雨を受けて、瑞々しい装いの「秋海棠」
9年前の9月初旬、故郷に戻って来た時、母は86歳だったと思う。
その時点で、もう、「何が起きても不思議は無い」という、「諦め」とは違う「決意」のような考えを持っていた。
「隣組」には、5名の後期高齢者がご健在で、何かと問題も起こしていた(我が母も含めて)が、まぁ、それらは、笑って済まされるような日常的な問題であり、生きている証しと許容されていた。
で、8年経った時、お二人は旅立たれ、後は、96歳女性、94歳女性(母)、多分90歳位男性の3人になったが、96歳女性は、1年程前、大腿骨骨折で入院生活となり、男性は、歩行に難があって車いすを使用するようになっていた。
唯一、母が、まだ、自分の足で歩行が出来、我家から末娘宅への坂道も、時には、杖も、押し車も使用せずに、行き来していた。
が、この夏、母の足腰が、急に弱まり、外出など無理になり、家の中さえ、歩行が十分に出来ない。
更に、日中でも、寝ている時間が増えてきた。
時折、あまり静かな寝姿に、そっと近づいて、息を確認する日もある。
はっきり言えば、これは「想定内」の出来事だから、特に、心騒ぐ訳でもない。
では、何が「込み上げるもの」なのか・・・
2日だったかな? 96歳の最長老であった方が、ほんとに、急に、亡くなられたのだ。
お通夜の席、ご家族ご挨拶の中で、「祖母は、無くなる前日まで食事(僅かであったらしいが)を取っていた」というくだりに、急に込みあがる何かを感じたのだった。
帰宅してから、つらつら、考えてみた。
母は、歩行は困難になったものの、食欲は、十分、維持している。
だから、食事担当(それも、大嫌いな)者としては一番の悩みで、何時も、ちょいちょいとイイ加減なものをあてがっている。
そうか、何時、何事が起きても・・・と、放言しておきながら、私は、母の「最期になるかもしれない食事」を、イイ加減にあしらっているのだと悟った訳でして・・・
殊勝な思いも、実際の食事に反映する事が出来るかどうかは、「難しいねぇ・・・」とだけ言って置きましょう。