長野県の棚田

長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください。

千曲川沿いの秋の棚田(栄村・平滝)

2005-09-30 08:24:11 | 棚田
ここは栄村・平滝です。
千曲川沿いの集落です。千曲川が見えます。

かって川は日本人にとって、今より身近な存在でした。
川の魚の捕獲することで生計を立てていた人も少なくなかったです。
千曲川、そしてその支流では今でも鮎、鯉、鮒、イワナ、ヤマメ、虹鱒が捕れます。栄村の北隣は新潟県です。千曲川は信濃川と名前は変わります。

秋日和が続いています。朝晩がひんやり、昼間は過ごし易くなりました。

それにしても虎フォンの皆様!阪神タイガース優勝おめでとう

千曲川の稲穂(野沢温泉村・平林)

2005-09-29 08:22:03 | 田園風景
ここは野沢温泉村・平林 です。
ゆったりとした流れの千曲川に稲穂が広がっています。

作詞 山口洋子、作曲 猪俣公章、五木ひろしが歌った「千曲川」です。

  水の流れに 花びらを
  そっと浮かべて 泣いた人
  忘れな草に 帰らぬ恋を
  思い出させる 信濃の旅よ

すっかり秋らしくなりました。昨日から毛布を掛けて寝ています。
もうすぐ布団が恋しく・・・・今日は良い天気になりそ~です。





石積の棚田の稲穂(飯山市・瑞穂・福島)

2005-09-28 08:31:03 | 棚田
ここは飯山市・瑞穂・福島 の三部(さんべ)棚田です。
石積の棚田の稲穂が輝いていました。
訪れた時、村人が棚田の手前の神社にノボリを立ていました。秋祭りの準備かな・・・と思いました。
実は棚田保存会が「稲刈り体験」の準備をしていたのです。

山間地での不利な条件や後継者不足のため、山ぎわの田んぼから荒廃化が進んできました。そこで、平成10年に地元有志が集まり、棚田保存会を結成し、棚田を復活させたのです。
保存会では、田起こし、代掻き、畔草刈りなどの作業をします。田植えや稲刈りは、一般の方々にも呼びかけ、毎年盛大に行われています。
今年は3年ぶりの豊作の報道がありました。お百姓さんと保存会等が頑張りました。

黄色の穂波(牟礼村・川上・夏川)

2005-09-27 08:31:30 | 棚田と山々
ここは長野市の北隣の牟礼(むれ)村・川上・夏川です。
広い黄色の穂波の向こうに見える山は斑尾山(1381m)です。

牟礼村は長野市のベッドタウンとして人口が増加しています。
飯縄高原等の傾斜地を生かして、米の生産が行われています。
また古くから、りんごの栽培も盛んです。

牟礼村も農業後継者の減少に伴い、遊休荒廃農地が増加しています。
が、第3セクターの公社を設立し、蕎麦焼酎を皮切りに牟礼村ならではの特産品を開発・販売しています。
昨晩から長袖のパジャマを着て寝ました。

棚田オーナー制度10周年(千曲市・八幡・姨捨)

2005-09-26 08:30:36 | 棚田
ここは千曲市・八幡の姨捨の棚田です。
訪れた時「棚田オーナー制度」を手伝う農家の人々の集まりの「名月会」のメンバーと話す機会がありました。高度成長期以降、専業農家が少なくなると、平地の水田に比べ数倍も手がかかる棚田の多くは放置され、荒れてました。その環境を保全し、多くの人に農業への理解を深めてもらおうと、10年前に「棚田オーナー制度」を始めました。

棚田を1平方メートルあたり300円で貸し出し、田植と稲刈りに参加し、収穫した米はすべて参加者のものになります。名月会のメンバーが水の管理をしたり、雑草を刈ったりの手伝いをしています。今年で10周年記念です。昨日9月25日に稲刈りをしました。

明石屋さんまと娘さんが今年の田植えに参加したとの事です。
朝青龍!6連覇おめでとう さらに精進し7連覇を目指して下さい。

真田十勇士たちの故郷(真田町・長・横沢)

2005-09-25 08:50:20 | 棚田
ここは上田市の隣の真田町・長・横沢です。県道4号線沿いの棚田です。

真田町と言えば真田幸村と真田十勇士。個性あふれる十人の勇敢な侍、真田十勇士たちを思い浮かべます。
とりわけ猿飛佐助と霧隠才蔵は、江戸時代以来のスーパースターで、子どもたちの憧れの忍者でした。十人は一人ひとりがたいへんな強者たちで、幸村の人徳の前に、心やさしき信義の勇士として六文銭の旗のもと、諸国漫遊の旅に出て天下をとった家康の手下を次々と倒します。

今日はマンションの総会です。今から準備に出かけます。台風17号が八丈島に接近しています。どの程度の住民が集まるか心配です。

霧がたちこめる棚田(上田市・殿城・稲倉)

2005-09-24 08:18:05 | 棚田
ここは上田市・殿城の稲倉の棚田です。棚田100選に選ばれています。県道4号線沿いに案内板があります。そこから棚田を見下ろすことができます。

上田市は年間900mm前後と全国平均の3分の1から2分の1しか雨が降りません。各集落ごとに雨乞いの行事が行われています。

ちょうど訪れた時は小雨が降り、霧がたちこめていました。一瞬霧が取れました。

愛知万博(愛・地球博)は明日で閉幕です。既に2,100万人が訪れています。朝から長蛇な列がテレビで放映されていました。本当にご苦労様です。
台風17号の影響で東京は朝から雨です。

陽だまりの棚田(東御市・新張・横堰)

2005-09-22 03:52:30 | 花と棚田、田んぼ
ここは東御市(旧:東部町)新張(みはり)・横堰です。

東御市(旧:東部町)は浅間山連峰の山々を背に、千曲川の流れを望み、町全体が南面に傾斜した陽だまりの町です。
訪れた時には、整備された大きな田んぼにサルビアの花が咲いていました。

今からまた新潟県に「棚田巡り」に若者とと行ってきます。

24日(土)にお会いしましょう

千曲川旅情のうた(小諸市・山浦・小諸大橋)

2005-09-21 08:11:28 | 田園風景
ここは小諸市・山浦の小諸大橋からの千曲川流域の風景です。

島崎藤村・作詞の「千曲川旅情のうた」の3番です。

暮れ行けば浅間も見えず
  歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
  岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
  草枕しばし慰む

秋の日はつるべ落とし 日没が日々早くなりつつあります。

佐久の鯉太郎(佐久市・小宮山)

2005-09-20 08:25:45 | 棚田と山々
ここは佐久市・小宮山です。
佐久市は北に浅間山、南に八ヶ岳を望み、南北に千曲川が流れてます。
佐久と言えば鯉です。
佐久鯉は稲作と深いかかわりがあります。夏には鯉を田んぼに放し、除草させながら育て、冬にはわき水の入る池などで越冬させる「水田養殖鯉」という方法でした。

黄色い棚田の向こうに、浅間山の煙が天高く上がっていました。

9月7日の天龍村から昨日の浅科村まで、長野県を南から東に来ました。今日からは千曲川に沿って長野県北部へとご案内します。

五郎兵衛米の産地(浅科村・矢嶋・上原)

2005-09-19 08:20:02 | 田園風景
ここは浅科村・矢嶋・上原です。
浅間山を北に、蓼科山を南に望む佐久平の西方の平坦地に、広大な田園風景が広がっています。写真では黄金色の田園の向こうに浅間山が見えます。
この広大な田園風景の源となったのは約20㎞にわたる五郎兵衛用水路です。土木技術も乏しい江戸時代初期に、市川五郎兵衛氏が遠く蓼科山の湧き水を源水とし、トンネルを9箇所も掘り、山林原野に用水路を切り開きました。先人の偉業に頭が下がります。
今、この地にはブランド米「五郎兵衛米」が育っています。
国道142号線沿いの道の駅「ほっとぱーく浅科」で販売しています。

尚、浅科村の名前の言われは、浅間山と蓼科山の浅と科とを採っています。

昔は製糸の町(丸子町・腰越・深山 )

2005-09-17 08:19:39 | 棚田
ここは丸子町・腰越・深山です。昨日の長門町の北隣の町です。
丸子町は、明治中期から大正期にかけて製糸業が盛んでした。
岡谷市に次ぐ日本第2位の「生糸の町」としてその名を広めました。
製糸工場は多くの水を使います。
水田の用水としてはり巡らされた堰の水が、その重要な役割をしました。

ところで丸子実業高校の野球部はど~なったの? 
甲子園からかなり遠ざかっています。古豪復活を期待します。

これから農業大学の田んぼへ「米づくり~田んぼの学校」へ「モミの成熟観察」に参加してきます。子供達と遊んで、勉強してきます。

旧中山道宿場町2(長門町・古町・滝沢)

2005-09-16 08:30:16 | 棚田
ここは長門町・古町・滝沢です。昨日の和田宿から北へ約8Kmのところです。
長門町の長久保は旧中山道の江戸から27番目の宿場町でした。
下諏訪へ28km、追分へ32km中間点として賑わいました。
江戸時代、中山道は、江戸と京とを結ぶもうひとつの道で、山道ではあっても東海道のような川止めがないこの道を利用する旅人も多かったとか・・・

長門町の大半は霧ヶ峰北東麓の広大な裾野です。
千曲川の支流・依田川の扇状地にわずかに水田が広がります。

朝晩は涼しく、日中はさわやかな日が続きます。
本日は成人病検診の日です。病院へ行きます。健康が一番です。

旧中山道の宿場町(和田村・久保 )

2005-09-15 08:33:35 | 棚田
ここは和田村・久保です。宿場町・和田宿本陣の近くの集落です。
江戸と京都とを結ぶ旧中山道。江戸板橋宿から数えて28番目が和田宿です。中山道でも最大の難所といわれた和田峠を越え、次の下諏訪宿までは20kmという長丁場です。

和田宿は旅人にとって、峠越えをする鋭気を養うためになくてはならない休憩場所でした。また、諏訪大社信仰の道として街道筋は賑わっていました。

旅人もキット、黄金色の稲穂の波を見ながらひと休みしたことでしょう

すがすがしい朝を迎えました。
これから妻と映画「釣りバカ」を観に行きます。


万治の石仏(下諏訪町・社)

2005-09-14 08:27:34 | 文化財
ここは下諏訪町・社です。
諏訪大社下社・春宮の西側を歩いて約5分の所の田んぼの中ににユーモラスな石仏があります。万治の石仏です。黄金色の稲穂に囲まれていました。
おむすびのような石のテッペンにチョコンと首が置いてあります。首と胴が極端にちぐはぐで、またその表情がユーモラスです。

諏訪と言えば天下の奇祭といわれる「御柱」
7年目ごと6年に一度、寅・申年に行われます。
4月の山出し祭で山から里へ曳行きがあります。曳行の途中には、100mにも及ぶ崖を落とす「木落とし」があり、正に豪壮です。
残暑が厳しいですが、木陰に入るとホットします。