-07-16 20:59:15 | その他
所用があり中央区日本橋まで出掛けました。
銀座や有楽町まではしばしば出掛ける用事もありますが日本橋は久しぶりでした。
三越本店のエントランスの両脇に鎮座する大きなブロンズ製のライオンは手入れが良いのか?錆びも無さそうに見え、その前足は来店者がタッチするためピカピカでした。
この三越の直ぐ南側を流れる日本橋川に掛かるのが日本橋です。
上空には首都高が横切っていますが、現在の橋は1911年に架けられ、石造二連アーチ橋として国の重要文化財に指定されています。
この日本橋は、1603年に徳川家康の命により架けられ、東海道・中山道・日光街道などの起点とされました。現在でも、それは変わらず、ここを起点して道路のキロ数が表示されています。
国道1号や4号、6号沿いにある、日本橋まで○○kmという表示は、そこからこの日本橋の中央にある日本国道路原標までの距離で、橋のたもとにはレプリカがあり、その大きさ形を知る事もできます。
基準点となる日本国道路原標は橋の中央部分に埋め込まれていて、両側の歩道からは「多分あれだ」っと思われるくらい小さな存在です。
しかし、国道の起点として、その存在の大きさは計り知れないモノがありますが、地中にシッカリと埋め込まれたモノでなく、橋の上にあり、何とも頼りなさそうな存在にも思えます。

エアーラインマニアではない私にも、どこかワクワクさせる

2008-05-27 20:59:15 | その他
所用で出掛けた帰り道、東京郊外の古書店で、カラフルな旅客機が表紙になった本があり思わず手に取ってみました。最初はいわゆる航空マニア対象の専門誌かと思い、パラパラとページを繰ってみると、どのページもカラフルなミニチュアの旅客機のオンパレード。
エイ出版社から三年前に発行された「ミニチュア・エアライン」でした。
私は、エアーラインマニアではありませんが、正に、実機をソックリに、1/200スケールから1/400、1/500スケールにミニチュア化し、しかも、各エアーラインのカラーリングも忠実に再現されていて、本物を彷彿とさせるモノがあります。
また、ミニチュアゆえに、多くが左側面からの視点で統一されていて、エアーラインごとの違いを見比べるにも好都合です。
表紙にある様に掲載モデルはなんと1000機以上。
まずトップを飾るのは、日本航空の歴代モデル。 懐かしいモデルからレアなモデル、JAL永遠の翼シリーズをはじめ、現在はJALの傘下で国内線を運航する、旧JASのモデルも紹介しながら、その歴史を数々のモデルとともに振り返っています。
次ぎに、世界のエアライン特集では、ヨーロッパ、南北アメリカ、アジア・オセアニア、中近東・アフリカなど世界各地からの旅客機モデルが一挙掲載されています。
更に、各エアーラインごとのページでは、それぞれの旅客機モデルを、歴史的背景とともに紹介、消滅してしまった "PAN AM"や"TWA" などのモデルも掲載されています。
私が最初に搭乗した機材は、BOEING 707 でした。それは1970年の秋のことで、羽田発アンカレッジ経由コペンハーゲン行き。搭乗口へ向かう途中で、話には聞いていた、就航間もない BOEING 747 ジャンボジェットが垣間見えて、その大きさにビックリしたのを覚えています。
当時の羽田空港では各国の BOEING 707 が見られましたが、"鶴丸" の BOEING 707 はありませんでした。たしか、この頃は、国際線と国内幹線を日本航空が、その他、国内線の多くを全日空が運航していました。長距離の運航に日本航空は DOUGLAS DC-8 を採用した為、同じ四発ジェットの BOEING 707 は国内に無かったようです。
それで、私の初フライトになった BOEING 707 ですが、隈無く探すと、南北アメリカのエアーラインのページに、赤い尾翼が印象的な "NORTHWEST ORIENT" のモデルや伝説のエアラインのページに、青い地球マークを尾翼に付けた "PAN AM" モデルが掲載されていて、懐かしくその姿に眺め入りました。
そのほか、"ポケモン・ジェット" に代表されるアニメチックなカラーリングは、見る者の心を引きつけて止みません。ミニチュアながら、エアーラインマニアではない私にも、どこかワクワクさせるモノがありました。

ゼンプレでもらったミニサイクルは艤装に金が掛かる

2008-05-22 20:59:15 | その他
最近、家族の一人が携帯のインフラ変更でオマケ付きの新規契約をしました。その一週間後にオマケとしての20型のミニサイクルが届けられ、予期していたことですが、現物を目の当たりにして少々ビックリしています。
携帯の販売に当たって、インフラ各社から販売店に販売促進費が渡され、値引きの原資になっていると聞いています。
しかし、携帯の販売方法の見直しもあり最近は自粛方向で?進んでいると言われていただけに、オマケが自転車、それも契約した全員が貰える、いわゆるゼンプレとは益々驚きです。
こんな事なら携帯の販売価格を下げて貰った方が数倍嬉しいと思いますが、来てしまったモノを粗末にも出来ず、玄関脇に置いていて、我が家の自転車としては五台目です。
まぁ~オマケですから本当にシンプル、走る為の最低限の装備でベルだけ付いていました。
それで、取りあえずチェーン錠とフラッシュライトを別途購入しました。あと防犯登録が無いので所轄の警察署へ行って登録も必要かと思っています。そのほか、テールライトも付けたいし、なんだかんだ出費も多く、タダで貰ったはずのオマケも、高く付いている様に思われてきました。

数式をそのまま表示、計算できる式通り入力表示の電卓

2008-04-19 12:59:15 | その他
四則演算とメモリー付きの八桁液晶電卓がいよいよ使い辛くなってきて、買い換えを決めました。
最近はテンキーが滑らかに押せず、ギシギシする感触に嫌気がさし、それに加えて、太陽電池の起電力が落ちたのか?少し暗くなると液晶表示のコントラストが極端に薄くなり見辛くなっていました。
思えば、この電卓は二十五年も前に買ったモノで丈夫で長持ちしました。当時は一万円位でしたがが、今では同程度のモノは千円位でしょうか?
先日、秋葉原へ別件で行った折り、家電量販店へ立ち寄りました。電卓売場でアレコレと品定めしている時に、少し離れたところに、キーの数が多く変わった形の電卓が目に止まりました。直ぐにそちらへ行き、手に取ってみると、キーの数が多いはず、"関数電卓" でした。
今では、学生さんが多く用いている様ですが、私の時代は電卓が発売されるよりズーッと前で、専ら計算尺が必須アイテムでした。
そして、就職してから何年かはソロバンが手放せませんでした。やがて電卓が普及し始め、七十年代初めにはカシオから六桁電卓が(当時としては激安の) 12,800円で発売になり、電卓が個人の手に届く存在になった様に思います。それからでも四半世紀が経ち、電卓は、安いモノだと数百円で買える時代になりました。
電卓ばかりは、価格の高い安いはあっても、計算結果は同じ。
当たり前のことですが、あとは付加機能や好みのデザインなどで機種を決めることになります。今回もそんな事になるはずでしたが、急に心変わりして "関数電卓" を衝動買いしました。
今年になって発売になったばかりの新製品で、液晶表示(16桁×4行)、96×32ドット表示、桁数 10、定数メモリー 9、関数・機能数 295・・・と盛り沢山。三角関数と対数だけは普段でも計算要素になっているので、それだけでも便利かな?っと思っています。
また、関数を含む四則演算は、関数や数値をそのまま数式通りに入力していけば良く、これは大変便利な機能で気に入りました。気になった価格ですが、五千円もしないので、パフォーマンスはかなり良いかも?

「2001年宇宙の旅」などで知られる英国人SF作家、アーサー C クラークが

2008-03-19 23:29:15 | その他
SF小説「2001年宇宙の旅」などで知られる英国人SF作家、アーサー C クラークが19日、移住先のスリランカで死去したと報道されています。
英国サマーセットの農家に生まれ、WW2では空軍のレーダー技師として従軍。戦後、次々と作品を発表し、SF界を代表する作家となりました。
代表的作品に「幼年期の終わり」「都市と星」「地球帝国」「遥かなる地球の歌」「2001年宇宙の旅」の続編である「2010年宇宙の旅」「2061年宇宙の旅」「3001年終局への旅」などがあり、特に、1940年代には、2000年までに人類が月に到達すると予想していたそうで、SF作家として先見の明があると言うか、彼自身、アポロもスペースシャトルも、そのライブ映像を視てしまった訳です。
この「2001年宇宙の旅」ですが、一昨年、神田神保町のさくら通りにある中古レコード店で見付けました。前々から視てみたいと思いつつ果たせなかったこのLD(レーザーディスク)ですが、500円の値札に、躊躇いもなく買ってしまいました。
映画「2001年宇宙の旅(2001: a space odyssey)」は、アーサー C クラークの脚本を元に、スタンリー・キューブリックが映画化。この映画の特撮効果は、まさに革命的で、その後のSF映画の概念を一変させたと、今日まで語り継がれています。
「2001年宇宙の旅」の初上映は1968年、2001年には再上映。現在では、宇宙ステーションの建設も進行中で、つい数日前には日本の実験棟(きぼう)も設置され、SF小説の筋書きが、一部とはいえ現実のモノになりつつある事に少々驚きさえ感じます。
このLDは、ディスク二枚組で三面再生となっていて録画時間は139分です。この際、もう一度視てみたいと思いますが、二十年ほど前に買ったパイオニアのレーザーディスクプレーヤ "CLD-99S" が完動するか?些か心配でいます。

ボーイング "B-17" のプラモデルをやっと手に入れました

2008-03-01 15:15:15 | その他

十年前くらいだったか?WOWOWで視た映画 "メンフィス・ベル" に惹かれるものがあり、ビデオに録画しておきました。それから何年か経ったある日、たまたま、同じタイトルのDVDが発売されたのを知り直ぐに買い求めました。原題は "Memphis Bell"、1990年にワーナー・ブラザースから配給されたモノで、私自身は映画そのモノは見逃しています。
ストーリーは、第二次世界大戦下の欧州戦線、米国陸軍航空隊の "空飛ぶ要塞 B-17F" の一機 "メンフィス・ベル" に乗り込んだ十人の若者を描いた戦争映画。
この "B-17F" のなかで唯一、二十四回の白昼爆撃に出撃して無事帰投の強運を持つのが "メンフィス・ベル"。
そして明日はいよいよ運命のラストフライト。二十五回のミッションが無事終われば十人のクルーは英雄として故郷に帰れる。
クルーはそれぞれの思いで前夜を過ごし、翌朝、朝焼け雲をついてメンフィス・ベルと十人の若者は第三帝国のブレーメンへ向けて飛び立って行く・・・
映画全編の多くが "B-17F" の機内でのシーン。私は特に機体中央部に居る無線通信士の座席付近に興味があり、何度もスローとリピートを繰り返して視ていました。
機体中央左翼側に無線通信士のデスクがあり、短波受信機が置かれています。通路を挟んで右翼側には短波帯の送信機と受信機?が積み重ねる様に配置されているのが分かります。
"B-17F" に装備されていた無線通信機は、今でもある程度は特定出来るのですが、この映画に使われたモノが当時のモノと同じか?気になっていて調べてみることにしました。
"B-17" をタイトルとする書籍は、和書としては二冊?しかない様で、いずれも手に入れました。また、どんな機体だったか?都内の模型店を訪ね歩きましたが "B-17F" はありませんでした。あとで分かったことは、機体を製造したボーイング社との間で模型化する為の商標権の交渉が不調に終わり、日本では製作されていない?ようでした。
半ば諦め掛けていたところ、渋谷の東急ハンズの模型売場に何と、"B-17G" のプラモデルがあり即ゲットしました。韓国製の "B-17G" のプラモデルで1/72のサイズ。本当はもっと小型で、合金製があればベストなんですが、これは組立と塗装の工程もあり、なかなか手間が掛かりそうです。