神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

真田丸 いよいよ関ヶ原合戦間近

2016年08月25日 17時38分29秒 | 映画/ドラマ/アニメ

タイムマシーンがあったら真っ先に「関ヶ原合戦」を見たいですね

当時の庶民の娯楽に戦見物があったとか、たしかにサッカーやアメラグを見物する感覚

いやオリンピックかな、当人たちは命がけですけど

あの、すり鉢のような関ヶ原のグラウンドで東西数千の精鋭がぶつかり合い

槍で叩き、騎馬隊と騎馬隊がぶつかり、ホラ貝で一斉に押したり引いたり

新手が思いがけぬ方向から押し出し、それを鉄砲が迎え撃つ

小早川の一万あまりの隊が山を駆け下りてきたときの様子は山津波のようでしょうなあ

さて負けたら惨め、全て落ち武者となって山の中へ、川伝いに三々五々逃れていき

見物の百姓たちが竹槍を持って、落ち武者を突きに行く

刺し殺して鎧甲に刀剣を奪い、殺された武者はふんどしまではぎ取られて惨め

落ち武者狩りに合えば首まで持って行かれてしまう

まったく日本人も明治維新の頃まで「首狩族」だったのはご存じですか

新撰組局長、近藤勇の首がさらされている写真は有名ですよね

関ヶ原で破れた石田方(俗に西軍という)でも首謀者の石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人は

生け捕りにされて、生きざらしの屈辱の上に首を切られてさらされた、もちろん家族郎党も皆殺し

当時の朝鮮だと敗者の家族は殺されるか奴隷に落とされた

同罪の宇喜多秀家は薩摩まで逃げ延びて、後に逮捕され減刑されて八丈島へ流刑

そこで80歳以上まで長生きした、島の女との間に子も出来たとか

同じく首謀者でしかも旗印となった毛利輝元は、一戦も交えなかったことで領地の75%を取り上げられたが

なんとか明治まで滅ぶことなく続いた。

ある意味、もう一方の首謀者である上杉景勝は家康を深追いしないのが幸いして、こちらも領地の75%減で

明治まで生き延びた。

唯一、徳川軍を破ったのが信州上田城の真田昌幸、数千の兵で4万の徳川秀忠軍を苦しめ損害を与えて

足止めに成功、秀忠軍は関ヶ原の戦いに間に合わない大失態をおかした。

家康は単独で勝ったから良いものの、もし小早川が石田軍に味方したら命も危うかったろう

それほどの被害を与えながらも、徳川に味方した長男の命乞いで紀州への流刑ですんだのだった

そのため14年後には次男の真田幸村によって家康は再び命の危険を味わう

加藤清正、福島正則など秀吉の親戚で子飼いの武者たちが、なぜ家康に味方したのかは不明だが

晩年の秀吉が三成を重宝して清正等を遠ざけたからとか、三成の態度に腹を立てたとか

秀吉の妻、北の政所が本妻の座を妾の淀に奪われたので家族同様の清正らに家康に味方するよう言ったとか

尾張派と近江派はそりが合わなかったとかいろいろな説がある

だがやっぱり欲得と勝ち馬に乗るというのが本音ではないだろうか

テレビでの真田幸村はまだまだ小粒な若造ですね、実際もそうだったのでしょうか