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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

中倉宏美女流二段は、女優の松本若菜に似ている

2021-01-26 00:43:13 | 似ている
日付変わって今日1月26日は、LPSA代表理事・中倉宏美女流二段のお誕生日。おめでとうございます。
その宏美女流二段は、女優の松本若菜に似ていると思う。
松本若菜は1984年2月25日・鳥取県生まれの36歳。高校時代にスカウトされ、それが縁で、2007年「仮面ライダー電王」で女優デビュー。その後もテレビや映画にコンスタントに出演している。
昨年はNHK「麒麟がくる」で、於大の方役で出演した。出演シーンは短かったが、徳川家康の母親役をしっとりと演じ、存在感を示した。ほかにもテレビ朝日「警視庁・捜査一課長」、フジテレビ「SUITS/スーツ2」、テレビ朝日「七人の秘書」などに出演。「捜査一課長」は主役級ゲストで、凛とした佇まいが美しかった。松本若菜はこんな役柄が似合うと思う。
宏美女流二段と松本若菜は、古風な顔立ちと雰囲気が似ていると思う。

24日(日)に放送されたBSフジ「白玲~初代女流棋士No.1決定戦~」に宏美女流二段が出演したが、LPSA代表理事の激務の傍ら、しっかり研究をしていたことに感銘を受けた。
宏美女流二段は今年度、伊藤沙恵女流三段や甲斐智美女流五段に勝つなど、存在感を示している。2021年は女流順位戦での上位クラスを目指して、頑張ってもらいたい。
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2020年・長崎旅行6

2021-01-25 00:53:35 | 旅行記・九州編
眼鏡橋は黒色の石が使われ、威風堂々としていた。川面まで降りていけるが、いまは飛び石の上に女性がおり、こちらの女性に向けてポーズを取っている。
川沿いの石塀には、どこかにハートマークの石が埋め込まれていたはずだ。それを探したいものだが、旅行者がほうぼうから写真を撮っており、私のようなオッサンがその視界に入っていくのはためらわれる。
その先に目を転じると、匠寛堂があった。こんな近くにあったのか! いまも店の女性が「申し訳ありません」とか言ってお客さんをお見送りしていた。





私も入店し、何となく店の女性に話し掛ける。
「ここ、以前テレビで紹介されてましたよね」
「はあ、どこでしょう? いくつも取材を受けているので……」
どうも、こちらは私の想像以上に有名な店だったようだ。とりあえずカステラを所望すると、当日販売分はなく、いまから注文すると1月3日の配送になるとのことだった。
カステラの味などどこでも同じだと思うが、こちらの最高級品は桐箱入りで、皇室献上らしい。それでも、けっこう購入する客がいるという。私は畏れ多くて口にしようとは思わないが、それに準じるカステラは味わってみたい。
それで、「献上五三焼・佳好帝良」(2200円+税)と「はちみつかすてら」(1750円+税)をそれぞれ1斤購入した。これに配送料がかかるから割高だが、前夜に入手した地域振興クーポン(1,000円分)が使えたからよかった。
会計時に個包装のカステラをお詫びにくれた。ありがたい配慮である。損して得取れで、また次回も利用する気になるではないか。
観光案内版を見ると、この先に商店街があるようだ。ぶらぶら行くとアーケード街が見え、「ベルナード観光通り」といった。私は長崎県に何回も訪れているが、さっきの諏訪神社同様、この商店街もまったく知らなかった。
ベルナード観光通りは、有名なカステラ処等もあったが、地元密着のような気がした。微妙に人通りも増え、私は複雑な気分になる。
アーケードを外れたところに、吉宗、という見事な和風建築の食事処があった。もう開店しているようだが、何となく怖気づいて、入れない。
アーケード街に戻り、ゴールインしたあとさらに進むと、聖寿山崇福寺に着いた。これも立派な観光名所なのだろうが、有料だったので入園はせず、引き返す。
さっきのアーケード街の外側は、味のある路地裏になっていた。ドラマのロケに使えそうな気がした。
このあたりにラムネを売る店があるらしいのだが、どこにあるのかさっぱり分からず、右往左往する。
結局アーケード街に戻ると、一隅にピアノが置かれていた。この類は札幌の地下街にあったが、要するに一般客が自由に弾いていいというアレである。いまも腕自慢の青年が見事な音を奏でていた。
朝から何も食べていないので腹が減った。和菓子屋の店頭でオニイサンが試食をやっていたので、ひとついただく。となったら、購入しないといけないだろう。チョコ饅頭が美味そうだったので1個購入するが、220円はやや予算オーバーだった。
ニューヨーク堂、という店ではアイス各種を売っていた。アイスモナカは1個130円也。1個購入したが、冷えすぎていて、固かった。でも美味かった。
その先には「讃岐うどん茶屋 麺夢」があった。通常800円の天丼セットが750円である。昼食はここに決めた。
天丼は野菜が中心で、カラッと揚がっていて美味い。讃岐うどんもコシがあって美味かった。これで750円は安い。
さてこれからどうしようか。むかし長崎駅近くのユースホステルに泊まったとき、「第2眼鏡橋」を教えてもらったが、ここからはちょっと離れているので、行く気がしない。
再び眼鏡橋に戻り、中島川をぶらぶらする。便意を催してきたが、幸い立派な公衆便所があった。こうした便所で用を足すと、優雅な気分になるから不思議だ。
川では鯉が泳いでいた。それほどこの水は綺麗だということだ。





















私はめがね橋電停から5系統に乗った。次は大浦天主堂に行く。ここもいまさらの感じだが、意外に堂内は見学していない。
タイム14分で、大浦天主堂電停に着いた。そこから坂を登ると、その中途に大浦天主堂があった。日本に現存するキリスト教関係の最古の建築物である。国宝でもあるが、世界文化遺産でもあるらしい。
大浦天主堂の魅力、それはいかにも「教会」というデザインで、この前で記念写真を撮れば、それで観光完了の趣もある。でも今回は入園する。入場料1000円は目玉が飛び出たが、中で1円も使わなければよい。
天主堂内部は荘厳な雰囲気だ。長椅子に着席することはできるが、堂内は撮影禁止。正面のステンドグラスが美しい。天井のカーブのデザインも優美だ。
中では音声案内がひっきりなしに流れている。この教会は1597年、長崎で十字架にかけられた日本二十六聖人に捧げられたものだという。同記念碑はこの山の上の西坂公園にあり、私も観光したことがあるが、恥ずかしながら両者にそんな関係があるとは知らなかった。
敷地内の旧羅典神学校、旧長崎大司教館も見学可能だ。前者は、一見アパートのような2階建て。壁が白いのは、漆喰のようだ。
旧長崎大司教館は、これも茶色の煉瓦が美しい3階建ての建物だ。入室すると、コロナ禍の影響で、一部閉鎖があった。
各部屋にはキリスト教布教の苦境や大浦天主堂建立までの苦労が、豊富な資料や写真で展示されていた。大浦天主堂は1864年の完成で、当時の写真を見ると、周りに建物はほとんどなく、段々畑が広がっているばかりだ。昔の写真は束の間のタイムスリップだ。私は当時の長崎に迷い込んだ気がして、不思議な気持ちになった。
出口付近にショップがあったが、ここでは何も購入しなかった。











電停に戻るとちょうど電車が到着していたが、時間が中途半端なので、歩いていく。
若干道に迷いながら、出島に着いた。出島も何度も通っているが、有料なので敬遠していた。入場すれば見応えがあるのは知っているのだが、外観の鑑賞で事足りるところがあるのだ。そして今回は、時間的に厳しくなってしまった。入口には門番が2人いたが、私は見て見ぬふりをして、その場を失礼した。





(28日につづく)
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2020年・長崎旅行5

2021-01-24 00:11:42 | 旅行記・九州編
(22日のつづき)

川棚駅に入ると、次の長崎行きは18時49分だった。まだ駅員氏がいたので、両替を申し出る。だが年配の駅員氏は、「そのまま列車に乗ってください」と言った。
「え? でも中に整理券とかあります?」
「なくても大丈夫ですよ。下車駅で、川棚から乗ったと言ってくれれば」
「はあ……」
それから少しおしゃべりをする。私の話すことといえば、毎年この時期にあんでるせんに来ていること、この駅の券売機でオレンジカードが使いにくいこと、である。「ホントは駅の向こうにあるホテルクレールに泊まりたかったんですけど……」
いま、そちらの方角にあるであろうホテルは真っ暗だ。
「今年の春ごろまでは営業していましたが、いまは暗いですなあ」
駅員さんは事務所に戻り、千円札5枚を持って来てくれた。手提げ金庫でも開けてくれたのだろうか。ともあれこれで切符が買えて、堂々と列車に乗れることになった。
2分遅れで長崎行きが到着した。しかしその正面は豆電球がギンギラギンに光っており、遊園地の豆電車みたいだ。JR九州、また斬新な列車を投入したか!
車内も斬新なデザインだった。また水戸岡鋭治氏によるものだろうか。
だが車内はトイレスペースがやたら大きく、座席数は意外に少ない。私は立つよりなかった。
列車は定刻を3分遅れ、19時35分、諫早に到着した。



この列車は長崎本線の長与経由になり時間がかかるので、ここで乗り換えとなる。川棚の駅員さんは「特急に乗り換えれば長崎に早く着く」と言ったが、特急列車はよほどのことがない限り、利用しない。次の普通列車で十分である。それは定刻を4分遅れの19時44分に着き、私はそれに乗った。
ようやく座れたので、私は今晩のホテルの検索をした。現在GoToなので、楽天トラベルはホテルの宿泊料金が割引になっていた。その中で宿代が安く、評価も高い「ビジネスホテル ニュートップ」にした(このときなぜ、東横インのHPを検索しなかったのか不明。すっかり失念していた)。通常4,600円のところ、GoToが利いて、2,990円。これに1,000円分の地域共通クーポンが付くようだ。
定刻を2分遅れの20時12分、浦上着。駅前は市電が走っていた。むかしこの近くにユースホステルがあり、英語の堪能なペアレントさんがいた。そこでのんびりする時間が心地よかった。別の年の朝は、同じひとり旅の女性と、この浦上電停で記念写真を撮り合ったものだ。むかしはユースホステルが、男女の出会いの場でもあった。
さて、晩飯である。旅先ではこれが楽しみなのだが、浦上は意外にビジネス街で、これという店がない。市民病院電停の近くに、ラーメン屋「一麺亭」があった。もうここに入り、「GoToセット」を頼む。これは地域共通クーポン専用ということではなく、1,000円ピッタリ、ということだ。私は醤油ラーメン、ご飯、餃子7個のセットにした。
雰囲気的にはご飯分だけ得している感じだ。食欲はなかったが、美味しくいただいた。



ニュートップにチェックインする。と、フロント氏が非接触体温計をかざした。いまはこれが常識になっているに違いない。
入室して、一安心である。今日は疲れたので、旅行日誌を付けぬまま、シャワーを浴びたらすぐに寝た。

翌20日(日)である。
私にとってビジネスホテルは寝るだけだから多くの設備は要らないが、ここは室内が暗い、テレビが小さい、バスタブが小さい、ボディソープやシャンプーが携帯用だった、使い捨てカミソリの切れが悪い、などなど、いくつか不満点があった。だがフロント前のPCが無料で使えたのは大きかった。本日分のブログネタはすでに記してあるが、現在私のスマホでは、なぜかブログにログインできないのだ。毎日更新を期している私は最悪、日中にネットカフェ入店も考えていたので、この設備は大きかった。
私は身支度を整えるとフロントに降り、PCでブログを更新した。
さて今日は福岡空港から帰京することだけ決まっているが、あとはフリーだ。しかし1ヶ所だけ行くところを決めている。「匠寛堂(しょうかんどう)」だ。今回の旅行の際、手帳を見たら20日の欄に「匠寛堂」と朱書されていた。まったく記憶にないのでネットで調べたら、そこはカステラ専門店だった。以前テレビでこの店が紹介されたとき、私がメモしたのだろう。
実はこれと同じパターンが以前あって、やっぱりどこかのカステラ屋を訪ねたことがある。しかしそのときは休業だった。今回は日曜の営業も確認済である。よほどのことがない限り、入手できるだろう。
チャックアウトして、市民病院電停から、蛍茶屋行きの市電に乗った。以前は一律120円だったが、現在130円である。1日乗車券は500円据え置きなので4回乗れば得をするが、たぶんそこまで乗らないので、乗車時にはSuicaをカードリーダーにタッチした。
匠寛堂の最寄りはめがね橋電停だ。今さら眼鏡橋もないが、たまには鉄板の観光地に行くのもいい。しかし電車はめがね橋に行く雰囲気でない。と、美味そうなうどん屋があったので、新中川町で降りた。あれ? 新中川町?
路線図を見ると、このひとつ先が終点蛍茶屋である。我が市電は3系統で、眼鏡橋に行くには、この手前の市民会館で4系統か5系統に乗り換えねばならなかった。



まあ急ぐ旅ではないから、歩いていけばいい。そして、さっきのうどん屋「嘉助うどん」は11時の開店だった。まだ9時18分である。私は諏訪神社電停まで戻ることにした。
諏訪神社は山の中腹にあり、下から望むと鳥居がいくつも連なっていた。これは私の想像以上に由緒ある神社に違いない。そろそろと上がっていくと、鳥居のあるごとに道路が走り、クルマが通れるほど広かった。
途中で振り返ると、いい景色だ。私が事前の予習をしっかりして眼鏡橋に直行していたら、この諏訪神社には来ていなかった。ここが旅の面白さである。
やっと上ったと思ったら、拝殿までまだ30段近くある。やっと登ると、拝殿は切妻屋根とでもいうのか、威風堂々の造りで、これだけでもうご利益がありそうだった。5円を投じて参拝する。
狛犬の脇にはさざれ石が祀られていた。国歌「君が代」に出てくる、あのさざれ石である。さざれ石は細かい石の集まりで、要するに小さな力でもいっぱい集まれば大きな力になるということだ。













下に降りると社務所がある。その手前には神馬像があり、勇壮だ。私はご朱印状をいただきたいが、朱印帳を携行しなかったので、紙でいただくことにする。
ご朱印は何種類かあり、1枚500円だった。宮崎県の青嶋神社のように2種類600円のセットはあったが、500円はけっこうな額だ。これは福岡県柳川・日吉神社に続き2度目と記憶する。しかしその分ご利益も多そうなので、ありがたく所望した。
ご朱印は奇をてらわぬ平凡なものだったが、特製の栞が付いていた。
改めて眼鏡橋に向かう。大通りをぶらぶら歩くと、市電がひっきりなしに行き来する。東京にももっと都電が残っていたら、また別の情緒が醸し出されただろう。美濃部都知事が都電をことごとく廃止したのは、大失敗だった。
私はどこか道を一本奥に入ってしまい、いつの間にかめがね橋電停近くに来ていたようだ。地元の女性に聞くと、1本中に入った川沿いに眼鏡橋はあるとのことだった。いよいよである。
(つづく)
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船戸女流二段、女流三段に昇段

2021-01-23 02:18:45 | 女流棋士
21日に行われた第43期女流王将戦予選で、香川愛生女流三段は甲斐智美女流五段に勝ち、女流四段に昇段した。これは昇段当日に本人がYouTubeで報告したから、ご存じの方も多かったと思う。
しかしその同じ日、LPSA所属の船戸陽子女流二段が女流三段に昇段したことは、ほとんど知られなかった。
船戸新女流三段は2000年4月、女流二段昇段。そこから約21年かけての公式戦90勝で、待望の昇段だった。
私がまだ船戸女流三段とフランクに話せた2010年当時、船戸女流二段は私に、「女流三段になるのが目標」とつねづね言っていた。といっても当時は昇段まであと30勝あまりもあり、それが叶うのは数年後。とても私は待つ気になれなかった。
しかも船戸女流二段はその後、年度2勝や3勝の年もあり、当初の予定以上に年月がかかってしまった。
ただ昇段してしまえば、そこまでの苦労もよろこびに変わる。今回は実力者の鈴木環那女流三段に勝利したもので、昇段に恥じない相手だった。また、早指しの女流王将戦で一気に2勝して達成、というのも船戸女流三段らしくてよかった。

船戸陽子女流三段

いい響きだ。次は女流四段目指して、頑張ってください。心より、おめでとうございます。
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2020年・長崎旅行4

2021-01-22 00:46:45 | 旅行記・九州編
だいぶマジックが続いたので、マスターの指示で、みなで両腕をぐるぐる回す。体が硬直したので、柔軟体操である。
「そろそろ疲れてきましたもんね。私も疲れました。でもカウンターの皆さんはまだいいですよ。座ってるから。だけど後ろの人はねぇ、ずぅっと立ち放しで。早くマジックを終わらせろ、なんて思ってるかもしれませんね」
これもマスター鉄板のジョークである。
続いて左手とピストルの形、右手をグーにして、それを交互に逆の形にする。一見簡単そうだが、なかなか難しい。
マジックに戻り、お次はルービックキューブである。1秒で6面を揃えるなどいつものマジックが披露された。だが、メインは次だった。「今日は、世界初のことをやりますよ」。
マスターは、任意の男性がバラバラの色にしたキューブを、キューブに心得のある女性に渡した。そしてマスターは目をつぶったまま、キューブの動きを指示する。そう、マスターがこのまま6面を揃えるということだ。
マスターはごちゃごちゃやっているうち、6面を揃えてしまった。私たちはあんぐりするばかりである。
お次は血液型当てである。任意の男女が4人選ばれ、マスターはすべての血液型を当ててしまった。
そして、旅館の前で宿泊客がパン、パン、とやる例の話。さらに「10年経った自分を想像してみる。そうすれば、いまの自分は何をすべきかが見えてくる」と、お馴染みの話になった。
私はこれを21年前から聞いていた。だが、全然身になっていなかった。ただただマジックを愉しんだだけのバカだった。でもこの日本には、マスターの言葉に感化されて、人生を有意義にした人もいるのだ。
マジックは終盤に入り、いよいよコインマジックである。やはりこれが白眉だ。しかし私の左の夫婦は、さっきからゴソゴソやっている。
すでにコインは何種類も出されている。私も出せたが、この位置からでは放れなかった。せめて2列目だったら、腕を伸ばせて出せたのだが……。
「マスターすみません、飛行機の時間があるので、私たちはこれで……」
と左の女性が言った。これも「あんでるせんあるある」で、飲食とマジックの時間を計り間違え、中途退出するケースも少なくない。かくいう私もだいぶ昔、終列車に間に合わない事態になり、たぶん20分くらい早く退いたことがある。マジックが1日2回制だったときのことだ。
「それは残念。でもこれだけ見ていってください」
マスターは千円札に50円玉をスーッと入れ、それをお札の中で泳がせた。私はすでに21回見ているが、このマジックが最も衝撃度が高い。カウンターの女性は「ぎえー!!」と叫び、目を白黒させた。間近で見るマジックは大変な迫力だろう。夫婦は満足して、店を後にした。
コインマジックはこれからが本番だ。続いてはマスターが掌の上で、100円玉をペロン、と曲げてしまった。これは元に戻さず男性に返したので、彼のお宝になった。
マスターからの「プレゼント」はいくつかあるが、この変形コインが一番だと思う。ちなみに私は「ペロンの500円玉」を2枚所有している(1枚はどこかに行ってしまったのだが……)。
マスターが、別の100円玉をかじる。それは3分の1ほどなくなった。あり得ない光景に、また室内が沸く。マスターがフッと息を吹きかけると、それはもとの100円玉に戻った。再びびっくりである。
マスターが千円札にボールペンをぶっ刺す。そのボールペンが、お札の中を上下した。混乱している私たちを尻目に、
「おカネは固いと思うからいけないのです」
と言い、500円玉を紙で包む。「これは豆腐です」。
マスターは男性に爪楊枝を渡すと、その「豆腐」を刺すように言った。男性が刺すと、爪楊枝はズブズブと紙を貫通していく。そのまま抜くと、500円玉に小さな穴が開いていた。
瓶の中に10円玉を入れたいが、その口の直径より10円玉のほうが大きい。そこでマスターは10円玉を小さくし、瓶の中に入れてしまった。カウンターの女性は大混乱である。彼女らは、一生忘れられない日になるであろう。
「来年の2月5日まで、カウンターは満席になっています」
とマスター。
現在は毎月1日より、2ヶ月先の1ヶ月分を電話予約できる。例えば4月10日の観戦希望なら、2月1日に予約できる(第1、第3日曜日は休み)。ところが、この予約が1日の一日しかできないとの噂が拡まって、困っているという。この話は昨年も聞いた。もちろん予約は何日でもできるし、運がよければ前日の予約でも大丈夫だ。実は私も1、2回危ないときがあったが、私は最初からここに来るイメージができているので、問題ない。
今度はマスターが任意の女性に、空き缶と100円玉を渡す。イメージすれば缶の底から100円玉を通すことができるらしい。女性は果敢にチャレンジするが、無理だ。だが何となく、そのまま続ければできそうな雰囲気がある。マスターは「いまのは1回入ったけど出てきちゃいましたよ」「行けます! 行けますよ!」と、いつになく必死だ。「それっ!!」
あっ、入った!!
100円玉はなくなり、缶の中でカラカラ音がした。これはマスターのマジックなのか、彼女の潜在能力を引き出したのか。いずれにしてもマスターは、ヒトにもマジックをやらせるところがすごいのだ。
長かったマジックも、これで終わりとなった。時刻は18時19分。何と、3時間40分の長丁場だった。いままでは最長でも2時間半くらいだったから、大幅な記録更新だ。仮に、3分に1回マジックをやったとして、約75種もやったことになる。マジックの時間を長くしてもマスターにメリットはないのに、ありがたいことだ。
だが残念なこともあった。あんでるせん訪問22回目にして、私はついに、1回も棒が当たらなかった。
まあ昨年も誕生日当てのところで当たったものの、「あなたは何回かやったから……」と別の人に移った。よって今年も私は蚊帳の外だった可能性があるが、私が潜在的に拒否していたのかもしれない。
これで散会だが、お客は去りがたい感じだ。だが300円のぐにゃぐにゃスプーンやフォークが用意され、みなはこれを購入しつつ、マスターと一言かわすのが儀式となっている。
私も列に並び、私の番がきた。
「マスター、楽しかったです」
「おう、今年も来てくれてありがとう」
やはり私ことはバレていたか。
いつもはここで握手してくれるのだが、コロナ禍なのでそれはナシだ。そして「気」の注入も前述の通り、ない。
「いえいえ、全然成長がなくて」
私は自嘲気味につぶやく。私は今後結婚ができるのか、就職はできるのか、聞きたいことは山ほどあるのだが、「それは21年前から、生き方を説いていたでしょう?」となるはずだ。私は1999年からマスターのマジックを拝見していながら、それを充実した生き方のヒントにできなかった。
「いやいや、いいオーラが出ていますよ」
マスターは客に悪いことは言わないからな……。私はスプーンを所望した。ポケットにはちょうど、100円玉2枚と50円玉2枚がある。
私は深くお辞儀をして、あんでるせんを後にした。
(24日につづく)
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