JR西日本が今年4月に設置した社員教育施設「鉄道安全考動館」(大阪府吹田市)の展示をめぐり、信楽町(現・甲賀市)で1991年5月に起きた信楽高原鉄道(SKR)事故の遺族が5月14日、事故から16年の追悼法要でJR側に抗議書を手渡しました。42人が死亡した惨事の責任について、記述が不十分と、遺族はJRに激しく反発し、「体質は変わっていない」と怒りをあらわにしました。
約90人の遺族らが参列した法要の後、遺族らでつくる市民団体「鉄道安全推進会議」(TASK)の吉崎俊三会長(73)が、鉄道安全考動館の展示内容についてJR西日本の山崎正夫社長に詰め寄りました。
山崎社長は「耳の痛い話」と述べるにとどまりました。しかし直後の報道陣の取材に対しては、「認識のずれがあるのは事実だが、展示は判決に沿って作ったつもりだ。今の時点で変えるつもりはない」と言い切りました。
発端は、信楽高原鉄道事故についての記述でした。同館は2005年4月に107人が亡くなったJR宝塚線(福知山線)の脱線事故を受け、鉄道の安全確保を教育する目的で設置されました。一般には非公開ですが、関係者によると、JRは信楽事故の過失について、「信号トラブルで手続きが不十分なことを知っていたにもかかわらず、上司に報告しなかったことが問題と指摘された」と記述しました。
しかしJR側が信楽高原鉄道に無断で、自社の乗り入れ列車を優先的に進めるようにするため設置した「方向優先てこ」の存在は明記しませんでした。この装置は刑事、民事いずれの訴訟でも事故と因果関係があると認定されており、SKR側はJRに抗議しています。
遺族側はこうしたJRの姿勢を「責任逃れ」と批判しており、吉崎会長は「考動館を見に行くのも断られた。一般公開もせず、何が社員教育だ」と述べ、抗議書で展示内容の改善を求めています。
法要に参列した後藤泰子さん(64)=大阪府茨木市=は、夫の正利さん(当時51)を亡くしました。JRの姿勢について、「自分たちが直に悲しみを感じていないから、変わらないのではないか」と語りました。
抗議書について、JR西日本広報部は、「内容を読んで検討したい」としています。
■信楽高原鉄道事故の経緯■
1991年5月 信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突。42人が死亡、600人以上が負傷
92年12月 県警がSKRの元運転主任ら3人を業務上過失致死傷容疑で逮捕。JRの元運転士らを同容疑で書類送検。JR側は全員不起訴処分に
93年8月 「鉄道安全推進会議」(TASK)設立
10月 遺族の一部が損害賠償求めJRとSKRを大阪地裁に提訴
99年3月 大阪地裁が両社の過失を認め、計約5億円の支払いを命じる。JRは控訴
2000年3月 大津地裁がSKRの元運転士ら3被告に禁固2年6カ月~2年の有罪判決を言い渡す
02年12月 大阪高裁が民事訴訟でJRの控訴棄却。JRは上告せず
04年4月 JRがSKRや信楽町などに対し遺族への補償金など計約32億円の負担割合を決める民事調停を大津簡裁に申し立て
05年4月 JR宝塚線(福知山線)で脱線事故。107人死亡、562人が負傷
06年12月 大津簡裁で民事調停が不成立
07年4月 JRが過去の鉄道事故の資料を展示する社員教育施設「鉄道安全考動館」開設。SKRが展示内容について抗議
信楽高原鉄道事故 信楽高原鉄道(SKR)の列車とJR西日本の列車が1991年5月14日、正面衝突しました。JRは信楽町(現・甲賀市)で開催されていた「世界陶芸祭」のため、単線のSKRに乗り入れていました。県警などの調べでは、SKRの列車が赤信号のまま出発し、JRの列車と衝突したとされています。後に、JR側が自社の乗り入れ列車を優先させる装置を無断で設置していたことが判明し、事故の一因と指摘されました。
(5月15日付け朝日、毎日などが報道)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000705150003 など
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■イラク戦争による民間人死者数■
(2007年5月15日現在)
最小:6万3610人 (5月1日より850人増)
最大:6万9658人 (5月1日より872人像)
イラク・ボディ・カウントより
http://www.iraqbodycount.net/
《イラク・ボディ・カウント》は英米の市民による調査機関であり、中東や欧米の複数のメディアで確認されたものを死者としてカウントしており、その精度は高いものと考えられます。しかし、これらの報道により確認されていない死者を入れると、実際の死者数は上記の数値の数倍に達しているものと思われます。