長野県の棚田

長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください。

田植え前の水田に映っています(長野県・駒ヶ根市・赤穂・切石)

2009-04-28 08:12:14 | 田園風景
ここは長野県・駒ヶ根市・赤穂・切石です。



信州の春と言えば、天を突く純白のアルプスを借景としたのどかな田園風景です。
中央アルプスは残雪に輝やいています。



菜の花と中央アルプスです。
田植え前の水田に映っています。



今日から、信州の南部・南信地方をご案内します。

わさび畑(明科町・中川手・塔の原)

2009-04-23 08:05:38 | 
ここは明科町・中川手・塔の原です。(現:安曇野市)
この地にわさび畑が広がっています。



わさびは、安曇野のような冷たく清らかな湧水の流れる場所にしか育ちません。
信州に来たら本物の生わさびの絶妙な味をぜひ味わってください。

特に、わさびの花は、この時期だけ安曇野や松本で出回り、おひたし・和え物・天ぶらなどで食べます。

「ワサビ田」(穂高町・穂高・大王わさび農場)

2009-04-21 13:32:10 | 
ここは穂高町・穂高の大王わさび農場です。(現:安曇野市)
「ワサビ田」です。



北アルプスの恵みの湧水でワサビは育っています。
ワサビ田の畝が 左右に広がっています。
ワサビは清水が流れるところで栽培されます。
ワサビの根が広がり、水が流れやすいように、小石を盛って畝を作ります。



その脇を流れる万水(よろずい)川に水車小屋があります。
北アルプスに降った雪と雨水が、伏流水となってこの付近一帯に湧き出します。
ゆったりと流れる万水川には水草が揺らいでいました。やがて犀川(さいがわ)に合流します。



信州の山国で北海渡??? (堀金村・烏川・北海渡)

2009-04-20 06:34:35 | 北アルプスと棚田
ここは堀金村・烏川・北海渡です。(現:安曇野市)
アルプスあづみの公園の入り口です。
常念岳が目の前に迫っています。



信州の山国で北海渡???
なぜ海が付くの?

単純に漢字を見ると、海と関係ありそうに思えるが、海渡はカイトと読みます。 
街道、海道、開戸などの字も当てられる全国にある地名です。
一般的には、1町歩前後の田畑付属の百姓屋敷などや小集落が多いです。

尚、堀金村の北側の松川村鼠穴地区にも北海渡があります。

安曇野で麦畑(豊科町・高家・真々部)

2009-04-19 08:35:32 | 
ここは豊科町・高家・真々部です。
安曇野の麦畑です。
美ヶ原の王ガ鼻(2008m)が見えます。



安曇野には麦畑は少ないです。
米処のイメージが強い土地柄なので麦栽培は、盛んではなかった。
しかし、麦相場の高騰、食の安全性、自給率が叫ばれる昨今、安曇野でも麦栽培が盛んになりつつあります。

畦の草焼き(長野県・塩尻市・片丘)

2009-04-16 06:39:29 | 北アルプスと棚田
ここは長野県・塩尻市・片丘です。
長野県に戻ってきました。



春霞です。
薄く北アルプスが見える広大な圃場整備した棚田です。



畦の草焼きをしていました。
草焼きバーナーを使用しています。

この時期は、空気が乾燥し、頻繁に乾燥注意報が出されます。
草焼きが林野火災につながる危険も大きい時期です。



今日から安曇野地方をご案内いたします。
北上します。

「神明谷戸」(東京都・町田市・図師)

2009-04-15 08:05:55 | 日本各地の棚田
ここは東京都・町田市・図師(ずし)です。
「神明谷戸」です。


図師・小野路歴史環境保全地域」の景観の維持に力を入れてきたのが、地域の農家15戸でつくる「町田歴環管理組合」です。
96年から都の委託を受け、植生管理を担うようになりました。
管理の特徴は、地域の伝統農法を活用しています。



「町田歴環管理組合」の田極公市理事長に案内して頂き、里山と棚田の保全の話を聞くことができました。
メンバーは熱心にメモをとり、聞き入りました。



管理事務所で「町田歴環管理組合」設立経過等のお話を聞きました。
田極公市理事長の里山に対する哲学に聞き入りました。
ありがとうございました。

「奈良ばい谷戸」(東京都・町田市・図師)

2009-04-14 08:17:47 | 日本各地の棚田
ここは東京都・町田市・図師(ずし)です。
「奈良ばい谷戸」です。
春の農作業が始まりました。



ここでは地元の農家らの管理組合が都の委託をうけて、
植生や管理をしています。
古い手法で池をよみがえらせ、枝打ちや下草刈りも行っています。



この地域一体は「にほんの里100選」に選ばれました。

◆新しい入会の発想生む
 多摩丘陵の歴史環境保全地域とその周辺集落。
地元農家の管理組合が都と契約して伝来の農作業を行い、新しい入会(いりあい)の姿を築いた。