●金欠病ウィルス
およそ人間の智恵や考えをはるかに超えておられる神が、この地上における人間の活動に対して直接的に介入なさることはそう多くはありません。
旧約聖書においては、創世記における創造の働きの後、ノアの洪水の物語にあるような神御自身による人間の活動に対する直接的な働きかけが記録されています。
出エジプト記にある、数々の奇跡や、雲の柱・火の柱などによる人間の目に見えるような直接的な働きかけは、やがて少なくなっていき、キリストの十字架以降には聖書に記録された神ご自身が直接人間の活動に対して働きかけた記録は見られません。
わたし達のこの時代には、人間がその心に生じた想いが神の霊によるものか、あるいは悪の霊によるものかをよく吟味するように聖書には書かれています。
つまり、神ご自身が直接的に人間の活動に対して介入なさるのではなく、人間の心に働きかけて、神の望まれる方向へと導かれていると考えるのが私の理解です。
さて、このたび私はあるチャレンジをします。
その取り組みに対して、神の霊による働きかけが私にあったという確信は残念ながらありません。
ただそれに取り組んでみることが、私に求められている働きのひとつであり、そうすることによって、私自身がかかえている困難を乗り越える有効な手立てとなるという、確度の高い予感がしていると言うものなのです。
私のかかえている困難とは、個人的には経済的な困難であり前回にも書きましたが現金勘定が不足しているというものです。
わかりやすい言葉で言えば、金欠病という今回の新型インフルエンザよりも恐ろしい病です。
これに犯されて十数年という年月が経過して、病はついに「慢性型金欠病」へと進行してしまいました。
こうなると回復するには極めて困難な病となるのですが、このような困難をかかえている私に「金銭的な支援を含めた協力を実行せよ」という想いが私の心に生じたのですから、ごく普通に考えて私は異常な想いを抱いたと言うより他に表現のしようがありません。
いつもいつも、日常的に金銭的支援を神に求めている者が「金銭的支援をする者」になれ、というのですから。
ついに金欠病ウィルスが脳内に侵入して、正常な考えを持つことができなくなったのだろうか。
と、思うような想いが生じたのです。
いったい、私を助けてくださっている神様は何を考えておられるのでしょうか。
それとも、私は悪の霊に導かれているのだろうか。
◆今日の祈り
全能なる御父愛する天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深い私ですが、どうかお許しくださいますように。
主は、しもべの上に豊かな恵みと祝福を注いでくださっています。
注いでいるという言い方よりも、恵みと祝福で満たされているプールに私をつまみ上げ投げ込んでしまわれた。と、いうべきだと言うほどにしもべは主の恵みに預かっています。
しもべの心に生じた想いが必ず実現できることを主は、この愚かで、弱く、鈍感なしもべに知らしめようとされています。
願わくは主よ、この愚かなしもべを助けてください。
しもべが悪の霊に導かれることの無いように、また、しもべに内在する罪に打ち勝つことができますように、しもべの弱い信仰を増し加えてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン
およそ人間の智恵や考えをはるかに超えておられる神が、この地上における人間の活動に対して直接的に介入なさることはそう多くはありません。
旧約聖書においては、創世記における創造の働きの後、ノアの洪水の物語にあるような神御自身による人間の活動に対する直接的な働きかけが記録されています。
出エジプト記にある、数々の奇跡や、雲の柱・火の柱などによる人間の目に見えるような直接的な働きかけは、やがて少なくなっていき、キリストの十字架以降には聖書に記録された神ご自身が直接人間の活動に対して働きかけた記録は見られません。
わたし達のこの時代には、人間がその心に生じた想いが神の霊によるものか、あるいは悪の霊によるものかをよく吟味するように聖書には書かれています。
つまり、神ご自身が直接的に人間の活動に対して介入なさるのではなく、人間の心に働きかけて、神の望まれる方向へと導かれていると考えるのが私の理解です。
さて、このたび私はあるチャレンジをします。
その取り組みに対して、神の霊による働きかけが私にあったという確信は残念ながらありません。
ただそれに取り組んでみることが、私に求められている働きのひとつであり、そうすることによって、私自身がかかえている困難を乗り越える有効な手立てとなるという、確度の高い予感がしていると言うものなのです。
私のかかえている困難とは、個人的には経済的な困難であり前回にも書きましたが現金勘定が不足しているというものです。
わかりやすい言葉で言えば、金欠病という今回の新型インフルエンザよりも恐ろしい病です。
これに犯されて十数年という年月が経過して、病はついに「慢性型金欠病」へと進行してしまいました。
こうなると回復するには極めて困難な病となるのですが、このような困難をかかえている私に「金銭的な支援を含めた協力を実行せよ」という想いが私の心に生じたのですから、ごく普通に考えて私は異常な想いを抱いたと言うより他に表現のしようがありません。
いつもいつも、日常的に金銭的支援を神に求めている者が「金銭的支援をする者」になれ、というのですから。
ついに金欠病ウィルスが脳内に侵入して、正常な考えを持つことができなくなったのだろうか。
と、思うような想いが生じたのです。
いったい、私を助けてくださっている神様は何を考えておられるのでしょうか。
それとも、私は悪の霊に導かれているのだろうか。
◆今日の祈り
全能なる御父愛する天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深い私ですが、どうかお許しくださいますように。
主は、しもべの上に豊かな恵みと祝福を注いでくださっています。
注いでいるという言い方よりも、恵みと祝福で満たされているプールに私をつまみ上げ投げ込んでしまわれた。と、いうべきだと言うほどにしもべは主の恵みに預かっています。
しもべの心に生じた想いが必ず実現できることを主は、この愚かで、弱く、鈍感なしもべに知らしめようとされています。
願わくは主よ、この愚かなしもべを助けてください。
しもべが悪の霊に導かれることの無いように、また、しもべに内在する罪に打ち勝つことができますように、しもべの弱い信仰を増し加えてください。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン
小さな会社を主人と経営してますが ほとんど 私任せです。
今回は 本当に大変で 食費にも事欠くありさまです
この結婚が間違ってたのでしょうか?
小学生の娘の笑顔を見るだけで辛くなります。
なんだか 凄く疲れました。
コメントありがとうございます。
会社の資金繰りは大変ですよね。不渡り手形をいただいてしまったのか、出してしまったのか分かりませんが、いずれにしても深刻な出来事です。
うちも米が無くなったときは、さすが悲しくなりましたが、それでも何とか生きて来れました。子供の笑顔が何よりの救いでもありました。
そして、神様に祈ることができるようになって心に平安がおとずれました。
ゆう 様のこと、ご家族のことを神様に祈ります。
結婚が間違っていたとは思えません。
そして、何かが間違っていたとか、何かが災いになっているとかもありません。
あるのは、困難を乗り越えるその先にある希望です。
希望を持ちましょう。