IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

込み上げるものが・・・

2014-09-05 12:24:57 | この頃思う事

   

                        雨を受けて、瑞々しい装いの「秋海棠」


 

9年前の9月初旬、故郷に戻って来た時、母は86歳だったと思う。
その時点で、もう、「何が起きても不思議は無い」という、「諦め」とは違う「決意」のような考えを持っていた。

「隣組」には、5名の後期高齢者がご健在で、何かと問題も起こしていた(我が母も含めて)が、まぁ、それらは、笑って済まされるような日常的な問題であり、生きている証しと許容されていた。
で、8年経った時、お二人は旅立たれ、後は、96歳女性、94歳女性(母)、多分90歳位男性の3人になったが、96歳女性は、1年程前、大腿骨骨折で入院生活となり、男性は、歩行に難があって車いすを使用するようになっていた。
唯一、母が、まだ、自分の足で歩行が出来、我家から末娘宅への坂道も、時には、杖も、押し車も使用せずに、行き来していた。

が、この夏、母の足腰が、急に弱まり、外出など無理になり、家の中さえ、歩行が十分に出来ない。
更に、日中でも、寝ている時間が増えてきた。
時折、あまり静かな寝姿に、そっと近づいて、息を確認する日もある。

はっきり言えば、これは「想定内」の出来事だから、特に、心騒ぐ訳でもない。
では、何が「込み上げるもの」なのか・・・

2日だったかな? 96歳の最長老であった方が、ほんとに、急に、亡くなられたのだ。
お通夜の席、ご家族ご挨拶の中で、「祖母は、無くなる前日まで食事(僅かであったらしいが)を取っていた」というくだりに、急に込みあがる何かを感じたのだった。

帰宅してから、つらつら、考えてみた。
母は、歩行は困難になったものの、食欲は、十分、維持している。
だから、食事担当(それも、大嫌いな)者としては一番の悩みで、何時も、ちょいちょいとイイ加減なものをあてがっている。
そうか、何時、何事が起きても・・・と、放言しておきながら、私は、母の「最期になるかもしれない食事」を、イイ加減にあしらっているのだと悟った訳でして・・・

殊勝な思いも、実際の食事に反映する事が出来るかどうかは、「難しいねぇ・・・」とだけ言って置きましょう。


 


コメント (8)    この記事についてブログを書く
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8 コメント

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キレイですね~ (kyon)
2014-09-05 14:41:44
秋海棠・・というのですか。
見かけるけど、名前が分からなかったから、スッキリしました、ありがとうです。

そっかぁ・・・スイッチの入りどころって、人其々ですものね、気持ち・・・揺れますね。

我が母は85歳だから、ほぼ伊豆様の母上とは10年の違いがある。
でも、ワタシもたまに寝入った母が静かだと口元に手をかざしたりして、呼吸を確かめたりします(笑)

食欲があるうちは、多分大丈夫なのじゃないかと思う・・・と、軽々には言えないけれど、
介護現場でも、看取りの場でも、最後に水では無く、好きなものを一口でも食べれる・・・って、大事なのだそうです。
母上は伊豆様が声を掛け、食事がどうであろうと、いいじゃないですか、自分の為に準備をしてくれることで生かされている・・・と、感じてる気がします。
例え口に出さなくてもね。

伊豆様は十分、頑張っているじゃないですか。
もっと自分を褒めてやっていいです。
出来る範囲でしか出来ないし・・
通うと決めた時から、ワタシもある意味、そういう腹の括り方はしてますよ。分相応で・・・やるしかないなぁって。

でも、これから9年・・・あぁ・・・ワタシには続かないかもなぁ~・・・伊豆様の凄さを考えるとちょっと自信なくなるなぁ~・・・根性無しのワタシです(^_^;)
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作る行為が何よりのご馳走! (モコモコ)
2014-09-05 20:37:32
伊豆の花様今晩は
読み終えて、亡き母との食事を思い浮かべてみました、作ってもらうばかりで私が母へ食事を作ってやったことは殆どなく、今なにか作って食べさせたかったなあと一瞬かすめました。
出来栄え云々なんぞ、作るというその行為が何よりのご馳走に思えます。。。
日々毎日のお世話しながらの食事作り、私が一瞬かすめた、そんな暢気な感傷事ではない現実に、
  伊豆の花様毎日ご苦労様です!
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軽々しくて良いですよ (伊豆の花)
2014-09-05 21:19:35
kyon様:
こんばんわ。

私も、「食べられる内は大丈夫!」って、軽々しく思っていますから、ご心配なくね。
母は、ほゞ、娘である私を認識しておりません。
どこかの誰かにお世話になっている・・・という感覚のようですよ。
考えようによっては、この感覚は、私にとって楽ですね。

時々、私の友人から、母にと、上等な果物やお菓子を頂いた時、母は「美味しい!」と言って喜んでいます。
やはり、認知症と雖も、美味しいものは美味しいと分かるようです。

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充実感! (伊豆の花)
2014-09-05 21:53:34
モコモコ様:
こんばんわ~、今は仕事でしょうか?

今(PM8:00)、丁度、友人と、軽い夕食を取りながら、「親」について、考察していました。
「親は、幾つになっても、親を止められない」のだそうですね。
モコモコさんのお母様は、食事を作って食べて貰える事が、親として、充実した日々になっていたのでは・・・と思いました。

因みに、私が充実感を得られるのは、頭で予定した事柄が、スムーズに完了出来た時で、手順が狂うと、かなりイラつきます。
ともかく、早く、完了したいという思いが強くて・・・。
現在の母の状況(以前は、強迫的と思える程、歩き回っていた事を思うと)は、かなり、良い線(?)なのかも知れません。
過去も未来も関係なく、今現在、良い状況はどんな事かを、探すようにしています。
結構、気分が楽になりますね。

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言葉 (チェロ)
2014-09-05 23:27:07

お疲れさまでございます、

お話したいことは山ほどあるように思うのですが、
言葉になりません、

お母様にもよろしくお伝えくださいませ。
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優しさに (伊豆の花)
2014-09-06 00:15:17
チェロ様:
こんばんわ・・・夜中です。

時折、眠れなくて、朝まで、起きています。
いろいろ考えますが、こんな時は、纏まりません。
やはり、眠らなければいけませんね。

遠くより、母を思いやってくださる優しい方のある事を、伝えたいと思います。
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伊豆の花さんへ (ソナタ)
2014-09-06 09:21:56
こんにちは♪♪
お母様を慈しむ伊豆の花さんの心情を思っています。
「親孝行 したい時には 親は無し」と言われますが、私の場合は父を8歳の時に、母を28歳の時に亡くし、本当に命のはかなさ、ままならぬことを実体験して来ました。
それで伯父伯母には、親にできなかった孝養を出来るだけ少しでもと思ってやって来ましたが、まだまだ足りないかも知れませんね。
要は、相手のためにどれだけ時間を割くかが大切だと思っています。
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恩返し (伊豆の花)
2014-09-06 11:52:40
ソナタ様:
今日は、残暑厳しき・・・です。

大丈夫ですよ、伯母様に対するソナタさんを拝見してますと、十分、お父様・お母様も満足されていると思います。

私自身は、親に、余り手を掛けない子供時代でした。
成人してからも、早くから、家を離れ、自由勝手に生きてきたもので、親との係わりは薄いと言えるかもしれません。
だからこそ、ここ8年間が、親との係わりが密になったのは、人生の辻褄を合わせているのかなと考えています。
恩は、誰に返すも、非難されることでは無いと思っています。
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