ここは奈良県・明日香村・稲渕です。
神奈備(かんなび)の里です。棚田百選の一つです。

棚田の入り口には、飛鳥川を渡して「勧請縄」と呼ばれる大綱が張られていました。
集落の出入り口等にかけられ、集落に悪疫や災難が入ってこないようにするとか。

棚田に巨大案山子の桃太郎がありました。
堂々とした案山子です。
なぜ、明日香のこの地に桃太郎?
飛鳥川付近に、桃太郎のモデルとなった吉備津彦兄弟の父に当たる孝霊天皇の都、黒田廬戸宮があったとされいるためです。

「すすき」です。独特のわら積みです。
明日香村では「すすき」と呼びます。
棚田は伝統文化を生むのですネ!
今日は芒種(ぼうしゅ)です。
稲や麦の種を蒔く頃という「芒種」。
神奈備(かんなび)の里です。棚田百選の一つです。

棚田の入り口には、飛鳥川を渡して「勧請縄」と呼ばれる大綱が張られていました。
集落の出入り口等にかけられ、集落に悪疫や災難が入ってこないようにするとか。

棚田に巨大案山子の桃太郎がありました。
堂々とした案山子です。
なぜ、明日香のこの地に桃太郎?
飛鳥川付近に、桃太郎のモデルとなった吉備津彦兄弟の父に当たる孝霊天皇の都、黒田廬戸宮があったとされいるためです。

「すすき」です。独特のわら積みです。
明日香村では「すすき」と呼びます。
棚田は伝統文化を生むのですネ!
今日は芒種(ぼうしゅ)です。
稲や麦の種を蒔く頃という「芒種」。
ここは和歌山県・紀の川市・桃山です。
「棚田のルーツをさぐる」ために和歌山県紀の川流域の棚田「発祥」地を訪ねました。

紀の川流域の棚田発祥地の「高野山領荒川荘」です。
1406年(応永5年)、高野山文章に棚田の存在が記載されています。

海老澤 衷氏(早稲田大学教授)の説明に聞き入りました。
熱心に資料を見ています。

現在は国道424号バイパス工事で埋め立てられ、その形跡は見ることはできませんでした。
忍法「棚田流心眼術」で現地を見ましたが・・・
思わず「う~ん~??」

前日はお勉強です。お勉強の風景です。
パネルディスカッション「棚田のルーツをさぐる」
コーディネーターは田中卓二氏(紀の川市農林商工部)
パネラーは全て地元の方々です。
シンポジウム・現地見学会は楽しい二日間でした。
紀の川市、かつらぎ町の役場の皆さま・関係者には大変お世話になりました。
お陰で、紀ノ川流域の棚田のルーツをさぐることが出来るとともに、地元の歴史を知り、地元の人達との触れ合いができました。
ありがとうございました。

根来寺です。

粉河寺です。
「棚田のルーツをさぐる」ために和歌山県紀の川流域の棚田「発祥」地を訪ねました。

紀の川流域の棚田発祥地の「高野山領荒川荘」です。
1406年(応永5年)、高野山文章に棚田の存在が記載されています。

海老澤 衷氏(早稲田大学教授)の説明に聞き入りました。
熱心に資料を見ています。

現在は国道424号バイパス工事で埋め立てられ、その形跡は見ることはできませんでした。
忍法「棚田流心眼術」で現地を見ましたが・・・
思わず「う~ん~??」

前日はお勉強です。お勉強の風景です。
パネルディスカッション「棚田のルーツをさぐる」
コーディネーターは田中卓二氏(紀の川市農林商工部)
パネラーは全て地元の方々です。
シンポジウム・現地見学会は楽しい二日間でした。
紀の川市、かつらぎ町の役場の皆さま・関係者には大変お世話になりました。
お陰で、紀ノ川流域の棚田のルーツをさぐることが出来るとともに、地元の歴史を知り、地元の人達との触れ合いができました。
ありがとうございました。

根来寺です。

粉河寺です。
ここは和歌山県・かつらぎ町・東渋田です。

「棚田のルーツをさぐる」ために和歌山県紀の川流域の棚田「発祥」地を訪ねました。
紀の川流域の棚田発祥地「高野山領志富田荘」です。
この地が建武3(1338)年に「棚田」があったことが高野山文書に記載されています。
「棚田」はこの紀ノ川の流域で生まれ、やがて全国に広まりました。
紀ノ川が蛇行しています。

高木徳郎氏(和歌山県立博物館)の説明に聞き入りました。
忍法「棚田流心眼術」で現地を見ると、昔の棚田が目の前に広がりました。

むかし棚田と思われる場所には、多くの桃の木が栽培されていました。
紀ノ川流域は桃、柿、蜜柑など果物の産地としても有名です。

前日はお勉強でした。お勉強の風景です。
シンポジウ「棚田のルーツをさぐる-文化財としての棚田-」に参加しました。
地元からも300名以上の参加者があり盛況なシンポジウムとなりました。
基調講演は海老澤 衷氏(早稲田大学教授)による「棚田発祥地としての紀ノ川流域」でした。

「棚田のルーツをさぐる」ために和歌山県紀の川流域の棚田「発祥」地を訪ねました。
紀の川流域の棚田発祥地「高野山領志富田荘」です。
この地が建武3(1338)年に「棚田」があったことが高野山文書に記載されています。
「棚田」はこの紀ノ川の流域で生まれ、やがて全国に広まりました。
紀ノ川が蛇行しています。

高木徳郎氏(和歌山県立博物館)の説明に聞き入りました。
忍法「棚田流心眼術」で現地を見ると、昔の棚田が目の前に広がりました。

むかし棚田と思われる場所には、多くの桃の木が栽培されていました。
紀ノ川流域は桃、柿、蜜柑など果物の産地としても有名です。

前日はお勉強でした。お勉強の風景です。
シンポジウ「棚田のルーツをさぐる-文化財としての棚田-」に参加しました。
地元からも300名以上の参加者があり盛況なシンポジウムとなりました。
基調講演は海老澤 衷氏(早稲田大学教授)による「棚田発祥地としての紀ノ川流域」でした。