八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

無学文盲

2024年06月12日 13時37分19秒 | Weblog

前回、「無知蒙昧」と載せた。「昧」は、「おろか」という意で、似た文字に、「昩」ー「ばつ」と読み、「うすぐらい」との意で、「眜」ー「ばい」と読み、「みわけられない」という意とある。IMEパットを使っていて、いろいろあるなぁで、あらためて、辞典をめくったものです。「末」と「未」。「日」と「目」。手書きすると、間違うなぁです。画像は、またまた、サザエさんより。今の歳ならば、同じ情景だろうなあ。三昔し前のある時に、かかり付けのお医者さんと、ゴルフ場で、「おぉー、来てたのかぁ」が、二回ほどあった。医学博士の内科のお医者さんで、畏れ多かったが、気さくに、診察していだいた。その頃、めまいの症状で、「人間は、悪いところを、直す体力がある。薬は補助的に、服用する。先ずは、休養をして、体力の改善がだいじなこと」と、含蓄のある言葉で、今も胆に命じている。突然ですが、「高度の研究した人に授ける学位」と、かけて、ワードの新規をクリックすると、左上角に表示されると、とく。「そのこころは」、「整いました。どちらも、はくしー博士ー白紙ーです。「はかせ」は、俗称と、辞典で読んだ。またまた、唖然失笑。


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