一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第2回 信濃わらび山荘将棋合宿①・中井広恵女流六段に将棋を教えていただける幸せ

2011-04-25 22:02:41 | 将棋イベント
4月22日(金)~24日(日)と、「信濃わらび山荘将棋合宿」に行ってきた。同合宿は、蕨市教育委員を務める中井広恵女流六段(LPSA所属)が発起人となり、蕨市が経営する施設に宿泊して将棋三昧に浸るというもの。昨年秋に第1回が行われ、好評のうちに終了したため、勢いに乗っての第2回開催である。第1回は1泊2日だったが、今回はスケールアップして、2泊3日となった。
信濃わらび山荘へはクルマで向かう。22日午前10時、埼玉県K駅とA駅の2箇所に集合。私が乗るK駅に中井カーが到着し、朝の中井女流六段に挨拶をする。水色のいでたちがさわやかだ。ほんのりといい香りがする。合宿の参加メンバーは、おもに旧LPSA金曜サロンの会員で構成されているが、だからといって、誰でも参加できるというわけではない。今回は私も招んでもらえたわけだが、ありがたいことだと、改めて思った瞬間だった。
中井カーには中井女流六段、植山悦行七段、大野八一雄七段。WカーにはW氏、Is氏。HonカーにはHon氏、R氏、Hak氏、私の計9人が乗車した。なお今回は、蕨市役所の将棋部4人も参加する。また23日からはKun氏、Y氏、Kub氏、Kaz氏の4人が、鉄路で信濃入りする予定である。
いまにも泣きだしそうな空だったが、昨年はドシャ降りの雨だったから、それから比べれば天地の差だ。私たちは意気高く信濃わらび山荘に向かった。
前回は関越自動車道の利用だったが、今回は中央自動車道の利用。私は高速道路に疎いのだが、列車にたとえれば前回が上越線、今回が中央本線の利用、ということになろうか。
12時すぎに談合坂パーキングエリアに(PA)到着。ここで昼食を摂る。前回は上里PAに寄る前にお茶タイムを設けてしまい、これが大きなロスタイムになった。今回は無駄な時間を省き、将棋の時間を極力取るよう配慮している。
ここで乗車メンバーをシャッフル。私は中井カーに乗った。飛ばし屋・中井女流六段は快調に高速道路を吹っ飛ばす。須玉で高速を降り、大型スーパーで飲料とお菓子の買い出しをして、午後3時少し前、一行は信濃わらび山荘に到着した。それでも予定より1時間遅れである。
荷物を各部屋に置き、食堂に集合。先に到着していた蕨市の将棋部員氏と、ここで合流した。
中井女流六段から、合宿のしおりをいただく。中井女流六段お手製で、全6頁のフルカラーである。スケジュールを見ると、ここから24日の昼すぎまで、将棋、将棋の将棋三昧である。もう、ワクワクしてしまう。
まずは各自の自己紹介。蕨市役所将棋部員は、初日は3名。いずれも有段の猛者揃いだ。他流試合の趣もあり、おのずと気分が引き締まる。
3時から、参加棋士のミニ講座が始まった。大野七段は「端攻め講座」。端歩の位置の違いで、玉を詰めるのに必要な駒が変化するというもので、端攻めをすることで攻撃力の不足を補える、という内容だった。
続いては植山七段の「内弟子時代の話」。これのどこが将棋の上達になるのか分からなかったが、話自体はおもしろかった。
中井女流六段は「大局観講座」。苦しい将棋を逆転する方法、をメインテーマにした。
「ボンヤリした手を指すと逆転しやすい」
「強い手を指すと相手も強い手で返してくるので、かえって局面がハッキリしてしまう」
「少し弱い。だけどマイナスにならない手を指す」
と、一連の金言はとても参考になった。
4時からは、宿泊棟のラウンジに場所を移して、実戦である。各部屋に机と椅子(2脚)が備えつけられているので、それらをすべてラウンジに出す。これで即席対局上の出来上がりだ。
今回は日程に余裕があるので、各自参加者全員と指すのを目標とする。しおりにはリーグ表も書かれてあり、そこに勝敗を書きこむ。
まずは中井女流六段に、指導を受けることになった。
☗7六歩☖8四歩☗7八飛。これに中井女流六段が☖3四歩だったので、私は☗7五歩と石田流を目指した。中井女流六段は角を換わり、☖3二銀と、左美濃を目指す。中井女流六段は、対振り飛車の場合、持久戦が多いようだ。
私は☗7七銀と出たあと、☗6八銀から☗7七桂と繰り替える。☗6八銀では、☗6六銀から☗5五銀と出て上手の出方を見る手も考えたが、指し切れなかった。しかし局後中井女流六段は、その順を考えていたとのことだった。先の大局観講座にあった、「ボンヤリした手」だ。
局面は中盤の難所を迎えている。ふと顔を上げると、正面に中井女流六段の凛とした貌がある。平日の明るいうちに、長野県の避暑地で女流棋士の大家と将棋。世の将棋ファンにとって、これ以上の贅沢があろうか。
中井女流六段、☖3七歩成から☖2五桂とハネる。この局面の駒の配置を、以下に記そう。

上手・中井女流六段:1一香、1四歩、2二王、2三銀、2四歩、2五桂、3二金、4三金、4四歩、5四歩、6二飛、7三桂、8四歩、9一香、9三歩 持駒:角、桂、歩2
下手・一公:1六歩、1九香、2七歩、2八玉、2九桂、3七銀、4七歩、4九金、5六銀、5七歩、6六歩、7四飛、7八金、8七歩、9五歩、9九香 持駒:角、銀、歩3

ここで私は☗3八歩と受けたが、弱気だった。中井女流六段に、☗3七銀を取らずにじっと☖7二歩と受けられ、形勢を損ねた。
局後の検討では、☗3八歩では強く☗7三飛成と突っ込むべき、となった。以下☖3七桂成☗同玉☖6四角の王手竜があるが、☗同竜☖同飛☗3五桂で下手も指せる。
私は☖6四角で下手悪いと読みを打ち切っていたのだが、中井女流六段はその先を読んでいたのだ。☗3五桂以下も、中井女流六段は☖3六桂!を考えていたとのこと。これだけ読みの量に差があっては、とても勝てない。
実戦も、中井女流六段に気持ち良く攻められ、完敗。力の差を感じた一局だった。
2局目はIs氏と。Is氏の3手目☗7七角戦法に、私は弱気の☖4四歩。以下むずかしい将棋となったが、何とか勝つことができた。
ここで夕食の時間。夕食は800円メニューと1,500円メニューがあるが、宿泊料は2泊3日で2,000円と廉価なので、私たちは食事代を奮発し、1,500円メニューをオーダーしている。おかずは食べきれないほどあり、信州の山の幸を大いに堪能したのだった。
(つづく)
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5月7日(土)は、どっちだ!?

2011-04-24 23:50:51 | 将棋雑記
先月だったか今月だったか、将棋ペンクラブ幹事のHak氏に、「将棋ペンクラブ大賞第一次選考会」の選考委員を打診された。これは前年の4月から今年の3月までに発表された観戦記や書物から、優れた作品をピックアップするという、重要な作業である。
一次選考は原則的に幹事が行うので、一会員にすぎない私には関知しないことではある。あるのだがそこはそれ、会報常連の私に湯川博士統括幹事も目をかけてくれ、私はほかの会員より、内部寄りにいる。実際湯川統括幹事の誘いで、一時は幹事見習いになったこともあったのだ。
もっとも私はネが怠惰なので、その後の活動に積極的に参加しなかった。ところが昨年、ひょんなことから将棋ペンクラブ大賞第一次選考会に請われ、同席させていただいた。その縁でまた、今年もお誘いがあったというわけだった。
その選考会だが、今年は5月7日(土)と聞いて、ちょっと二の足を踏んだ。昨年と同時期ではあるのだが、今年は日程の関係で、6日(金)の仕事を休むと、3日から8日まで6連休になる。これは絶好の旅行日和ではないか! いま、ウチの仕事はヒマである。無理をいえば休みは取れる。しかし一方で、将棋ペンクラブ幹事が私に協力を求めている。旅行か、ペンクラブか――。私はヒトの頼みは断れない。即答はしないまでも、やはり7日は一次選考会に顔を出そうと考えていた。
ところが――。
14日のLPSA木曜ワインサロンに出席したとき、主宰の船戸陽子女流二段から、5月7日に第5期マイナビ女子オープンの予選組み合わせ抽選会があると聞いて、驚いた。将棋関係の行事がよりによって同日に重なってしまったからだ。
同抽選会は一昨年から始まったもので、全国の将棋ファンが参加女流棋士の代わりにクジ(直筆サイン色紙)を引き、そのクジ(色紙)がファンへのプレゼントになるという、一石二鳥の好企画である。私は過去2年とも参加し、一昨年は野田澤彩乃女流1級の色紙を引き当てた。
そして昨年は、中村桃子女流1級、中倉彰子女流初段、室谷由紀女流3級(当時)の中から色紙を引くという、願ってもないチャンスに恵まれた。そこで私は中村女流1級の色紙を引き、まあそれはそれでたいへん喜ばしかったのだが、その後室谷女流3級が同棋戦で大活躍し、彼女があんなに魅力的なら、室谷女流3級の色紙獲りにもっと念を入れればよかったと、軽い後悔をしたものだった。
そんなエピソードがあったので、私は今年も予選抽選会に参加し、ぜひとも室谷女流初段の色紙を引き当てたい、と考えていたのだ。今年は過去2年と違って週末の開催だから、将棋ファンの参加人数は爆発的な数に上るだろうが、それでも参加したい。ああしかし、一次選考会の作業も重要なのである。
将棋ペンクラブの活動に、ギャラは一切出ない。幹事はすべて無給で、いわば手弁当のボランティアである。ならばそんな一次選考委員の話なんか、断ってしまえばいい。
しかしコトはそう単純ではない。ギャラが発生するのなら、仕事を拒否すればいい。代わりはいくらでもいるからだ。しかし「おカネの話が関係ないと、断る理由もない」という、ヘンな考え方もできるのだ。前述したが、全国に数多いる会員の中から私指名でお誘いを受けているのに、それを無下に断ることはできない。
以上、大いに迷うところではあるが、現在の心境は、旅行よりも予選抽選会。予選抽選会よりも一次選考会参加、というところである。
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第2期ジャンジャンマンデー開校

2011-04-22 00:33:19 | LPSAマンデーレッスン
24日(日)は区議会議員選挙があるのだが、当日私は長野県にいて、投票に行けない。そこで期日前投票を済ませてきた。これで思い残すことなく、合宿に行ける。

18日(月)は、LPSAマンデーレッスンSスピンオフ「第2期ジャンジャンマンデー」に出向いた。「ジャンジャンマンデー」は改めて説明するまでもないが、マンデーレッスンSの講師とその部員が、上手も下手も関係なく、ジャンジャン将棋を指すというものだ。月に1度開かれ、3ヶ月で1クール。成績優秀者には豪華な記念品が進呈される。女流棋士との真剣勝負も楽しめ、指しがいのある企画である。
午後6時の開場なので、この日も事前に「小諸そば」へ寄って二枚もりを食した。前回の二枚もりは量が少なかったが、今回は量が多かった。2.5人前ぐらいあった感じだ。たぶんスタッフの中に、このブログを読んでいた人がいたのだろう。
5時40分ごろ入室する。今回の参加女流棋士は、講師の藤森奈津子塾長(女流四段)、松尾香織女流初段。芝浦サロン担当の島井咲緒里女流初段。さらに大庭美夏女流1級が特別参加した。大庭女流1級は、30日の女流王座戦東日本予選に参戦する。いまは1局でも多く実戦を重ねたいところだろう。
6時になり、まずは第1期成績優秀者の表彰式。私は「最多勝利賞」で、一番手に表彰された。ミニ表彰状をいただき、記念品をいただく。これは船戸陽子女流二段がチョイスしたものらしい。本人は欠席だったが、その気持ちもありがたくいただいた。
1局目は藤森女流四段と。三間飛車の名手・藤森女流四段との平手戦はここまで9勝11敗。石橋幸緒女流四段と私との平手戦は7勝9敗だから、女流棋士の棋力にはほとんど差がない、ということになる。
将棋はもちろん藤森女流四段の三間飛車。私が急戦をにおわすと、藤森女流四段は☖4三金と上がる。美濃囲いが弱くなるが、これは藤森流の手だ。
私は棒銀から☗3五歩と仕掛け、むずかしい戦いになった。
しかし終盤は藤森女流四段の攻めが切れ、ハッキリ私が優勢。しかし私が緩手を連発し、気がついたら敗勢になっていた。☗2二飛の王手に☖5二歩が「勝ちました」という手。秒読みになってから藤森女流四段の指し手は的確で、現役時代と変わらぬ強さだった。
2局目はミスター中飛車氏と。私が先手になったので、☗4五歩の早仕掛け。中飛車氏は☖5五歩と指し、☗同角☖5四銀ときたが、☗4四角と歩得をして私が指しやすくなった。局後の検討では、☗5五同角に☖同飛☗同歩☖4五歩で、後手有望だった。どうも☗4五歩早仕掛けは、居飛車悪そうだ。
対局の合間に各所を見て回る。島井女流初段は居飛車に構えているが、これは珍しい。その島井女流初段が部室に入ってきたとき、一瞬熊倉紫野女流初段に見え、ギョッとした。このふたりは、ちょっと似ている気がした。
3局目はT・K氏と。T・K氏には最近負け続きで、ここで一矢報いたかったのだが、本局も私の作戦に一貫性がなく、中盤の入口で駒損が確定したため、もはやこれまでと投了。消化不良の一戦だった。次局は何とかせねばならない。
4局目はKat氏と。Kat氏とは金曜サロン時代に私が角を落として指したことがあるが、筋よく攻め込まれた記憶がある。
本局は私の先手で☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖4四歩。Kat氏の振り飛車かと思いきや、☖4二銀~☖6二銀とされたので、相矢倉になってしまった。こってりした戦いになったが、私が端から攻めて、薄氷の勝利。感想戦では、Kat氏が☖5二飛と回っていれば、有望だった。
それにしても、Kat氏がメキメキと力を付けていたので、驚いた。私もKat氏と同じくらい努力をしていれば、その棋力は縮まらない理屈だが、そうはなっていない。己の怠惰を呪うのみである。
この日は4局指して2勝2敗。●○●○の配列は、おもしろくも何ともない。やはり藤森女流四段に負けたのが痛かった。…とか書くと、またどこかからクレームがきそうだが、実感としては、そうである。まあ、また来月頑張ればいいのだ。
もうお開きの時間というところで、連勝賞のSa氏を表彰していなかったことが分かり、講師のみんなは大慌て。Sa氏、藤森女流四段、松尾女流初段のスリーショット写真を撮っていたが、これはSa氏、却っていい記念になったのではなかろうか。
LPSAの発表によると、この日は19人の部員が集まったそうだ。芝浦サロンがやや停滞している中、ジャンジャンマンデーは大当たりの企画となった。大勢人がいると、将棋を指していて、より楽しくなる。
このあとは、Hon氏を半ば無理に誘って、サイゼリヤへ行く。
「肉体的にも、精神的にも、もうダメだあ…」
と弱音を吐くと、Hon氏が自身の体験談も交え、慰めてくれた。持つべきものは、よき棋友だ。

キャンディーズ・スーちゃん死去。メンバーの中では、彼女が一番好きだった。心よりご冥福をお祈りいたします。
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再び大野教室に行く(後編)・野月浩貴七段の教え

2011-04-21 00:29:10 | 大野教室
Hon氏が見えた。Hon氏も大野教室の常連で、最近メキメキ力をつけている。
3時休みが終了。詰将棋は8題中5題を解いたが、これだけ解ければ十分だ。
再開後は、植山悦行七段に教えていただくことになった。植山七段は駒落ち将棋の名人で、その指し回しは毎回参考になる。ところが植山七段は
「大沢さんと角落ちじゃきついなァ。平手で行きましょう」
と、駒を落とそうとしない。男性プロに平手で勝てるわけがないので、
「ご冗談を」
と、無理に角を落としてもらい、対局を開始した。
私の居飛車明示に植山七段も居飛車を採る。植山七段も私も居飛車と振り飛車の両方指すが、お互い居飛車がメインだ。
私は2筋の歩を換え、☗3六歩~☗3五歩と伸ばす。植山七段は☖2二銀。この交換は下手がトクをした。私は☗4五歩と伸ばし、☗4四歩~☗4五歩と継ぎ歩をする。☖同歩なら☗同桂の跳ね(☖5三金取り)が気持ちいい。
植山七段は☖5五歩と紛れを求めたが、私は落ち着いて☗同歩。植山七段は☖6二飛と回る。私の玉は☗6八にいて、間接的に睨まれている形。そこで私はいったん切った歩を☗6七歩と受けたが、対局中は弱気な手だと思った。
植山七段は☖6五桂と跳び、☖5七歩~☖7七歩と利かす。私はそのたびに金をよろけ、ひしゃげた形になった。
私は☗6五銀右と、桂を外す。と、植山七段が
「…けました」
と言った気がした。
「は? いま何か言いましたか?」
「負けました。いやだって、これじゃ指す手がないでしょう」
これは意外な言葉だった。
「そうですか? まだむずかしい形勢だと思ったんですが」
「いや(大沢さんに)一手の悪手もなかったでしょう。完璧ですよ」
「そうですか」
「こんないい将棋を指すのに、なんで大野クンに負けるのかなあ」
「はあ」
なんだか、植山七段が勝ちを譲ってくれたみたいで、釈然としない。前述したとおり、植山七段は駒落ち名人である。いつぞやの指導対局で植山七段は、「本気度60%」と語ったことがある。それなら実際は本気度30%ぐらいのはずで、本局も植山七段が、巧妙に緩めてくれたとしか考えられない。
それでも勝てれば嬉しい。この指導対局の終了図の駒の配置を、以下に記しておこう。

上手(角落ち)・植山七段:1一香、1四歩、2一桂、2二銀、2三歩、3二王、3三歩、4二金、4三歩、5七歩、6三金、6四銀、7七歩、8五飛、9一香、9四歩 持駒:歩
下手・一公:1七歩、1九香、2六飛、3五歩、3七桂、4八金、5四歩、6五銀、6六銀、6七歩、6八玉、7六歩、8七歩、8八金、8九桂、9六歩、9七角、9九香 持駒:桂、歩3
(☗6五銀右まで)

引き続き、植山七段と飛車落ちで…とW氏からのリクエストがあったが、私が固辞して、4局目は高校生と思しき青年との対局となった。
後手・青年氏の一手損角換わりに、私は棒銀に出る。対して青年氏は☖5四角。私は☗3八角と打つ。定跡ではむずかしいはずだったが、私の☗4六歩が疑問手で、形勢を損ねた。さらに疑問手を重ね、駒損が確定したところで、戦意喪失の投了。
引き続き感想戦に入ったが、青年氏は黙ったままだ。2局目の小学生クンも寡黙だった。先月の大野教室で私を完璧に負かした小学生クンは、
「ボクの☖9四歩は☗9五角を防ぐためだったけど、そちらの☗9六歩は意味がないでしょう」
「ここで☗6七金と上がるようじゃ、そちらがつらいでしょう」
と、歯に衣着せぬ言い回しだった。まあ、そこまでハキハキせいとは言わぬが、もう少し自分の意見を述べてもいいと思う。
ところでこの青年、アマの全国大会で、埼玉県代表になったことが何度もあるという。それを最初に言ってほしい。どうも、手合いが違っていたようである。
もうこのあたりであがってもよかったのだが、大野八一雄七段が、もう一局指しましょうと申し出てくれる。大野教室は、1局の指導で終わらないのだ。
男性棋士にこんなに教えてもらうのは気がひけるが、私も将棋が好きなので、お言葉に甘えることにした。
やはり角を落としていただき戦っていると、植山七段とHon氏の指導対局が、感想戦に入った。
「また(上手の)秘策を教えちゃいましたよ」
「また何か(秘策を)考えとかないと」
とか、植山七段が言っている。上手の奥の手を、つい下手に教えてしまう。私相手にもそんなことがあったが、そこが植山七段のいいところである。もっともそれは大野七段も一緒なのは、言うまでもない。
私のほうは、またも負け。最後は追い込んだかに見えたが、キッチリ余された。これで大野七段には勝ち星なしの6連敗。それは実力だから仕方ないにしても、もう少し上手王をおびやかさないと、教えられる側としても申し訳がない。
このあとは大野七段、植山七段、W氏、Hon氏、私で食事に出かけた。愛妻家の植山七段は一刻も早く帰宅したいようだったが、強引に誘う。ところが食事代は植山七段が持ってくれたようで、却って恐縮してしまった。
さらに駅前の喫茶店に入って、おしゃべり。愛妻家の植山七段が一足先に店を後にしたが、私たちは居座って、さらにおしゃべりを続けた。
前日に大野教室に見えた、野月浩貴七段の話になる。野月七段の将棋に対する禁欲的な姿勢は、私も素晴らしいと思っている。W氏は前日、そんな野月七段の将棋の勉強法を聞いて、とても勉強になったという。
たとえば棋譜並べ。私などは漠然と並べるだけだが、野月七段は、自分が読んでいなかった手にチェックをし、研究するという。なるほど歴代の名人を見ても、理外の手を指す場合が少なくない。先入観なしに局面を見て、最善手を見つける。これが大事なのだ。
さらに、形勢判断。ふつうは、駒の損得や働きなどに重点を置く。それはそれでいいのだが、プロはそれらがもっと細分化されるという。
「この駒はいずれ手に入るから…」
「この駒はいずれ取られることになるから…」
「この駒は遊び駒になりそうだから…」
もろもろの条件を照らし合わせて、判断するのだという。
W氏の話を聞いていて、私もうなるばかりだった。こうした将棋の考え方は、ふつうの棋書には載っていない。これらの金言を直接聞けたW氏は、本当に運がよかった。
喫茶店には閉店の11時まで粘り、「蛍の光」に促され、私たちは店を出た。このお代は大野七段持ち。午後から1日遊んで、3,500円。あまりにも安すぎて、なんだか申し訳ない。
「こんな教室でよかったら、月に1度でも遊びにきてよ」
食堂を出たとき大野七段にそう言われたが、こうまで手厚くもてなされては、また大野教室に顔を出すしかあるまい。
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再び大野教室に行く(前編)・大野八一雄七段の教え

2011-04-20 01:05:28 | 大野教室
17日(日)は、埼玉県川口市にある「大野教室」へ行った。3月6日(日)に続き、2度目となる。大野教室は、大野八一雄七段が講師を務める将棋教室。第1、3の週末に開かれ、大野七段自ら実戦指導するのがウリである。僚友である植山悦行七段や中井広恵女流六段の助っ人もあり、2局教えていただけることも多い。1回料金は3,500円だから、たいへんおトクな教室である。
午後1時すぎに教室に入る。ドア越しに声を掛けると、W氏の声がした。
「あれ大沢さん?」
「うん」
「ごめん、きょう野月さん来ないよ。きのう来ちゃったよ」
「そうなの? じゃあ帰ろかな」
実は15日(金)のLPSA芝浦サロンの帰り、W氏から「17日に野月浩貴七段が見える」との情報をもらい、そのときは聞き流したものの、やはり野月七段にお会いしたい誘惑には勝てず、今回出向いたわけだった。結果は空振りになったが、それはそれで構わない。もちろん私は、そのまま入室した。
この時点で、生徒は子供4人とW氏しかいなかった。最近の大野教室は生徒が多く、日に10人を越えることもしばしばだ。大野七段の丁寧な指導が支持されたもので、教室の質がよければ生徒が集まるという好例である。
「大野先生、竜王戦の勝利、おめでとうございます」
指導中の大野七段に挨拶する。大野七段は先日の竜王戦6組で土佐浩司七段に勝ち、ベスト4に進出した。植山七段の成績がパッとしない中、大野七段は他棋戦でも勝ち残っており、私たちの応援も大野七段に傾きつつある。
早速、角落ちで教えていただく。私の居飛車明示に大野七段は向かい飛車に構える。大野七段との角落ち戦はこれで5局目だが、いまだ勝ち星なし。位を張られて中押し負けするパターンが多く、その克服がカギである。
しかし本局も、大駒を押さえ込まれ苦しい展開となった。終盤、

の局面で、大野七段は☖6四桂。ここで私は☗7五桂と打ったが、☖5六桂☗6三桂成☖6二金で私の投了となった。
☗7五桂では☗7三歩成☖同王☗8五桂を利かすか、たんに☗5九飛と逃げておいたほうが、もう少し息が長かったと思う。本局も完敗し、大野七段の強さをまざまざと見せつけられた形となった。
一休みしていると、植山七段が見えた。とくにかける言葉がない。
2局目は小学生クンと。前回も対戦した男の子で、そのときは横歩取りの激しい将棋になったが、終盤うまく指されて、惜敗した。今回は大野七段に「リベンジしてください」とハッパをかけられ、プレッシャーがかかる中で、対局を始めた。

私の先手で、相横歩取りに進む。彼は居飛車党のようだ。飛車角総交換の第1図から☗4六角☖8二角☗同角成☖同銀☗5五角☖2八歩☗8二角成☖2九歩成☗4八銀☖2七角☗3六歩(第2図)…と進んだが、☖8二角では、いきなり☖2七角と打たれたほうがイヤだった。

本譜もむずかしい戦いが続いたが、中盤で小学生クンに大ポカがあり、私の勝ち。彼はこの秋、奨励会試験を受けるという。次に対戦するときは、彼が私にリベンジする番だ。
3時休みになり、赤福、せんべい、マドレーヌなどが供された。大野教室はおやつも豪華だ。ペットボトルのお茶やジュースも無料。大野七段は、全然商売っ気がないのだ。ただ、大野教室の3時は「休み」にならない。詰将棋トライアル(30分)の時間なのだ。今回は中級向け問題8題が出題された。W氏は今回も、トライアルに参加せず。いつもながら、賢明である。
せんべいをパリパリやりながら詰将棋を解いていると、大野七段がいらっしゃる。
「さっき言い忘れたことがあるんだけど」
「はい」
「私が飛車を振ったとき、大沢さん、私に歩の交換を許したでしょ。あれは拒否したほうがいいよ」
そう言って、大野七段は初形から駒を動かし始めた。「☖2二飛に☗2八玉と寄ったけど、ここは☗4八銀。美濃囲いにこだわらなくていい。☖2四歩☗3六歩☖2五歩☗3七銀。これでピッタリ間に合う」
「ああ、そうですね」
「あのね、大袈裟に言うと、ここで1歩手持ちにできると、プロは七割がた勝った気持ちになるよ。1歩あると、☗5六銀にも☖5五歩と追い返すことができるでしょ。指し手の幅がすごく広くなる」
これは斬新な言葉だった。いや、確かにそうなのだ。私も上手を持って指すことがあるが、1歩が入ると、すごく楽になる。以前も当ブログに書いたが、「歩切れは喉の渇き」なのだ。それを分かっていながら、下手の立場になると、上手に1歩を交換しに来ても、下手はそれ以上に指したい手があると考えてしまう。しかし実際は、それらの手はあとでも指せる手ばかり。ここは歩交換を防ぐことを真っ先に考えなければいけないのだ。
「ああ、そうですか…!! でも先生、下手が5筋の歩を交換に行くときはどうなんでしょうか」
「それは別。だって上手は、いつか☖5四歩と打たなければいけないときが来るから。でも向かい飛車のときは、上手が2筋に歩を打ち直すことはないでしょ。まあ下手がそれを咎めるべく、飛車を2筋に持ってくる場合もあるかもしれないけど、そうなったら角落ちの手合いじゃないよね」
いま大野七段が指摘されたことは、相当高度である。恐らく二枚落ちの手合いでは、こうしたアドバイスはしないだろう。また、ふだんの指導対局や駒落ちの本でも、「上手の1歩交換は見た目以上に大きい」とは話さない。つまり上手はこの「本音」を包み隠して、中盤以降のアドバイスに徹しても、何ら問題はないのだ。
しかし大野七段は、こんな「飯のタネ」を、一介の将棋ファンに吐露してくれたのだ。私は大野七段の実直さに、大いに感銘を受けたのだった。
(つづく)
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