人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

通信簿が5の人は何しても5なんだな

2008-07-28 23:21:07 | Weblog
自分に言いたい。頑張れ。死ぬまで頑張れ。

最近、気がついたことがある、題名にも書いた通り、生まれつきだ。

大体、世の中の試験とかなんとかは、上手く標準偏差通りになるようにできていると思う。あまりにも簡単でみんなが取りすぎると、難しくして、逆に難しすぎると易しくして大抵、標準偏差通りになるようになっている。

さて此処で、学校の成績で大体4とか5とか取っている人がいるとする、この人達は他の試験でも英検とかでも大体4とか5になる。試験なら資格試験だろうが、学校の試験だろうがみんな一緒で、成績の良い人は難しい試験に受かるし、良くない人は易しい試験に受かる。

だから、試験に強い人はどんな試験にも強いし、弱い人はどんな試験でも弱い。そう考えてみると、例えば英検で3級を取るというのは、2とか3の人にとってはすごく素晴らしいことなのではないかと思えてくる。4とか5とか取っている人の1級とか2級に等しいぐらい素晴らしいことなのではないかと。

一般的に社会の中で生きていくとなると、3級を取った人が2級を取った人より、努力していたとしても、2級の人を優遇するだろうけど、努力という意味で言ったら両者は同じぐらいしているのだ。だから努力という意味ではどちらも素晴らしい。

社会の評価なんて信じる必要はない、確かに1級の人は凄いだろうけどそれは社会の評価で凄いんであって、個人の評価ではない。学校の成績が3の人には3級だって凄いのだ。

成績が3の人は努力して3なのである。世の中は5とか4の人は努力していて、2とか1の人は努力していないと思っているけど、そう言う人もいるかも知れないけど、本当にそんな一意な決め方で良いのだろうか。

僕はそんなことないと思う。努力しても3の人は3なのだ。だから、学校の成績が3で英検3級取ったとしたら、それはすごく素晴らしいことだ。(すごく)努力した証拠なのだ。まあでも、3でも英語が好きなら2級ぐらいまでは取りたいね。

余談だけど、幸せを感じるためにはあるいは気楽に生きるためには、社会の評価(相対評価)でなく個人の評価(絶対評価)で自分を判断した方が良い気がする。お試しを、気楽になるよ。

ってな感じかな。