八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

七十路徒然なるままに

2009年07月28日 18時01分52秒 | Weblog
昨日から今日と、伯母の一連の葬儀式が終わり、法要があった。和尚さんが「大きな輪[りん]を打つから、音が聞こえなくなるまで、半眼で、冥福を祈るように」と。読経中のざわつきが、静まり、残響が少しずつ、少しずつ小さく、最後はかすかに聞こえて終わった。ちょつとの間だろうが「無」になり、心が静まるだろうと。日常、仏壇の「輪」を打ち、手を合わせる。このことが、すべての事象に感謝する。この気持ちに、導かれる、という。俗人の小生には、痛い一言と身にしみた。
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