好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

越後三十三観音札所 第24番

2006-10-27 23:54:17 | Weblog
大悲山 景清寺(だいひざん けいしょうじ)
巻町 新潟カントリー500メートル
平沢清水すぐ 
景清という号の寺 平家の悲運の人で両親は源平に分かれ 
(歌舞伎の阿古屋の琴責め)主人公上総七兵衛景清ゆかりの寺
歌舞伎は見たことがないし 解からないが


9月のブログで椎谷観音の紹介の中で
芭蕉の句  草臥れて 宿かるころや 藤の花
貞享4年に芭蕉が 奥の細道の途中で詠んだ 
此れは間違いではと 新潟日報事業社に手紙を出したが
返事がないので編集者のブログにメールしました。
10月18日メールで新 新潟紀行を担当者から執筆者に確認している
との返事 10月23日に担当者から史実と異なっていたことが

判明した、現在歴史紀行(6)は初版ですが 再版以降に関しては
奥の細道の途中からを 笈の小分(おいのこぶみ)に改めたいとのこと

おくのほそみちは
元禄2年3月27日(旧暦)深川 隅田川を出発した)

越後三十三観音札所 巡礼の旅も 同じ所が間違いなのだが
どうするのか 人気のロングセラーとか こちらも
新潟日報事業社発行なのに (改訂版)平成10年10月1日
(1600円+税)H14年4月20日購入


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平沢清水の由来

2006-10-27 22:27:36 | Weblog
平等の 利益にもれぬ しるしおば 
 汲む人ぞしる 平沢の水 
いつ頃誰が詠んだのであろうか、
何時ころから湧き出ていたのか景観を整えるに当たり
石器時代のものと思われる石斧のような物が出てきた
縄文時代頃に人がこの清水を使っていてのかも
大木のケヤキがあると書いてあるが解からなかった、

ここの水でコーヒーでも沸かして飲んで しばし北国街道
の旅人に 思いをはせるか、
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平沢清水

2006-10-27 21:55:27 | Weblog
平沢清水
今も北国街道の風情が残っていると言われている、
新潟カントリーの17番と18番の横あたりか
清水はあるが湧き出ている感じではない
2人汲みに来ていたがどうなんだろう今は生で呑めるか
北国街道の旅人たち あの芭蕉も良寛も文人も多くの人々が
のどを潤し一休みした事だろう
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