その存在を忘れて居た訳では無いが、国際アマチュア無線連合(IARU)発行のアワード WAC(Worked All Continents)を、久しぶりに丸めて収めてあった筒から取り出してみた。
カール癖は直ぐには直らないが、心配したほど、色合いの退色や用紙の劣化も無さそうで安堵した。
1960年代後半、自分の半世紀に及ぶアマチュア無線歴からすれば、かなり早い段階に獲得した、唯一のアワード(賞状)である。
WAC(Worked All Continents)は、Suica Cardの四倍ほどのサイズだ。
WAC(Worked All Continents)を得るには、文字通り Asia Europe, Africa, North America, South America, Oceania つまり六大陸のアマチュア無線局と交信し、その証しとしての交信証(QSLカード)を相手局から得なければならない。
以下が、アワード(賞状)申請時の書類(写し)の一部だ。
該当する交信証(QSLカード)は複数あったが、自分なりに敷居を上げ、コールサインのサフィックスが二文字のモノに限りピックアップした。アジアについては、敢えて日本を外し、思い出に残る国のモノを選んだ。
具体的に記せば以下の様に、大陸名, コールサイン(国名), 交信年月日だ。
北アメリカ, W1AW(アメリカ), 1967/10/28
南アメリカ, CE3ZW(チリ), 1967/03/26
ヨーロッパ, F8OZ(フランス), 1967/08/19
アフリカ, 9J2MX(ザンビア ), 1968/11/06
オセアニア, FO8BJ(タヒチ), 1968/01/03
アジア, XW8BP(ラオス), 1968/01/14
いずれも 21メガ帶の CW つまり 「電信」で交信して交信証(QSLカード)を得たモノだ。
当時は「電話」での交信が一般的で「電信」は少なかった。
それ故、この当時の WAC(Worked All Continents)の申請では、全交信が「電信」だけであればアドバンテージが与えられて、特別に CW と特記されたが、21 オンリーは特記の対象外で少々残念な気持ちもあった。
その他、短波帶(HF)のローバンドと超短波帶(VUHF)では、周波数の特記があったが詳細は忘れた。
アメリカはアマチュア無線人口が世界一だから、容易に多数の局と交信できたし、ヨーロッパは、沢山の国が国境を接しているので、コンディションが良ければ、交信は意外に楽だった。
アジアは、近隣国だからあまり苦労すること無く交信出来るはずだったが、当時は、内戦や国境紛争で隣国との争いも絶えず、一部の国を除きアマチュア無線をやっているような国情では無かった。
オセアニアは、アーストラリアとニュージーランド以外は小さな島国が南太平洋に点在していて局数が少なく苦労した。
南アメリカは、日本から地球的には反対側に位置し、電波の到来方向が、逆の方から届く、いわゆるロングパスもあり厄介だった。しかも、ブラジル以外は局数が少なく難儀をした。
アフリカは、 歴史的にみてヨーロッパ列強の植民地が多く残っていた。それ故、宗主国の者による運用が殆どで、その数も極めて少なく、なかなか交信の機会に恵まれ無かった。
このWAC(Worked All Continents)だが、開局から五年を経て獲得したアワードであり、後にも先にもアワードはこれしか得ていない。
このアワードを獲得した理由は以下のような次第だ。
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1960年代後半は、太陽の黒点の影響で、短波帶の電波がイレギュラーに伝播して遠くまで届き、海外の沢山のアマチュア無線局と交信が出来た時代であった。
それ故、
当時の百カ国ほどの国々と交信するのに、それほど時間は掛からなかった。毎晩深夜まで眠気に堪えながらアマチュア無線に没頭できた年齢でもあった。
アマチュア無線では、交信すると、お互いの交信証(QSLカード)を交換し合うのが通例である。そのカードを得ることで、お他人様に、こんな国とか、こんな県とか市の局と交信したと自慢話のヒトツも出来た。
世界各国に、色々なアワードがあるが、日本では、AJD(全国10地方、つまり、関東地方とか東海地方とか、それぞれ一局と交信する)とか、WAJA(全都道府県別に、それぞれ一局と交信する)、JCC100(全国100都市のそれぞれ一局と交信する)~JCC400(全国400都市)などが定番であった。
自分は、海外のアマチュア無線局と電信で交信することに熱中していて、時間を掛けてやればやるほど交信証も集まって来た。
その交信証を整理し分類すれば、何処かの誰かが発行しているアワードの申請条件を満たす物が出て来たりするが、自分としては、アワードそのものに興味が無かった。
当時はアマチュア無線家の数は少なかったし、年に二回ある国家試験を受験して合格し、免許を得る必要もあった。
また、今とは違いアマチュア無線機そのものも、メーカー製は高価で種類も少なく学生には高嶺の花、多くが秋葉原などで部品を買い集め自作した。しかし、電気の知識も必要で、誰でも出来る訳でも無く敷居も高かった。
そんな事もあってか?毎週土曜日の午後になると、近隣の中学や高校の生徒達が入れ替わり立ち替わり、私の無線設備を見学にやって来た。
正直言って、ゼンゼン面識など無いが、アマチュア無線に興味がある事だけが、唯一、彼らと自分を結ぶ共通因子だ。
この頃、アマチュア無線局を構成する送信機や受信機、その他の付帯設備も含め、三局分に匹敵する機器が部屋一杯に雑然と置かれていた。
見学に来た彼らに、それらを見せたり触らせたり、実際に無線局を運用したりしてみせた。その後、段ボール箱に雑然と収められている交信証(QSLカード)を取り出し、都道府県別とか、市ごとに積み上げながら、交信実績を自慢げに見せびらかした。
明けても暮れてもアマチュア無線一筋、自画自賛、有頂天になっていた時代であった。
これを繰り返すうちに、交信証(QSLカード)は乱雑に箱に収まるようになって、必要な物を直ぐに探し出す事が困難になってしまった。
考えあぐねて、交信証(QSLカード)は、箱に雑然と放り込んだまま、その集大成?としてのアワードを見せ、交信実績を、それとなく連想させることにした。
それには、AJD でも WAJA でも JCC でもダメ、WAC が最適と、自分なりに結論付けた。
開局から五年、最初の三年は専ら国内局との交信に明け暮れていた。
四年目のある日、ヨーロッパの局から突然呼ばれて狼狽えたが、それ以後は立て続けに海外局との交信にのめり込んで行った。
この二年間で、百カ国を超える海外局と交信が出来てしまい、当人もビックリ。交信証(QSLカード)を改めて整理してみると、六大陸のアマチュア無線局との交信も達成していた。
この五年間の集大成として、WAC(Worked All Continents)をゲットした次第だ。
余談だが、今回、初めて知ったが、四十数年も経つとアワードのデザインが変わっていた。
日本風に言えば唐草模様的だったモノが、なかなか現代風で洒落ていて、長い時間が経過した事をマザマザと実感した。