IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

少~し、真剣に考えましたが・・・

2016-02-07 10:21:12 | この頃思う事

  半日村の「梅」の花も、チラホラと咲きだしました

 


 


TVのニュースを見るのが、「シンドイなぁ・・・」と感じる事が多くて、殆ど、見ていません。
新聞も、一日遅れを、ざっと、斜め読みして、気になる所があると、ちょいと見直すだけ・・・という、全く、社会性の無い生活を過ごしています。
それでも、何となく、世間の動きは伝わってきて、憂鬱な気分になったりするのですね。

2月1日付 毎日新聞「風知草(山田孝男氏著)」欄を眺めていた時、花形閣僚とその秘書たちの醜聞(というより、日常茶飯事だろう・・・伊豆の花見解)を批判し、憂いている記事の見出しに「無私の日本人」とあったのです。
「へぇ~、この節、無私な人もいるんだ」と、よくよく記事を読んでみると、その「無私な日本人」は、江戸時代中期、仙台藩云々・・・とあり、なんだ、現代の人では無いのかと、その先を読む気力も衰えてしまったが、歴史学者の磯田道史氏が、古文書から読み解き、現代によみがえらせた記録が、その「無私な日本人」なのだそうです。

山田氏が磯田氏に「無私な日本人」執筆の伏線を聞いた折り、「学生時代に読んだアインシュタインの文章に・・・人の価値は、その人が得たものではなく、与えたもので測るべきである・・・とあり、本質の問題から説き起こすような史伝文学が必要と思っていた」のだそうですね。
また磯田氏曰く、「政治に係わる人間、つまり、多数者の運命に責任を持つ人間に求められているものは、目先の評価ではなく、後ろ姿を拝まれるような人になる、ということだと思う」(以上、「風知草」から)。


また、2月6日付 毎日新聞「メディア時評(平沢克美氏著)」に、「お国自慢と記憶の捏造」という見出しで、

「安倍首相は「日本を取り戻す」をスローガンに掲げているが、どの時代のどんな日本を取り戻したいのか判然としない。
・・・司馬遼太郎は、著書「昭和と言う国家」の中でこんなことを言っている「愛国心はナショナリズムとも違います。ナショナリズムはお国自慢であり、村自慢であり、家自慢であり、親戚自慢であり、自分自慢です。これらは、人間の感情としてはあまり上等な感情ではありません」。自分を客観的に見ることができて、人も国も大人になるのです」(以上、「メディア時評」から)。

意識して選んで読んだ記事ではないのですが、私が、一番、気になっている所を吐いてくれたように思います。
政治家に清廉潔白・高潔さなど、私は要求しませんが、私利私欲は適当にして、せめて、交換できない地球にとっては害の無い、我が国にとっては有益であり、国民にとっては安全な生活を維持できる・・・そんな政策の選択力、決断力、遂行力は欲しいと思うのです。
だからといって、遂行力のある独裁国家でも困るし、そこは中庸にというのも、やはり、難しい事かも知れませんね。

真剣に・・・と大げさに述べながら、実は、かなり「イイ加減で勝手な」考え方でした・・・大人になりたいですよね。

 


 この梅は「小梅」で、今年は、花の付きも良いようなので、実の収穫も期待できるかも・・・私欲はダメ?

 


 

コメント (10)
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