孔子賛 良寛は孔子を尊敬して次のような賛をつくっている。
異 哉 いなるか
瞻之在前忽然在後 これを瞻(み)て前にあるかとすれば
忽然(こつぜん)として後(しりえ)にあり
其学也切磋琢磨 その学や 切磋琢磨(せっさたくま)
其容也温良恭倹譲 その容(よう)や温良 恭倹譲(きょうけんじょう)
上無古人下無継人 上に古人なく下に継(つ)ぐ人なし
所以達巷纔嘆無名 ゆえに達巷(たつこう)纔(わずか)に
名なきを嘆(たん)す
子路徒閉口 子路(しろ)はいたずらに口を閉ず
孔夫子孔夫子 孔夫子(こうふし)よ孔夫子
太無端 はなはだ端(たん)なし
唯有愚魯者 ただ愚魯(ぐろ)なるものあり
彷彿うかがう其室 彷彿(ほうふつ)としてその室(しつ)をうかがう
『大意』
孔子は、何と偉い人であろうこの人を眺めると前にあったかと
思う、何時の間にか後にある様なその偉さは計り知れない
その学問たるや努め励んでやまず、温良でつつましく、人を
擁しておのれをあとにする。孔子以前にこれに比肩する古人なく
孔子以後に彼をつぐ人無く,それ故に達巷という村のものは
あまり偉大すぎて何がんこの人の得意ということがわからないのを嘆じ
弟子の子路は葉公(しょうこう)楚の王族)から孔子のことを尋ねられた
時、説明のしょうがなくて答えられなかった、
孔子よ孔子よ貴方にはまったく短所が無い
ただ愚かものの高柴(こんさい)や にぶい曾参(そうしん)などは
ほのかに聖人の室を外からのぞいているばかりである。
異 哉 いなるか
瞻之在前忽然在後 これを瞻(み)て前にあるかとすれば
忽然(こつぜん)として後(しりえ)にあり
其学也切磋琢磨 その学や 切磋琢磨(せっさたくま)
其容也温良恭倹譲 その容(よう)や温良 恭倹譲(きょうけんじょう)
上無古人下無継人 上に古人なく下に継(つ)ぐ人なし
所以達巷纔嘆無名 ゆえに達巷(たつこう)纔(わずか)に
名なきを嘆(たん)す
子路徒閉口 子路(しろ)はいたずらに口を閉ず
孔夫子孔夫子 孔夫子(こうふし)よ孔夫子
太無端 はなはだ端(たん)なし
唯有愚魯者 ただ愚魯(ぐろ)なるものあり
彷彿うかがう其室 彷彿(ほうふつ)としてその室(しつ)をうかがう
『大意』
孔子は、何と偉い人であろうこの人を眺めると前にあったかと
思う、何時の間にか後にある様なその偉さは計り知れない
その学問たるや努め励んでやまず、温良でつつましく、人を
擁しておのれをあとにする。孔子以前にこれに比肩する古人なく
孔子以後に彼をつぐ人無く,それ故に達巷という村のものは
あまり偉大すぎて何がんこの人の得意ということがわからないのを嘆じ
弟子の子路は葉公(しょうこう)楚の王族)から孔子のことを尋ねられた
時、説明のしょうがなくて答えられなかった、
孔子よ孔子よ貴方にはまったく短所が無い
ただ愚かものの高柴(こんさい)や にぶい曾参(そうしん)などは
ほのかに聖人の室を外からのぞいているばかりである。
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