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長野県の棚田

長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください。

集落から遠い棚田(新潟県・松代町・清水)

2007-07-05 08:20:23 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松代町・清水です。(現:十日町市)

清水の集落からかなり離れた山腹と山谷に棚田が広がっています。
田植え後、日々の水の管理に集落から出かけるのは大変です。



更に、谷底に棚田が広がっています。
本当に、集落から遠い棚田です。

真っ白な農道(新潟県・松代町・仙納/菅刈)

2007-07-04 08:16:43 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松代町・仙納(せんのう)です。(現:十日町市)

明るい陽射しがまぶしいです。
その陽射しに浴びた薄緑色の棚田と濃い緑色の杉の木があります。
その中で真っ白な農道が輝いています。



ここは松代町・菅刈(すがかり)です。
稲架(はさ)掛け用の杉の稲架木の間から棚田と民家が見えます。

「天水米」(新潟県・松代町・蓬平)

2007-07-03 08:16:50 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松代町・蓬平(よもぎひら)です。(現:十日町市)

山間地に棚田がありました。
写真でピークの山・蓬平城山の斜面にも棚田があります。



この地で採れるお米を「天水米」と言います。
「天」・・・・天まで届くと言われる棚田が育てたお米。
「水」・・・・ぶなの森が育む清らかな水が育てたお米。

美味しいお米(魚沼産松代コシヒカリ)です。

一本の桜が田んぼの水面に・・(新潟県・松代町・儀明)

2007-07-02 08:10:08 | 新潟県の棚田
ここは新潟県・松代町・儀明です。(現:十日町市)

一本の桜が田んぼの水面に映っています。

この地もカメラマンに人気のある撮影ポイントです。
春の桜の咲く頃に人気があります。

今日は7月2日です。半夏生(はんげしょう)です。
半夏生に入る時期は、田植えに最も適した時期だと言います。

半夏生の前に無事田植えを終えた農家では、この日の天候で稲作の豊凶を占ったり、田の神を祭ったりします。

どこを見ても棚田(新潟県・松代町・蒲生)

2007-07-01 08:38:51 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松代町・蒲生(がもう)です。(現:十日町市)

この場所も、カメラマンの憧れの場所です。
多くの写真家が三脚を並べています。
朝日、雲海、光る田んぼの水面がポイントとか・・・

松代町は棚田の中にあります。
どこを見ても棚田です。



道の駅、旅館には松代町の棚田マップが置いてあります。
撮影ポイントにも看板が立っています。

素人の私は、デジカメでパチパチ。
自然に溶け込む風景です。

朝焼けの棚田(新潟県・松代町・峠・星峠)

2007-06-30 08:20:59 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松代町(まつだい)・峠・星峠です。(現:十日町市)

早朝4時前に起床しました。
朝焼けの棚田の写真を撮るためです。
既に、自称プロの写真家が十数名がカメラを立て、朝日が上るのを待っていました。

私のような素人なカメラマンは撮影ポイントが多くて、ウロウロするばかりです。
人が多く集まるところが撮影ポイントと思い、デジカメでパチパチ。



カメラ雑誌にもこの星峠の写真が多く載っています。
朝霧、雲海、水面に映る朝日等です。

数年前までは、「峠の棚田」でしたが、平成の大合併で十日町市に峠が二箇所あるため、
「星峠の棚田」になりました。

今日は6月30日。
6月・水無月(みなづき)と7月・文月(ふみづき)との架け橋の日です。
そして、一年の折り返しの日です。


20年計画で桃源郷(新潟県・松之山町・浦田・中立山)

2007-06-29 08:20:29 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松之山町・浦田・中立山です。(現:十日町市)

中立山の集落には、茅葺の農家が数軒あります。
集落の中心に鎮守の森があります。
中立山集落は約5年前までは7軒でした。
しかし、一昨年の記録的な豪雪等で集落はとうとう2軒となってしまいました。



その茅葺の農家の田んぼに、田植え用の稲床があります。
この地に昨年、東京から移住した仙人が居ます。
古民家を譲り受け生活を始めました。



この地の棚田は荒れてしまいました。耕作放棄されています。
地元の人達、都市の人達の力を借りて、20年計画でこの地を復田し、桃源郷にします。

都市と農村が相互に理解し(新潟県・松之山町・浦田・新田)

2007-06-28 08:22:07 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松之山町・浦田・新田です。(現:十日町市)

綺麗な曲線を描く畦がある棚田に巡りあいました。

この棚田は3年前からNPO法人・棚田ネットワークと新潟県の棚田フットワークの会員が、約40枚の田んぼで年間を通じて米作り作業を行っています。

様々な農作業や農村の伝統・文化を体験し、支援する活動を展開しています。
都市と農村が相互に理解し、協力し合える関係を創り出しています。



都市の多く人達が見事に田植えをしました。
円形の舞台に見えます。

更に、この23日(土)に田んぼの周りの畦にローソクを立て、ネックレス状の灯火を夜空に造りだしました。

稲架木の間から・・・(新潟県・松之山町・浦田・曽根)

2007-06-27 08:21:33 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松之山町・浦田・曽根です。(現:十日町市)

稲架(はさ)掛け用の稲架木の間から小さな・小さな棚田がありました。
また、きれいに扇状に早苗が植わっています。



曽根の集落へ行く途中で、田植えの準備をしている(稲床つくり)学生を見かけました。

新潟市内の調理専門学校の学生です。
「田植えをすることで食材を大切にする・食材を知る等の食育ができる」と答えがありました。

松之山町はいたるところ・・・(新潟県・松之山町・兎口)

2007-06-26 08:18:43 | 新潟県の棚田
ここは新潟県・松之山町・兎口(うさぎぐち)です。(現:十日町市)

松之山町はいたるところ棚田です。
町全体が棚田の中にあります。

この撮影場所も難しいところにあります。
日帰り温泉・ナステ・ビュウ湯山近くの松陰寺を目指します。
そこから幾重、幾重の坂道を登ります。
道は分かれていますが、棚田の匂いがする方向に行ってください。

この棚田は棚田オーナ制度を行っています。
各田んぼには東京都○○、神奈川県△△・・・と名札が立っていました。


杉の木が立つ棚田(新潟県・松之山町・天水越)

2007-06-25 08:17:54 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・松之山町・天水越です。(現:十日町市)

新潟県の特徴である杉の木が立つ棚田です。
杉の木にははさ掛け用のはさ木が縛られています。

この撮影場所に入るにはかなり苦労します。
国道405号線から菅領塚、松里小学校方面の山道を登ります。
道は幾重にも分かれていますが、山へ、上へと登ります。
こんな所に棚田が・・・・と不安ですが・・・でも・・・
あきらめずに!



畦に菖蒲が咲いていました。
ほ~~~~っとする棚田風景です。
この様な場所でユックリとスケッチしたいです。

生きた農業博物館(新潟県・津南町・秋成・反里口)

2007-06-24 08:37:54 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・津南町・秋成・反里口(そりぐち)です。

秋山郷の入り口に石垣田広がっています。

秋山郷の農業形態は焼畑、畑作、稲作、アスパラ栽培です。
200年に及ぶ日本農業史が縮尺されています。
秋山郷は生きた農業博物館であるといえます。



津南町では反里(そり)、そして反里口(そりぐち)があります。
いずれも『ソリ』は古語で、焼畑を作った所です。

前倉地区の石垣田の跡(新潟県・津南町・結東・前倉)

2007-06-22 08:14:54 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・津南町・結東・前倉です。

前倉地区の石垣田の跡です。
(写真の中央部で横の帯が広がっています)
明治10年代の初期に秋山郷で最初に造られた棚田です。
昭和30年代後半から離農者が増え、現在は耕作が行われていません。
この写真は中津川の対岸の中ノ平から撮りました。
中ノ平の集落は無くなりましたが、白樺の林の中にログハウスを建ています。



前倉集落です。
山、また山の中の集落です。V字の谷底に中津川が流れています。
そのV字の斜面に石垣田がありました。

田んぼが放棄されると3年ほどすると柳の木々で覆われます。
もうー耕すことができません。
高齢化や後継者不足が課題です。

今日は夏至です。

「見倉の石垣田」(新潟県・津南町・秋成・見倉)

2007-06-21 08:19:53 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・津南町・秋成(あきなり)・見倉です。
中津川を挟んだ「結東の石垣田」の対面に「見倉の石垣田」があります。



「見倉の石垣田」の脇にブナの木で作った薪がありました。
地元では「にお」と呼びます。薪の長さは約1mです。
見倉の集落では囲炉裏で使います。



わずか四戸の見倉の集落です。
集落の周辺に棚田と畑があります。
棚田の水の見回りをしていました。

結東の石垣田に活気が!!(新潟県・津南町・結東・結東)

2007-06-20 16:39:17 | 新潟県の棚田


ここは新潟県・津南町・結東・結東(けっとう)です。

田植えの後の水の見回りです。朝と夕方に水管理を行います。
稲作には重要な仕事です。
崩れた石垣をブロックで直した跡(白い部分)が見えます。
集落の人に聞いたところ、石工職人がいなくなったことと、石垣よりブロックの方が安上がりだとのことでした。



「結東の石垣田」とブナ林、河岸段丘を中津川が削り込んだ岸壁を見ながらトレッキングをしている人達と会いました。
自然と一体となったグリーンツーリズム取組みをしています。
昨年から都会の人を交えた石垣田の保全活動を始めました。
結東の石垣田に活気が!!



宿泊先は明治17年に開校した小学校の分校の跡を活用した公共の宿でした。
最盛期には80名の児童がこの学び舎で過ごしました。
元校長室がお風呂(温泉)になっています。
地元の食材を生かした料理でした。
美味しかったです。