空き地に、ポツリと咲いた「彼岸花」ですが、結構、自己主張してますね・・・でも、この季節には、良いものです。
まだ、頭の回転が鈍くて、考えが纏まっていないところは、「トレーニング中」という事で、お許しを・・・
9月17日の事。
ひと月ほど、音信不通であった知人が、入院中と判明して、早速、様子を伺いに行った。
これすべて「親切心」という事ではなくて、自分自身が、「確認し納得」できないと、次に進めないから・・・というのが、最大理由であった。
同じところを、4回目だか、5回目だかの骨折をして、再々々入院したのだそうだ。
どう欲目に考えてみても、先行き、普通の状態に戻ることは無いだろうから、知人自身、悲観的な事しか浮かばないのは、十分、理解できる。
私が、知人に対して、何か援助などの行動を起こすのは、全く、不可能であるし、その資格もない。
で、出来る事と言えば、「今、生きているんだから、生きている事を楽しもうよ。何かが起きたら、その時に、また、考えたら良い」と、とても、イイ加減な励ましだけである。
9月15日 「老人に日」の毎日新聞「余録」に、こんな記事が載っていた。
永井荷風は下り坂志向の文人だった・・・。
作家の嵐山光三郎さんが、この夏文庫になった「『下り坂』繁盛記」でこんな荷風論を記している。
・・・・確かに「下る」ほど本が売れ繁盛した人だった。
嵐山さんが書く通り、年をとると「まだまだこれから」とか「若い者には負けない」とか気になりがちだ。
だが嵐山さんは、その発想自体が老化現象だといい、脱上昇志向をすすめる。
上り坂は苦しいだけで周囲も見えないが、下りは気分爽快。
・・・で、出した結論が「人の一生は、下り坂をどう楽しむか、にかかっている」
・・・最近は人生の終りに備え粛々と準備する「終活」ブームだが、時流から取り残されるのも素晴らしいことと嵐山さんはいう。
無論荷風のように下ると繁盛する人は少なかろう。
ならばどうするか。
嵐山さんによれば繁盛している人とタッグを組むのが極意だそうだ。(抜粋掲載)
私のボケた頭に、かろうじて、インプットされていたこの記事を、またまた、イイ加減に解釈して、先行き不安な気持の知人に言った。
「この先、何時まで生きられるかは、予想をしても意味ないよ。楽しめる事を楽しもう、それって、結構、私の得意分野だからね」
ま、「下り」で繁盛はしてない我が人生だが、何故か「楽しむ」ことには「貪欲」であり、きっと、周りも巻き込めると自信たっぷりでいるが、知人には、理解して貰えただろうか・・・ね。
毎年、この空き地には、「ササユリ」も咲いています・・・季節を感じられる場所ですね。