新入生が入ってくると、部活への勧誘のため決められた日程で、それぞれの部が体育館で練習風景を見せて新一年生に入部のアッピールを行ないました。
体操部では、マットを使った床運動を行い、一年生にアッピールしました。
一種の演技披露ですね。
私の場合はおよそ4ヶ月程度の部活で演技披露でしたから、緊張感がありました。
前方回転から前方宙返りの連続技、バク転の連続回転などを披露しましたが、失敗もしでかしました。
前方宙返りでしりもちをついてしまいました。
かっこよいところを見せようとしたのが失敗の原因です。 . . . 本文を読む
これらを心がけてから、ついに補助者が力をいれずにただ手をお尻の上に添えてくれるだけでバク転ができるようになりました。
そこで、補助者無しでやってみると、最初の頃と同じで体の反りが不足して、頭をついてしまうのです。
これは恐怖感がなせるわざなんです。
恐怖感というのは、人間の体をこわばらせてしまうのです。 . . . 本文を読む
その生徒の所属する器械体操当時体操部と呼んでいましたが、部員が少なくあまり活発な活動はしていませんでした。
何しろ、二年生の部員がおらず、受験勉強にいそしむ三年生と一年生しか部員がいなかったぐらいだったのです。
指導する部長の先生も体操を教えることができない先生でしたので、部活はしている程度というのが正直なところだったのです。
しかし、女子は先生も体操の先生で部員も多く男子に比べて華やかでした。
いろいろと考えて、道具も、ボールも使わない、自分の体だけで勝負する体操部も自分にはよいかなと思いましたし、二度も挫折している私には、もうすぐ卒業する三年生しか先輩がいないというのも魅力的でした。
わたしは、一年生の三学期に体操部に所属することになったのです。
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簡単に言ってしまえば、当時の我が家は無宗教ではあるが、神棚があり、お正月は毎年成田山にお参りして、何処かへ旅行などに行けば、行った先に有名な神社仏閣などがあれば、そこで販売しているお守りなどを買ってくるという。
ごく普通にありがちな、八百万の神の、困った時の神頼みという。家だったというわけです。
それが、父親が死亡事故を伴った交通事故で重症を負い、まだ中学生のあまり役に立たない子供をかかえた家庭だったわけです。
そこに、不幸にして亡くなられた方の信じて入信した、宗教団体の強烈な「折伏(しゃくぶく)」活動の洗礼を受けたのです。
当時中学一年生だった私の心には、この折伏という行為は、宗教とはいったいなにものか。という思いを抱かせました。
ハッキリと憎悪にも似た想いが体に刷り込まれたのです。 . . . 本文を読む
ついに母は泣きながら、「何でそれを信じている人が死んでうちの父ちゃんは助かったのか。」という辛い質問を投げかけたのです。
何故辛いかといいますと、亡くなった家族の方に父は助かったので多少の負い目があったのだと思います。
その答えは、「運が悪かった」というものでした。
わたしは、聞いていてあきれてしまいました。
これを信じればこんな不幸なことはおきない。と勧誘しながら、信じていた者が死んで、信じていない者が助かったのですから、なんなんだそれは。ということですね。
母は気を張り詰めて頑張っていたのです。
伝道活動をする人達のターゲットではありません。
そんな母を守ることも出来ない自分の歯がゆさが心を駆け巡っていました。
・・・・・・・ここまでが前回のブログでした。 . . . 本文を読む