八十里越えた河井継之助、 会津史学会理事 飯塚 恒夫氏の講演
午後からですが講聴に出掛けて来ました 予約が必要でしたが 講堂は
満員でした、たち見聞もでて、企画展も同時開催です、
八十里越え体験バスも今日が初日でもう満員らしい が、隣合う福島 只見町
交流が進み 。
河井継之助 只見では(つぐのすけ) 長岡では (つぎのすけ)記念館での読み方。
越後との深いつながり のお話、
戊辰戦争時の只見代官の食糧対策 峠越え援助や宿泊 只見川の大洪水。
河井継之助の最後の十二日間
興味が有る話が続きます
司馬遼太郎 峠の原稿も、
企画展の長岡藩のガトリング砲復元も展示され
日本に3門しかなかった 1866年米国で生産された、
、
写真禁止なので 新聞写真からコピー
その他の企画も楽しいです。
諸橋記念館 楷の木(学問の木)
もう何年前でしょうか徒歩での八十里越え参加しましたので 今度は
体感バスでの参加を何とかしたいですが。
午後からですが講聴に出掛けて来ました 予約が必要でしたが 講堂は
満員でした、たち見聞もでて、企画展も同時開催です、
八十里越え体験バスも今日が初日でもう満員らしい が、隣合う福島 只見町
交流が進み 。
河井継之助 只見では(つぐのすけ) 長岡では (つぎのすけ)記念館での読み方。
越後との深いつながり のお話、
戊辰戦争時の只見代官の食糧対策 峠越え援助や宿泊 只見川の大洪水。
河井継之助の最後の十二日間
興味が有る話が続きます
司馬遼太郎 峠の原稿も、
企画展の長岡藩のガトリング砲復元も展示され
日本に3門しかなかった 1866年米国で生産された、
、
写真禁止なので 新聞写真からコピー
その他の企画も楽しいです。
諸橋記念館 楷の木(学問の木)
もう何年前でしょうか徒歩での八十里越え参加しましたので 今度は
体感バスでの参加を何とかしたいですが。
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