画像は、八年前の、福島民報より。原発事故があった当時は、40キロ先のことだぁと、対岸の火事を見ているようだった。テレビの報道を、見入っても、事の重大さは、思ってもいなかった。市民へのお知らせを取に行く途中は、車の往来もほとんど無い。人の往来も無く、皆な家の中に居るんだぁなあと、のんびりしていた。車の燃料を補給しておくかぁと、行くと休業。別の所へと走っても休業。えぇっと思い探しても全部休業。ただ事ではねぇなぁと、不安が増していた。原発事故の三月15日は、当いわき市の空間最大放射線量は、23.72マイクロシーベルトだったと、後日に知った。あの頃の事は、思い出したく無い。忘れてはいけないことでもある。