そこで、「まち」は、暮らしの向上を、環境面での整備をすることから「まちづくり」が行なわれ、そこに人を誘致するということに定義されてきました。
つまり「まちづくり」は、ニュータウンの開発と都市の再開発事業の実施へと定義されてきたのです。
そして、少子高齢化と人口減少という、数十年前から既にわかっていた現象が今の問題のごとく現代のわたし達の前に置かれているというのが問題の本質なのです。
わたし達の目が開かれねばならない「まちづくり」の持つ問題の本質とは、ニュータウンの開発と都市の再開発事業の実施が、実は本質的な「まちづくり」ではなかったということを自覚し、では本物の「まちづくり」とはいったいどういうことなのかということを、国民的レベルで、民衆のレベルで、一般大衆のレベルで論議し、皆が納得のできる定義を見出すところから始める必要があるのだ。
ということなのです。
ハイ。
あ~あ、疲れた。・・・・・・ここまでが前回のブログでした。 . . . 本文を読む
何故なら「差別化」を手にした人は、同業他社と差別化による、得られるであろう「利益」を享受したいから「差別化」を手にしたかったのです。
差別化には、その商品や技術の持つ機能や特徴が簡単に真似されない「参入障壁」を持っているので競争に打ち勝つ力があるからです。
つまり、ソフトスチーム技術を「差別化」という戦略的なとらえ方で取り入れる限り、Y氏のめざす「まちづくり」とは違ったスタイルしか想像できないのです。
それは、差別化による「収益の拡大と持続」を「自分達」の手にしたいからです。
しかし、この「自分達」の「達」に、「まち」を構成する「多様な価値観」を持つ多くの人を迎え入れることができるかどうか、そこにまちづくりの可能性が潜んでいるように思うのです。・・・・・・ここまでが前回のブログでした。 . . . 本文を読む
以前このブログで書きましたが、不ぞろいの農産品、規格外の農産品は二束三文で買い叩かれるか売れないのかのどちらかであります。
そこで、これをソフトスチームで下ごしらえして販売すれば、二束三文が、一束四文くらいで売れるかもしれません。
ところが、生産者である農家がソフトスチーム技術に期待するのは、規格外の農産品を規格品と同等の価格で売りたいのです。
これは人情として当然ですね。
形だけの違いが取り除かれた商品なのですから、そう願うのは当然なのです。
また、そうなる期待があるからソフトスチーム技術を導入する投資を行なえるのです。・・・・・・ここまでが、前回のブログでした。 . . . 本文を読む
そこにあるのは、”ぬくもりのある手から、人の温かさを感じる手へ”安心と安全、栄養豊富で美味しい「下ごしらえ済み食材の供給」という仕組みが構築されなければならないのです。
ただ、届けられる仕組みではなく、人と人との交わりがともなった「人介宅配」であり、無言でレジ清算する買い物ではなく、笑顔と会話という”非生産的な日常生活の延長線上での「お買い物」”を小売という拠点販売に求めているのです。
これによる人的交流が、情報交換を促し、安心と安全な食と環境を育む原動力となると考えたのです。
つまり、食材供給を事業としておこうな時の”効率性”よりも”人的交流”を優先する仕組みでなければならないのです。
では、これは実現可能なのでしょうか。・・・・・・ここまでが、前回のブログでした
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