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●交渉
友人の会社は、ある大手ゼネコンのPC版製造部門の下請けとして作業所内に事務所を持ち、そのゼネコンだけの事業を行なっていました。
そして、ある日突然その作業所の閉鎖が通告されたのです。
ゼネコン側からは、もし事業を継続するのであれば、別の地方の作業所への移転を要求され、それが受け入れられないのであれば契約を解除するというものでした。
社長である友人は、ここで驚くような行動に出たのです。
まず、社員全員を集め会社の状況を説明し、退職するか、作業所の移転に応ずるかの決断を社員に求めました。
そして、退職を希望するものには、退職金の支給とさらに退職上乗せ金を支給するために、自分は契約先である大手ゼネコンと交渉を開始すると宣言しました。
そして、自分は引退するのでもし全員が退職を希望するのであれば会社を清算し、一人でも事業の継続を希望するものがあれば、そのものに会社を事業承継し譲り渡すと言ったのです。
このなかで、退職金の支給は既に積み立てられた資金を利用するので実現は容易でした。
また、事業を譲り渡すことに関しては、自分自身の経済的必要を考えて何とか生きてゆくことができると考えた末の結論です。
社員の要望は二つのグループに分かれました。
作業所の移転を受け入れ、住まい共々移転して事業の継続を希望する者と、退職金の支給を受けて退職し転職する者とに分かれたのです。
そこから、友人の戦いが始まったのです。
それは、事業所の閉鎖を実行するのであれば、各下請けに対し補償金の支給をすべし、それが実現できないのであれば、我々は命を賭してもこの事業所の閉鎖を阻止する。
というものでした。
大手ゼネコンから見た場合、友人の会社は契約に基づいて仕事を発注してきた単なる下請けでありますから、これらのような一種の労働争議にも似た事態は想定もしていなかったことであり、戸惑うばかりでした。
友人の言い分はこういうものでした。
我々は、会社(ゼネコン)の正社員でもなければ派遣社員でもない。単なる下請け企業であり、協力会社だ。
しかし、我々は会社の発展と成長に資するべく他の会社(ゼネコンなど)との契約を一切行なわず、その知識と経験を惜しみなく会社の事業の発展のために費やし、文字通り運命共同体として会社の事業に参画し、努力を重ねてきた。
会社(ゼネコン)も事あるごとに、協力会社に対し、運命共同体としての意識を持って仕事に臨んで欲しいと言っていたではないか。
事実、作業の効率化にともなう各種工夫は、その一部を共同特許として特許取得したものも多く、我々は運命共同体としての自覚と事実を示してきた。
ここから友人達の粘り強い活動が開始され、前代未聞の決着をみたのです。
各下請け企業には、事業所閉鎖に伴い解約補償金が支給されることになりました。
そして、事業を継続する希望のある企業には当初のように移転受け入れ先を用意したのです。
わたしは、この話を聞いて、よくゼネコンがそれを支給したものだ。
という思いと友人の経営者としての覚悟、そして経営観というものに考えをめぐらさずにはいられませんでした。
それは、従業員である「社員・人」をどうみるかということにつきるからです。
単なる雇用者と雇用される関係というよりは、人間である限り、その人の個人の尊厳をどのように捉えているかということに関係しているからです。
この友人には知的障害を持った子供がいます。
彼は、知的障害者の自立のための助産施設や援助活動もしてきました。
今後は、その分野に選任していくものと思われます。
わたしは、よくゼネコンが単なる下請け企業との契約を解除するだけで、補償金を出したものだと思いましたが、それは、友人を中心とした彼らの「人間力」が実現ならしめたものであると確信しています。
その根源に根ざすものは「愛」ですね。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって、愚かで弱く罪深いわたしをどうかお許しくださいますように。
主の慈しみと恵みとは、この愚かなしもべの上に溢れるほどに注がれています。
しもべは、経営者としてひとつの決断をせまられています。
事業を継続し、雇用を守り、従業員の生活を守るために強い精神と堅い決意を維持しなければなりません。
そのために為さねばならないことと、すべきでないことの区別をしっかりと立てなくてはなりません。
願わくは主よ、しもべを助けてください。
主の御心に従い、為すべきこと、為さざるべきことを悟ることができますように。
どうぞ主よしもべを助けてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン
友人の会社は、ある大手ゼネコンのPC版製造部門の下請けとして作業所内に事務所を持ち、そのゼネコンだけの事業を行なっていました。
そして、ある日突然その作業所の閉鎖が通告されたのです。
ゼネコン側からは、もし事業を継続するのであれば、別の地方の作業所への移転を要求され、それが受け入れられないのであれば契約を解除するというものでした。
社長である友人は、ここで驚くような行動に出たのです。
まず、社員全員を集め会社の状況を説明し、退職するか、作業所の移転に応ずるかの決断を社員に求めました。
そして、退職を希望するものには、退職金の支給とさらに退職上乗せ金を支給するために、自分は契約先である大手ゼネコンと交渉を開始すると宣言しました。
そして、自分は引退するのでもし全員が退職を希望するのであれば会社を清算し、一人でも事業の継続を希望するものがあれば、そのものに会社を事業承継し譲り渡すと言ったのです。
このなかで、退職金の支給は既に積み立てられた資金を利用するので実現は容易でした。
また、事業を譲り渡すことに関しては、自分自身の経済的必要を考えて何とか生きてゆくことができると考えた末の結論です。
社員の要望は二つのグループに分かれました。
作業所の移転を受け入れ、住まい共々移転して事業の継続を希望する者と、退職金の支給を受けて退職し転職する者とに分かれたのです。
そこから、友人の戦いが始まったのです。
それは、事業所の閉鎖を実行するのであれば、各下請けに対し補償金の支給をすべし、それが実現できないのであれば、我々は命を賭してもこの事業所の閉鎖を阻止する。
というものでした。
大手ゼネコンから見た場合、友人の会社は契約に基づいて仕事を発注してきた単なる下請けでありますから、これらのような一種の労働争議にも似た事態は想定もしていなかったことであり、戸惑うばかりでした。
友人の言い分はこういうものでした。
我々は、会社(ゼネコン)の正社員でもなければ派遣社員でもない。単なる下請け企業であり、協力会社だ。
しかし、我々は会社の発展と成長に資するべく他の会社(ゼネコンなど)との契約を一切行なわず、その知識と経験を惜しみなく会社の事業の発展のために費やし、文字通り運命共同体として会社の事業に参画し、努力を重ねてきた。
会社(ゼネコン)も事あるごとに、協力会社に対し、運命共同体としての意識を持って仕事に臨んで欲しいと言っていたではないか。
事実、作業の効率化にともなう各種工夫は、その一部を共同特許として特許取得したものも多く、我々は運命共同体としての自覚と事実を示してきた。
ここから友人達の粘り強い活動が開始され、前代未聞の決着をみたのです。
各下請け企業には、事業所閉鎖に伴い解約補償金が支給されることになりました。
そして、事業を継続する希望のある企業には当初のように移転受け入れ先を用意したのです。
わたしは、この話を聞いて、よくゼネコンがそれを支給したものだ。
という思いと友人の経営者としての覚悟、そして経営観というものに考えをめぐらさずにはいられませんでした。
それは、従業員である「社員・人」をどうみるかということにつきるからです。
単なる雇用者と雇用される関係というよりは、人間である限り、その人の個人の尊厳をどのように捉えているかということに関係しているからです。
この友人には知的障害を持った子供がいます。
彼は、知的障害者の自立のための助産施設や援助活動もしてきました。
今後は、その分野に選任していくものと思われます。
わたしは、よくゼネコンが単なる下請け企業との契約を解除するだけで、補償金を出したものだと思いましたが、それは、友人を中心とした彼らの「人間力」が実現ならしめたものであると確信しています。
その根源に根ざすものは「愛」ですね。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって、愚かで弱く罪深いわたしをどうかお許しくださいますように。
主の慈しみと恵みとは、この愚かなしもべの上に溢れるほどに注がれています。
しもべは、経営者としてひとつの決断をせまられています。
事業を継続し、雇用を守り、従業員の生活を守るために強い精神と堅い決意を維持しなければなりません。
そのために為さねばならないことと、すべきでないことの区別をしっかりと立てなくてはなりません。
願わくは主よ、しもべを助けてください。
主の御心に従い、為すべきこと、為さざるべきことを悟ることができますように。
どうぞ主よしもべを助けてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン