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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 73

2024年04月17日 05時42分26秒 | 甲越軍記
 諏訪頼茂は、晴信の心籠った対応に喜び、これで小笠原、村上が攻め込んできても武田の強い絆が救ってくれることを確信した。

晴信は密かに仲間頭荻原弥右衛門を呼び「汝、頼茂の傍に寄って隙を見て刺し殺すべし」
荻原は次の間に去って、それから短刀を懐に隠して料理、菓子を持って給仕の体で頼茂に近づいた
そして頼茂が横を向いた刹那、懐の短刀で「えい!」と胸に一刺しすると、頼茂は匕首を抜いて荻原に切りつけたが、荻原はそれを奪って額から真向に切りつけたので頼茂はたちまち息絶えた。
騒がしさに気づいた諏訪頼高と従士十余人は匕首を抜き、荻原を討たんと切りかかった。
されどもここは甲府の館、多勢に無勢で武田の士に取り囲まれて、次々と討ち死にした、頼高一人が傷を負いながらも抜け出て、諏訪の供の者たち三百の中に逃れて、諏訪を目指して落ちのびた。

晴信は舎弟、左馬之助信繁を呼び「汝、直ちに諏訪へ向かい速やかに攻め落とすべし」と申し付けた。
信繁を大将に、板垣駿河守信形、日向大和守昌時を副将に三千七百騎をもって、信州諏訪に攻め寄せた。

諏訪の城では逃げ戻った頼高によって、頼茂だまし討ちが伝えられ、城中の女、子供はただただ恐れ泣き叫ぶばかりであった。
頼茂に男子なく、今年十六の娘があるばかり、頼高はもはや小笠原、村上とも敵対した上は城に籠っても勝ち目なし、城を出て戦うのみと三千騎を率いて、普文寺村と云うところに陣を張って待ち構えた。

武田勢、間もなく普文寺村に着き備える、その先陣は板垣信形、敵味方互いに矢石を飛ばして火ぶたが切られたが、板垣と言えば引くことを知らぬ荒武者ばかり、短兵急に攻めつける
諏訪勢も今日を最後と思えば、誰一人引かず戦場は手負い死亡数知らず
頼高は武田勢を切り破り、武田信繁の首を冥途の土産に持ってゆかんと、自ら三間槍を手に武田勢の中に飛び込んで、当たるを幸いに突きまくると諏訪の兵もこれに倣って打ち込めば、武田方は五、六町も押し込まれて下がった
頼高は敵の下がるのを見て、一息ついてから戦おうと小高い丘に馬を乗りあげているところに、武田の士、長坂左衛門尉という者あり
この人は、一昔前の戦、海尻の戦で勇無き振る舞いを行い、勘気を被って浪人となっていたが、なんとか帰参したいと思い槍を携えて戦場を見渡していたところ、小高い丘に名のある体の諏訪武士を認めて、これぞ天が与えた機会と丘を上っていった

長坂が近づいても、まだ頼高は気づかず、槍を繰り出すと緩めた兜の間から深々と背から胸まで突き抜けて、たちまち頼高は馬からどっと落ちた
頼高の仲間(ちゅうげん)らは驚いて長坂に切りかかったが、一人を槍で突き殺すと、残った仲間は一目散に坂を逃げ下りた。
長坂は頼高の首を取って、高々と差し上げると、諏訪の士が頼高の討ち死にを叫んだ。
これを聞いた諏訪の者たちは、これまでと散り尻になって逃げ去った
甲州勢が今日の戦いで取った諏訪方の首は三百二十余級という。
長坂が敵の大将、諏訪頼高の首を武田信繁の前に差し出すと、信繁は満足の表情となり、長坂はついに帰参を果たした。

その勢いのままに、諏訪の城へ攻め寄せると、もはや兵の姿はなく女子供ばかりであったから忽ち武田の手に落ちた。
女、子供を全て捕えて甲府へ連行した、板垣は直ちに諏訪の郡代を任せられた
連れ帰った諏訪の女たちの中でも、頼茂の娘は容貌尋常の美しさを超えていたので晴信は直ちに妾とした
その後、この妾は武田(諏訪四郎)勝頼を産む。

武田晴信、古今になき英雄であるが、諏訪頼茂をだまし討ちにして滅ぼしたことは一代の不義である。
だまし討ちにするのは「兵は詭道なり」と言って戦国では珍しいことではないが、諏訪頼茂は伯母婿である、しかも和睦して心許しているのに、まだ和議の血判も乾かぬうちに、これをだまし討ちするとは匹夫と言えどもやらぬ卑怯この上ない振る舞いである
さらに従妹である姫をさらって妾にして子を産ませるなど、天下の豪傑と賞される者の行えることではない、是晴信の生涯の汚点なり。





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