八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

平穏はありがたい

2019年03月20日 20時28分55秒 | Weblog
八年前の、三月二十日は、いわきの自宅に戻った日。六日間、避難で世話になった。前日に、車に、15リットル軽油が、補給できて、福島からいわきへの走行に、片道分には、十分だった。画像は、福島で、ガソリンスタンドが開くのを待つ車の列。小生もこの列の最後尾に並んだ。歩行人に尋ねると、前方のスタンドは閉まっているというので、列を離れた。帰路の国道は、車の往来も多く、日々の生活が、平常になったいると、感じた。しかし、原発事故の事は、まだまだ、不安があった。この日あたりから、営業の再開はできないと、判断をした。茨城県の沿岸部や、福島県の浜通りにある商店は、大津波のほとんどが、駄目になった。福島第一原発からら20キロ圏内の商店は、避難をして、全部だめ。厳しい現実になっていくと、覚悟をした日でもある。
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