八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

初物七十五日

2017年05月23日 20時22分21秒 | Weblog

ちょつと前にだが、いただきもの。「わらび」だつかなぁ。あく抜きをして、ゆでておいた。かつお節と、薄口しょうゆを、ちょろっとかけて、食べた。「初物七十五日」いって、その年の初物を食べると、寿命が七十五日延びるという。初たけのこも食べた。初かつおも食べると、二百二十五日、長生きをするのかもと、またまた、一口多いなぁと、自嘲をしている。今の時代は、旬のものの味は、いつでも味わえる。

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朝食

2017年05月23日 20時07分31秒 | Weblog

さなぶりに、いただいた赤飯で、朝食。仕事をしていた時分は、朝食は、かきこむようにしていた。今は、ゆったりと味わいながら、食べている、と  いうと、聞こえがいい。時間は、たっぷりとある。しかし、脳が劣化して、ぼおーっとしている。まあ、歳だっぺぇと、ご容赦のほど。折角だから、食卓をカシャッとした。

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さなぶり

2017年05月23日 19時44分33秒 | Weblog

画像は、さなぶりで、いただいた赤飯。「さなぶり」ということは、今はないかも。さなぶりは「さのぼり」と同じで、さなぶりを漢字では、「早苗饗」とある。田植えが終わったあと、田の神を送る儀礼という。昔ーしは、農民が作った米は、武士や町民が食べて、農民は食べられなかったという。ものの本によれば、年貢米を納めて、残りは保存をしていたというが、保存する量がすくないので、雑穀を食べていたという。時代が変化して、明治時代の終わりころからは、身分が平等になり、米の収穫量も多くなり、農家は、米を蓄えることに努力したという。いただく赤飯は、米の収穫が終わった時もいただく。幣束祭りのときは、スーパーから、赤飯を買って、供えている。あらためて、毎日食べている米に、感謝をする。

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