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「ICT活用で豊かな生活のご提案」をさせていただきます。

14 「人生の時間旅行記」 学校 通学路編

2019-07-31 21:41:15 | 自分史活用

あっという間に7月も終わってしまいましたね。

特に最近は、時間が過ぎるのが早い~

年配の生徒さんが言っていました。

「年齢ほどのスピードで時間が過ぎていく」と。

生まれた赤ちゃんは0km 10歳になれば10kmの速度、70になれば70kmの速度だから、あっという間に一日が終わるのよね。

確かにそんな感じですよね。

子どものころはもっと時間が長く感じられた気がする。

この時間感覚も、新陳代謝に影響するのだとか、どこかで読んだことがあるような気がする。

まあ、明日から8月。

子どもたちも夏休みだし、大人も夏季休暇が始まる時期なので、今年の夏も思い出をいっぱい作ってほしいなと思います。

 

では、今日の課題は通学路です。

信号・ロータリー・横断歩道・交通安全の標語・集団登校・緑のおばさん・犬

泥道・砂利道・アスファルト

自転車・バス・電車・定期券・送迎バス・スクールバス

遅刻・寝坊・早退・下校・ずる休みなど

「超自分史ガイド」より

 

小学校の通学路は以前書いたように、だだっ広い田んぼ道を登校していました。

だから、夏の時期は大嫌いな蛇がときどき、あぜ道を横たわっているともう大変!!

ぐる~と遠回りして帰らないといけなくなるから。

遠回りする道は、車が多くて今のように歩道なんてものもないから、あまり通らないようにはいわれているけれど仕方ない。

ましてや、半分以上来てからの戻り道は、これまた倍くらい歩かなくてはならないからですね。

 

朝は、近所の公園で待ち合わせ。

雨の日は公民館での集合でしたね。

同級生は5人。その兄弟だったり近所の子だったりで、総勢10名くらいが集まっていました。

高学年が、1年生の子の手を引きながら歩いていました。

帰りは、学年ごとに帰るのですが、よくもまああの距離を歩いていたものだと思います。

それで鍛えられるのですよね。

 

信号も学校の前だけだったように思います。

時代と共に車が多くなり、高学年になってから歩道橋ができたような気がします。

まあ、トヨタの会社に勤める人が多かったし、交通機関があまりないところなので車がないとですね。

今でも、とても不便なところなんですよ。

特別な思い出は浮かんでこないということは、平凡に毎日が過ぎていたということなんでしょうね。

さほど、学校を休むということもなく不登校などという言葉もない時代ですから、学校に行くのが当たり前でした。

子どもながらに仲間意識が強かったからでしょうか、いじわるをすることもなかったし、けんかになるようなこともあまりなかったように思います。

どんな思い出がよみがえったでしょうか?

 

 

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13 「人生の時間旅行記」 学校 図書室編

2019-07-30 23:16:37 | 自分史活用

朝6時と共にセミが鳴き出し、夏らしいすっきりとした夏空の一日でしたが、各地で猛暑日だったようですね。

暑いです~

皆さんの地域ではいかがだったでしょうか?

 

今日は学校の図書室ですが、どんなキーワドで思い出がよみがえるでしょうか?

図書委員・図書・借り出し票・図書カード・貸出カウンター

学級文庫・読書感想文・文庫本・小説・電気・辞典・百科事典

借り出した本に書いてあった書込みなど

「超自分史ガイド」より

 

図書室は学校の中でも特別な空間だったように思います。

本の世界には、非現実的な世界が広がっていました。

本は大好きでしたから、赤毛のアンシリーズは読みましたね。

宮沢賢治なども好きでした。

高学年になると、図書委員もしたかな。

夏休みも、登校日やプールのある日は図書室も開いていたので、いつも本を借りることができました。

夏休みの宿題に課題図書があり、感想文はあまり得意ではなかったので、ぎりぎりまでかかって書いていたような気がします。

 

私たちの学校では、本カバーに各個人の名前が書かれており、借りた本のところにそれを入れ替えて借りるという風になっていたと思うけど、あまりはっきり覚えていないですね。

読み終えたら、そこに返すというようにするので、いつまでも返さないと名前が残ったままになるし、つぎの本も借りれないシステムだったと思います。

普段は教室に置かれているので、借りない人はずっと教室に残されたままという感じで、ない人はいつも図書室にあるという感じでしたね。

特別に遊びに行くところもなく、夏休みでも学校に行っていることが多かったように思います。

本の世界に入り込めば、知らないことが沢山あり主人公と一緒に冒険したり、考えたりと空想世界で遊ぶことができました。

 

私が小学生のころに買ってもらった星の王子様や宮沢賢治。

娘たちが読んでいた子供向けの本も、茶色く変色しているのですが捨てきれずに残っています。

もうブックカバーなどボロボロになっていますし、当時この本300円だったんですね。

時代とともに変わっていくものもありますが、ずっと残っている本もあります。

なにか、自分の中の大切にしている本に出会えましたか?

 

 

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12 「人生の時間旅行記」 学校 保健室編

2019-07-29 21:36:28 | 自分史活用

梅雨も明け本格的な暑さがやってきましたね。

先週は、ちょっと体調を崩してブログをお休みしていました。

まだこの暑さに慣れないので、用心しないといけませんね。

 

ということで、今日は保健室ですよ~

保健室・医務室・救護室どの呼び名でしたか?

保健室の先生・保険医院・カーテンで仕切られたベッド・消毒薬の匂い

身体検査(体重測定、身長測定、座高測定、検眼、問診、学校医)検眼用の絵・歯磨きのポスター

ツベルクリン反応・陽転・BCG・種痘(天然痘予防接種)

オキシフル・赤チン・ヨーチン・マスク・包帯・三角筋・肝油

病気やけがに関することなど、どんな思い出があるでしょうか?

 

私は、あまり保健室に言った記憶はないですね。

歯磨きポスターも毎年書いていたように思いますが、入賞するようなことはありませんでしたね。

まあ、下手だから入ることもありませんが・・・

保健室の先生も、覚えがありません。ごめんなさい。

割と、病気にならずに元気でいた方だと思います。

ただ、咳をするときに気管支から出てくるのでコンコンと乾いた咳をしていました。

母からよく「狐が泣くような咳だね」と言われていましたが、さほど病院に行くようなこともありませんでした。

母も戦争中は看護師をしていたので、そのあたりはわかっていたのでしょうかね。

 擦り傷、切り傷は遊びの中で何度もありましたから、いつも赤チンを塗ってましたからすぐわかりましたよね。

薬箱の中には、いつも入っていました。

 

昔は、熱中症などという言葉もありませんでした。

時代とともに新しい病気も増え、自分の体の衰えも自覚しながら健康寿命を延ばしていきたいものです。

元気に夏を乗り切りましょう。

 

 

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1969年のアポロ11号月面着陸を覚えていますか?

2019-07-28 22:18:36 | 自分史活用

毎週購読している「みやざき中央新聞」 いいお話が満載の新聞です。

社長も編集長もとてもいい方で、全国へ郵送されているので、各地で読者会なども開催されています。

 

今回は、7月15日の社説にあった文章より。

1969年のアポロ11号の月面着陸を覚えている方って、ここを読んでくださる方の中でどれくらいいらっしゃるのでしょうかね。

社説の中の文章は、SF作家・アーサー・C・クラークさん当時は52歳。

「2001年宇宙の旅」の原作者だそうです。

その時に、アポロ11号が月面着陸したことで、「50年後の世界はどうなっているんだろう。」と想像した内容で『アーサーC・クラーク2019年7月20日』(旺文社刊)を書いており、その50年後がちょうど今年2019年です。

 

当時、私は10歳でした。

なぜこれを取り上げたかというと、父から言われた言葉があったからです。

学校から帰るなり、父から「人類が月に行った。すごい時代が来るぞ!」

「お前が大人になるころには、ここらへんもすっかり変わって橋からの広い道路ができて駅までつながるぞ。

テレビもニュースだけとか、野球中継や映画だけのチャンネルができ、いつでも見られるようになる。

そして、大学病院まで地下鉄が伸びてくるからな。」

お前が大人になるころには、なんてことをいつも聞かされてきたからです。

 

父の言っていた時代を今生きています。

道路もでき、テレビチャンネルもそのようになりました。

ただ、地元にある藤田医科大学病院への地下鉄はまだまだのようですけどね。

父はそんな情報をどこから得ていたのでしょうか?

ほんと、あれから50年というのもあっという間でした。

 

1970年の大阪万博のアメリカ館で「月の石」が展示され、大人気となっていたことは覚えています。

大阪万博の時は中学生でしたが、どのパビリオンを見てきたのかは全然覚えていませんけどね。

 

これから来る未来は、ET革命によってどのように変わっていくのでしょうか?

もう私には見ることのできない時代を、今の若者たちは体験していくことになるのです。

2025年まで待ちきれない!大阪万博×AIで予想される未来とはを読んでいくと、時代が変わっていく様子をうかがうことができます。

過去も、未来も見られるネットは本当にすごいと思います。

60を過ぎたおばさんが、このようなことに興味があるのも父の影響かもしれませんね。

皆さんの思い出を紐解いてみてはいかがでしょうか。

 

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宮崎 青島での思い出はありますか?

2019-07-24 22:35:49 | 自分史活用

毎日夜が遅くて、ブログもサボり気味でしたね。

月曜は、宮崎市内へ2件の用事があっていってきました。

午前と夜の間の空き時間を持て余し、青島まで行ってきましたということで、宮崎の思い出はありますか?

 

青島は、5月にリレー・フォー・ライフのイベントで毎年行っているので青島は遠く感じません。

嬉しいことに、日向にいた生徒さんが青島の近くにスープ専門店を出しているので、寄るところもできて嬉しい。

あっさりとしたジャガイモのスープでサラダとでちょうどよく、サービスで頂いたのがジェラートのしょうゆ味。

これが絶妙に美味!!

同郷の名古屋人だし、生徒さんだったので気軽に話ができて楽しい時間でした。

 

お腹もいっぱいになったところで、いざ青島へ。

月曜だけど、お休みの人もいるし、日本語でない言葉も飛び交っていました。

ゲッターズ飯田さんが、青島はパワーがすごいといってました。

引いたおみくじは、久しぶりの大吉! やった~ 

夜の例会で、仕事が1件決まりそうです。

来月に、データを見せていただいて内容確認です。やった~

これもごご利益かな?

 

facebookに載せたら、皆さん若かりし頃に青島を訪れた時のことをコメントに書いてくださいました。

宮崎の方たちにはなじみのところですが、やはり忙しさとちょっとした遠さでなかなかいけないようです。

昔の宮崎は、新婚旅行のメッカだったということもあり、きっといろいろな思い出を持った方が全国にいらっしゃると思います。

ひそかに、思い出している方もいるかもしれませんね。

もう一度宮崎に来てみませんか?

それも自分史を書く楽しみになりますよ。

 

宮崎独特の鬼の洗濯岩 潮の香りがすごいですよ。

 

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11 「人生の時間旅行記」 学校 教室編

2019-07-20 22:53:21 | 自分史活用

今日は、教室の中の様子を思い出してみましょうか。

 

廊下、貼り紙、ドア、引き戸、教室の窓、窓から外を見た風景

教卓、教壇、黒板、教室の後ろの黒板、オルガン

木の机、スチール机、引き出し、落書き

石油ストーブ、だるまストーブ、石炭バケツ、スコップ、コークス、ブリキの煙突、スチーム

出欠調べ、学籍簿

「超自分史ガイドより」引用

 

何を思い浮かべることができましたか?

1・2年生までは、写真のように木の机といすだったように思います。(ACより)

後ろの壁には、夏休みの作品や絵が飾られるようになるとにぎやかになっていきました。

高学年になると、学級新聞を作っていたような気がします。

廊下の広い壁に張り出していたのですが、何を書いていたのかはあまり思い出せませんが、放課後に残って書いていたような気がします。

 

高学年になると、ちょっと高台の鉄筋の教室になると、外の景色もちょっと遠くまで見渡せるのですが、見渡す限り田んぼですわ。学校の校門前に農協があるだけ。

そこに出入りする車くらいかな・・・

あと、講堂も見えるので秋になるとイチョウの葉が、色づいていく様子と空を眺めていました。

冬には、各教室に1台の石油ストーブがありました。

南側の席の子は、日が当たればポカポカと暖かいのですが、北の廊下側は寒くて休憩時間になるとストーブの周りに集まっておしゃべりしてましたよね。

子どものころは、冬になると足も手も、しもやけになっていつもパンパンに膨らんでいました。

暖かくなるとかゆくてね。

今のようにホッカイロなんてなかったから、温まるものがなかったですもん。

それでも、学校を休んだ記憶は何日もありませんね。

学校に行くのが当たり前だったので、朝起きたら行くって感じでした。

当たり前すぎて、あまり記憶にないのかも・・・

 

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10 「人生の時間旅行記」 学校 校舎と教室編

2019-07-18 22:11:49 | 自分史活用

いよいよ、学校生活の思い出に入っていきます。

もうしっかりと記憶にとどめておけるほどの年齢にもなってきましたし、1日の大半を過ごしているので思い出もたくさんあるはずです。

そして、学校生活に関しては全国ほぼ同じような形態になっているので、皆さんに共通しているかと思います。

さあ、思い出を紐解いていきましょうか。

 

校舎と教室編

木造校舎・鉄筋校舎・プール

校門・裏門・上履き入れ・掲示板・渡り廊下・校門前の物売り

校長室・教頭室・職員室・他人の先生の机・宿直室・用務員室

時計・チャイム・ベル・ブザー・サイレン

校庭・運動場・朝礼・朝礼台・校歌・講堂・銅像・植木・花壇・桜の木・銀杏・鳥小屋・うさぎ小屋・池の鯉

階段・非常階段・屋上・便所・ダストシューター・焼却炉・構内探検・地下室・学校の七不思議など

「超自分史ガイド」より引用

 

アルバムを引っ張り出してみるのも楽しいかもしれませんよ。

小学校1年と2年の時は木造の建物で、入学式の写真に写っています。

入学式の父兄も全員母親で、着物姿です。

すぐ隣に給食室があり、お昼前にはいい匂いがしてました。

 

プールもすぐ脇にあり、プールの時間は各学年とても賑やかでした。

夏休みも、結構地区ごとにプールの時間が組まれていたので、ほぼ予定日には学校まで行っていましたね。

学校の図書館も開いていて貸し出しもしてもらえたので、夏休みには本もたくさん読みました。

親が送ってくれることもないので、友達同士テクテク歩きながらおしゃべりして、そんな平凡な毎日でも楽しかったですよ。

 

今は体育館と言いますが、昔は講堂と言っていましたよね。

1年生には、階段を上がったり下りたりと一番遠いところでした。

自衛隊の音楽隊がきて演奏してくれたり、生活発表会の前には、帰りの会の後に練習があったりして、劇をしたり歌を歌ったり衣装を作ったりしていたことを思い出します。

そして、高学年になると講堂の脇の掃除当番になると、イチョウの葉がいっぱいで銀杏も落ちていていたことを思い出します。

 

二宮金次郎の銅像もちょうど、朝礼台の後ろに立っていました。

今はもう古い校舎もなくなって、花壇の中に立っていた銅像もどこへ移動したのだろうか?

高学年になって入った鉄筋校舎は新しくてきれいでしたが、10年ほど前友達と小学校に行ったら、その校舎も古くなっていて補強されている姿を見たらわびしくなりました。

きっともう新しい校舎に建て替えられていると思うので、来年の同窓会に行った時には小学校に寄ってみたいと思います。

 

小学校の同窓会は、第1回が平成2年で、ほぼ5年ごとに第5回の平成26年の同窓会までを、幹事さんが送ってくれた写真をまとめて、同窓会アルバムをつくりました。

裏表紙には、私の小学校1年生の時の写真を入れてみました。

私は家を出るときに、自分の写真だけは持ち出したのでこうして作成することができましたが、多くの方は実家に置いてあることが多いと思います。

また、どこにあるのかわからないとか、災害や家の事情などでないという方もいらっしゃるかもしれません。

それでも、楽しかった思い出を書き出してみると、いろいろ思い起こされると思います。

ちょっとの時間、小学生に戻ってみましょうか?

 

    

 

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9 「人生の時間旅行記」 異常気象編

2019-07-17 22:45:30 | 自分史活用

まだ梅雨明けといかないお天気で、蒸し暑い日が続きますね。

最近の異常気象も気になるところですが、子どものころに経験したことはどんなことがありますか?

 

雨・大雨・傘・雨合羽・紙の傘・番傘・長靴・夕立・虹・台風・台風対策・洪水・浸水

台風通過後の風景・霧・濃霧

雷・稲妻・遠雷・落雷・停電

大雪・雪かき・スコップ・雪どけ・霜・霜柱・つらら・ひょう・あられ・氷など

「超」自分史ガイド」より引用

 

私の中の記憶はありませんが、2歳の時に伊勢湾台風がありました。

当時のことはあまり聞いてはいませんが、床下浸水になって大変な思いをしたので、その後、何でも器用にこなす父が石垣を作ったのですが、古い写真を見ると木が植わっているので、ここを綺麗にしたのがよくわかります。

甥の結婚を機に、家を新しくしだいぶ土を盛り高くしたのですが石垣は今も健在です。

 

あまり雪が降ることはありませんが、小学校5年か6年の時に雪が積もるほど降ったことがあり、先生の配慮で雪遊びをさせてくれたことがありました。

鎌倉を作る子、雪合戦をする子など運動場いっぱいに遊びまわったことがありました。

もう靴下も靴もぐちゃぐちゃで、当時は教室にストーブがあったので、そこで乾かしながらワイワイやっていたことを思い出します。

寒い時は、水たまりに氷が張っているのを割りながらの登校だったし、学校までは田んぼのあぜ道を通っていくのでまわりには風を遮るようなものは何もないので、北風に吹かれながらの通学路でした。

 

あまりお天気に関する思い出がないな~と思いながら、「霜」で思い出したのが、小学校の卒業記念に校長先生から頂いた色紙。

もう50年も前のものだから、すっかり黄ばんでいるのだけど、スキャンして小学校の同窓会アルバムにいれてみました。

霜の朝もありましたね。

霜柱がたつようなところはあまりなかったけど、寒い朝は畑や田んぼが霜で真っ白。

今では、ほとんど見ることもなくなりましたね。

 

それぞれの地域でいろいろと気象も違うので、それぞれの思い出を手繰り寄せてみてはどうでしょうか?

あまりいい記憶でなかったりすることもあるかもしれませんが、それも大切な記録となることだと思います。

最近の異常気象で、またどんな災害が起こるのかわかりませんが、災害に対する対策も忘れずに心がけたいものです。

 

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今日も無事終わったことに感謝!

2019-07-16 23:51:18 | 自分史活用

資料作りにお邪魔している社長さん宅。

自分ではいつも後期高齢者だといっていますが、まだまだ現役で事業のことを考え、あれこれとアイディアを実現中。

そんなバイタリティのある方ですが、交流関係も広い中、最近は自分より歳の下の方たちの訃報を聞くことが増えてきました。

 

がんだったり、今日は心筋梗塞で急死された方の話もありました。

ここ1か月でも、何人の方の訃報を聞いたことでしょう。

ニュースを見ればいろいろな事件や事故があり、突然人生が終わってしまうこともあり、本当に毎日無事で過ごせることをありがたく思います。

終わった後奥さんを交え昔話に花が咲き、あちこち出かけたことも、その先であったことも楽しい思い出があるということはいいことですね。

多くの経験をされているので、どんなことも笑い話になってしまうので、いつまでも話がつきません。

本当に、いつも良くしていただいていることに感謝です。

 

明日何があるかわからない日々の中、悔いのない一日を過ごしていきたいと思うようになりました。

今年も生涯学習のパソコン講座が始まるのですが、今回は情報セキュリティの講座を別に開設してもらい、デジタル遺品やデジタル遺産のことも内容に入れて資料作りをしています。

後に残された人たちが困らないように、そして死後の自分の尊厳も守られるような、今までにない時代の変化の中で、自分のまわりの情報を整理し、デジタル社会に対応できるようになっていただきたいと思っています。

資料をつくりながら、自分のこともまだまだ準備できていないなと反省中!

気力・体力・判断力・決断力があるうちにですね。

さあ、明日はどんなことがあるかな?

 

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8 「人生の時間旅行記」 家のお手伝い編

2019-07-15 21:56:05 | 自分史活用

まだまだ、梅雨空でパッとしませんね。

この3連休はいかがだったでしょうか?

何か、思い出のものでも引っ張り出してみましたか?

 

今日は、子どものころの家のお手伝いですが、皆さん思い出がいっぱいあるのではないでしょうか?

家の中の掃除・・ほうき、ぞうきん、はたき、障子貼り

家の外の掃除・・竹ぼうき、ちりとり、ごみ箱

買い物、兄弟の重り、肩車、おんぶ、乳母車、子守唄、肩たたき、小遣い

店の手伝い、農作業の手伝いなど

 

お手伝いの思い出は、たくさんありますよ。

濃尾平野のど真ん中だったので、田んぼも畑もあります。

子どものころは、田植えもしたし、稲刈りも手伝いましたよね。

親戚一同集まって、にぎやかでした。

田植えなどは、親戚の家の手伝いにも駆り出され、いとこたちと泥だらけになって一列に並んでしたこともありました。今のように、田植え機などありませんでしたからね。

足の指の間から泥が、ニュルッとでる感触ってわかるでしょうかね。

 

秋になると稲刈りです。やはり稲刈り機もないころですから、鎌で刈り取っていました。一番嫌なのは、運ぶのに背中に稲の屑が入ってかゆくなることでしたね。

今では脱穀まで機械でしてしまうのですが、当時は竿にかけて乾燥させていました。

本当においしいお米を食べていたんだなって思います。

今では農協が全部してくれて、保存までするので必要な時だけ取りに行くようです。

その田んぼも、新しい道路ができることでなくなるということで、時代が変わっていきます。

 

畑も近いところと、遠いところにもあったりして、リヤカーに乗せられてすいかや黄色いエリザベスメロンやキュウリ、トマトなど何でも作ってましたね。

今思えば、結構遠かったような気がしますが、よくそこまで歩いて行っていたなあと改めて思っています。

そこもトヨタの工場になってしまったようです。

 

小学生までは、近所のおばさんの子どもを、留守の間遊んであげたりしてましたね。

よくおばさんも、子どもの私に預けたものだと思います。

でも、当時はそれが当たり前だったのですよね。

前回帰った時にも、本当に何年振りかでおばさんに会うことができ、とても懐かしがってくれました。

 

お風呂も今のようにボタン一つでお湯が出るのではなかったので、薪で沸かしていましたのでその間の火の番をしながら、本を読んだり藁を編んだりということもしていました。もう、いつの時代かと言われそうですが、昭和の時代ですよ。

以前書いたように、人形のパーツを作っていたので高学年になると、夏休みには手伝っていたし今の子どもたちよりも、お手伝いはしていたといえますね。

その分、親と一緒にいることも多かったような気がします。

そんな懐かしいと思える思い出があることは幸せなんですよね。