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「昭和は良かったね」⑥ おら東京さいぐだ

2016年09月29日 08時03分30秒 | 昭和という時代

我が町から東京へ行くには日本列島の一番幅広な場所を横断しなければならない

だから東京へ初めて行ったのは昭和38年、中学1年の時だった

石炭を焚いて走る蒸気機関車、クーラーなどなかった時代だから暑いと窓を開ける

トンネルに入る前にあわてて窓を下ろす、開けっ放しでトンネルに入ろうものなら

車内は石炭の煙で充満して顔はすすけるし、目には石炭の粉が入って痛いどころではない

信越線碓氷峠ごえでは横川駅の釜飯販売で汽車はちょっと長めに停車する

窓を開けてホームを歩く弁当売りから買う人もいるし、ホームへ買いに出る人もいる

みんな乗るまで発車しない、のどかな風景だった

東京までは10時間くらい半日がかりの行程だった

 

夜行列車というのが走っていて、別に特別な列車では無く、たんに夜走るだけの普通の列車だ

最近廃止された高級なナイトトレインとは違う

東京へ行くとなるとほぼ一晩車中にいるわけで、大概は寝ている

新聞紙を足下にひいて裸足になるのは当たり前で、通路に新聞をひいて寝る人もけっこう居た

トイレへ行く人も「じゃまだ」なんて言わず、寝ている人をそっと避けてトイレに通う

 

初めて東京へ行った日は、カントリーボーイにとって衝撃的な一日だった

父は10数年年前まで暮らしていた東京だから蛍の尻尾で、交通はおてのもの

東京タワー、皇居に行ったことは覚えている

東京タワー333m、現代のスカイツリーと同じ人気、球界大スター長嶋茂雄の背番号3とダブって

3のイメージが強かった

 

東京の帰りも夜行列車で、なんと寝過ごしてしまったのだ

目が覚めたら、降車駅を2つ通り過ぎていた、急行列車だったので大きな駅しか停まらず

最初の停車駅で降りた、漁場の町だった、戻る列車が来るのに2時間以上またされた

時間は深夜の3時だった、ようやく5時頃各駅停車の鈍行列車がやってきた

行商のおばちゃんたちが何人も乗り込んだ

私はこれで帰れると喜んでいたが、降車駅までは1時間半くらいかかる

そのうち腹が減ってきて血圧が下がり気分が悪くなり、青ざめてきた

脂汗が出てぐったりしてきたら、前の席に座っていた行商のおばちゃんが

「坊、どうしたね?」と聞いてきた

「腹が減ったようで」と父が言った

するとおばちゃんは大きな荷物の中からリンゴを一ヶ取り出して

「食え」と言って渡してくれた

皮つきのままかじりついた、リンゴの酸味と甘さがのどから胃に流れ込んでいく

これほどのおいしい食べ物は過去にどれだけもなかったろう

私は生き返った、元気が出た

おばちゃん、あのときは本当にありがとう

 

 


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