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池田パソコン塾

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「ICT活用で豊かな生活のご提案」をさせていただきます。

7 「人生の時間旅行記」 服装編

2019-07-13 22:14:09 | 自分史活用

本当に毎日が、あっという間に過ぎていきます。

大丈夫か~ と自分に言い聞かせて・・・

 

さあ、今日は服装についてです。

どんな思い出がありますか?

学生服(つめえり、カラー、金ボタン)セラー服、半ズボン

オーバー、マント、コート、マフラー、セーター、手袋

絣の着物、綿入りの着物、あわせ、ちゃんちゃんこ

帽子、野球帽、麦わら帽子

鼻紙、ハンカチ、手ぬぐい、名札、バッチ、ズック、ゴム長靴、運動靴、バスケットシューズ、革靴

坊主がり、坊ちゃんがり、おさげ、おかっぱ、リボン

Tシャツ、トレーナー、ブルマー、寝間着、パジャマ

腕時計、デジタル時計、おふる、つぎ当てなど

 

初めての腕時計は?

高校生になった時に父が買ってくれたのだが、自分で選ばせてくれたので一緒に時計店に行ったけど、もうお店も覚えていないな。当時は思わなかったけど今持つと重くて、よくこんなのしていたなって思います。

今もちゃんとケースごと持っていますよ。やはり、捨てることもできない貴重なものです。

写真にとって、アルバムに載せておくつもりでいます。その作業もしなくっちゃ。

 

中学生の時は普通にセーラー服だったけど、いとこのお姉ちゃんのお古だったな~

当時は、男子は中学生になると丸坊主にならないといけなかったのよね。

それでも、卒業するころには長髪が認められるようになったので、卒業写真はみんな中途半端な髪の長さで写ってますね。

宮崎に来て、息子が中学になった時にやはり男子は坊主と言われて、いやいやいつの時代なのかと思ったほどでした。

女子も校則があって、髪の長さだったり、スカート丈だったり、叱られない程度にちゃんと守ってましたよ。

 

小学校の時は、修学旅行に新しい服を買ってもらったけど、当時は行商の人たちがいて置き薬だけではなく洋服なども巡回販売していたような気がします。

母とおじさんが、ああだこうだといいながら、たくさんのワンピースの中から私が選んだのは、紺と白のワンピースだった。

そして、卒業式にも着て何度も着ないうちに、どこにいっちゃったんだろうね。

今の時代のように、洋服が安い時代でもなかったし、すぐに買いに行ける環境でもなかったことを思い出しますが、マフラーや手袋の編み方を母に教わりながら、そのうち本を見てできるようになって、高校生くらいになると友達とおしゃべりしながらセーターなんかも作っていたね。

特に試験が近づくと、作りたくなるという逃避が始まるから困ったもんです。


リチウムイオン電池の発明者の「最先端技術講演会」 

2019-07-12 22:21:59 | 日記

今週は講演会2回目。

地元の異業種企業が集まっている「日向共栄会」主催の、旭化成の吉野彰名誉フェローの講演会でした。

パソコンやスマートフォン、電気自動車などの内部に組み込まれた「リチウムイオン電池」の発明者の一人。

充電することで何回でも繰り返して使える小型化・軽量の蓄電池は、今や社会の様々な分野で普及が進んだおかげで、私たちの生活はより豊かに、便利になってきています。

そんな研究の成果をテーマ「リチウムイオン電池の現在・過去・未来」と題し、開発当時からの様子、そしてこれから来るバズワークの時代の20年・30年後の未来を予測した動画を見てきました。

 

まさに、目覚ましい変化をしてきたこのIT革命の時代に、リチウムイオン電池がありました。

この20年よりも早く、次の新しい時代、ET革命の時代が来ます。

ネットで調べたら、ちょうど吉野彰さんのこともET革命のことも書かれているブログを見つけました。

パソコン塾を初めてから、ユビキタス時代だとか次世代のこともずいぶんネットで見てきましたが、いよいよそれが実現する時代へと突入する気配を感じます。

 

もう歳だから、わからないとはかいっていられませんね。

携帯が出始めた時も、「そんな難しいもの使わん」といいながらほとんどの人が携帯を持ち、スマホが出れば「難しすぎて使えん」とか言いながらも、60歳以上のスマホ保有率は50%を超えたとどこかで見ました。

これから先の生活も、人もどのように変わっていくのか新しい時代を見ておきたいものですね。

また、企業関係者や一般だけではなく、高校生の招待もありこれからの時代を担っていく若い人たちに、このメッセージはどのように伝わったのでしょうか。

新しい分野に挑戦する若者が、世の中を変えていってくれることでしょう。

 

ふと、動画を見てどこかでこのようなことを見たことがあると思ったら、子どものころに見ていたテレビマンガの鉄腕アトムや、スパージェッタ―、アメリカのドラマでも腕時計型の無線機で呼べば無人の車が迎えに来るという場面を思い出しました。

若い人には、何のこと?って、知らない人も多いと思いますがシニア世代にはわかるかな?

もう、50年以上前のことなんだけど、そんな未来が来ることなど想像もできず、ただマンガの世界なんだと思っていたけれど、想像することは創造することに繋がっていくんですね。

手塚治虫やこのような脚本を書いた人など、どこからヒントを得ていたのでしょうか不思議です。


「世界一明るい視覚障がい者」成澤俊輔さんの講演会へ

2019-07-10 21:37:22 | 自分史活用

昨夜は、グローバル・クリーンというお掃除会社の経営指針発表会。

会社の関係者企業や従業員が参加しての会を毎年開催してます。

私も、10年ほど前に宮崎同友会で知り合い、それ以降社長にパソコン指導をし、社員教育でパソコン講座を取り入れてくださったり、資料作りや家族アルバムなどの作成をさせていただいています。

 

社長の人脈はすごく、毎年講演会にはいろいろな著名な方をお招きするのですが、今年は「世界一明るい視覚障がい者」成澤俊輔さん

演題「時代は変わった! これまでの常識にとらわれず未来を作ろう!」

講演の中からたくさんの気づきをもらいました。

最後のまとめに

『人の悩みは ”答えのない苦しみに悩んでいる” 人は人とのかかわりを持っていれば生きて生きていける』

人と人をまとめるものではなく、まとまるものなんだと。

 

経営者の役割は、社員に夢を与えられて「大丈夫!」と言えること。

そして、リーダーの仕事は、やらないことを決める覚悟をもつこと。

『未来とは、修正できると思える過去である』など、力強い言葉の中に、宮崎のリーダーまた県外からも企業のリーダーが集まった会場には、また新たなイノベーションが起こることでしょう。

その先頭を走っているのが、グローバル・クリーンの社長です。

仕事はお掃除屋さんでも、障がい者の方に助けてもらった苦しい時代の恩送りとして、障がい者の人のために役立ちたいとの思いから様々な活動をしているこの会社は、「ギフトビジネス」だと成澤さんは言われました。

宮崎の田舎にいては、聞くことも会うこともできない人たちの講演を聞けることは幸せなことだと思います。

私もできることからしていこうと、気持ちも新たになりました。


6 「人生の時間旅行記」 駄菓子屋の思い出は?

2019-07-08 22:22:07 | 自分史活用

今日は、「超」自分史ガイドから、子どもの生活、その他の側面から”駄菓子屋”の思い出です。

店の名前・場所・様子・店の人

ブロマイド・風船ガム・ニッキ・ラムネ・ラムネ菓子・酢昆布・ハッカ・ひもつき飴 小遣い・買い食い禁止・ガチャガチャなど

どんなことを思い出しましたか?

写真はACから見つけたのですが、ほんと建物は板の壁で金属板の広告がいっぱい貼ってありましたよね。

ボンカレーの松山さんや、オロナミンCの昆ちゃんでしたっけ?眼鏡をかけたおじさんが、どこにでもありました。

 駄菓子屋さんのようなお店はありませんでしたが、近所に食料品・生活用品を売っている小さなお店が唯一の買い物をするところでした。

同級生のおばあちゃんがやっている、小さなお店でした。

私は小学生のころまで、近所に住む父方のおばあさんを連れて、近くのお店に連れて行くのが私の役割でした。

 白内障で、一人では出歩くことができなかったので、おばあさんから呼ばれるとおうちに行き、私の肩に手を置いてゆっくりと歩いてお店まで行くのです。

そうすると、お駄賃としてお菓子を買ってもらえるのが楽しみで、チョコレートや飴玉・笛吹きガムなどがあり、いつも選ぶのが楽しみ。

それと、ハムカツって知っていますか?

 少し分厚く切ったハムを、トンカツの代わりに衣をつけて揚げてあるのですが、これも結構おいしくて大好きでした。 買い食いとか食べ歩きは、学校を上げての禁止事項でしたね。

 

ガチャガチャなんて、当時はあったっけ?

まだ息子の時代くらいからしか、出ていないような気がするのですがどうなんでしょうかね。

今でも駄菓子屋さんがありますよね。 子どもにとっては、10円玉握っていける、とても楽しみなところです。

遠足のおやつも50円までとか言われて、何を持っていこうか随分と悩んで決めていたような気がします。

こうして、懐かしく当時を思い出すことができることが、幸せなんですよね。 いつ、お店がなくなったのか覚えていないけど、あったことは確かです。

それぞれの記憶の中にある、思い出を書き出してみませんか?

 

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健康検定受けてきました

2019-07-07 22:42:29 | 日記

日本健康マイスター検定」 いわゆる健康検定を受けてきました。

全国的に受験者は増えているようで、企業での受験者も多いのだそうです。

さすがに昨日は、ブログを休みして勉強しました。

試験だからやらないわけにはいかない。

けっこう広範囲で、覚えることが多いのだけど頭に入らない。

結果は8月中旬頃。

忘れたころにやってくるというやつですね。

 

まあ、勉強しながら健康でいることのむずかしさを感じました。

二人に一人が、がんになる時代となり、予防策を取っていかないと大変である。

私も、10年前に手術をしてがん経験者ではあるが、早期発見で摘出だけで済んだことは本当に幸いだった。

なぜ、がんになったかの原因もよくわかっている。

これからは、加齢とともに認知症や心臓疾患、骨折などもっと用心しなければならいこともわかったことは、勉強してよかったと思う。

私の場合は、運動不足が絶対的に改善しなければならないところ。

健康寿命を少しでも長くするためにも、できることから実行しなくては。

ますは+10からはじめよう。

さあ、受験勉強は終わり。

 

人生を楽しむためにも、健康でなくっちゃね。

入院して思ったのは、生きている貴重な時間をつらい治療や痛みに耐えながらも嫌だし、通院や入院にも使いたくないな・・・

そして、人の悪口を言っていたり、事故や事件を起こして心穏やかに過ごせないのも嫌だな・・・

長い時間生きてくれば、困難はたくさんあるけれど、後で楽しい思い出に変わるようなそんな生き方をしていきたいな。

避けられないものもたくさんあるけれど、避けられることもたくさんある。

すべては自分次第!

今日も健康的な生き方をしていきましょう。

 

 

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5 「人生の時間旅行記」 子どものころの食べ物

2019-07-04 22:42:28 | 自分史活用

梅雨まっただ中で、避難勧告も出ているところがありますが、皆様のところは大丈夫でしょうか?

 

今日は、時代とともに変わっていった食べ物ものです。 子どものころのおやつとか、好きだったものだとか覚えていますか?

くだもの スイカ・ウリ・ザクロ・イチジク・ミカン・サクランボ・ビワ・アケビ・金柑・バナナ

夏の食べ物 アイスキャンディー・アイスも中・アイスヨーヨー・かき氷・氷あずき

甘い食べ物 金平糖・甘納豆・干し柿・葛湯・葛きり・甘酒・汁粉・ぜんざい・白玉小豆・大福 ミルクセーキ・みつまめ・団子・焼き芋・人形焼・今川焼・水あめ 金太郎あめ・べっこうあめ・古谷のキャラメル・おこし・乾燥芋

パン コッペパン・アンパン・メロンパン・甘食・うぐいすパン・乾パン

今は見かけない食べ物 すいとん・麦入りごはん・乾燥卵・カルメラ焼き・乾燥ミルク

その他の食べ物 するめ、いり豆・落花生・寒天・ところてん・とろろ昆布・ゆでた里芋・おでん・たこ焼き・梅仁丹 おにぎり・おこげ・もち・果物の缶詰類 焼きそば・ラーメン・カップヌードル・チキンラーメン

 

どれも食べたことがあるものばかりですよね。 どんな思い出がありますか?

私は小学生の低学年のころの「果物の缶詰」の思い出。 父が胃の手術をして入院をしていたころ、お見舞いに果物の缶詰をたくさんもらっていたので、甘くておいしくてよくねだってあけてもらったことがありました。

畑もあったので、スイカや黄色いエリザベスメロン・トマトは、夏のおやつの定番でしたね。 縁側にも、順番待ちのスイカがゴロゴロしてました。 水の湧き出る地域だったので、まだ市営の水道がないころは水は使い放題で、各家庭に地下水が引かれていたので、水をためるところにいつもプカプカ浮いていて、冷えてきたころにおやつとなりました。その頃のトマトも今より断然おいしかった!

 

母は、朝ご飯の支度前に畑に行って、草取りや種まきなどをしていて、今思えば本当によく動いていたと思います。93歳になった今でも元気でいるのは、自家製野菜を食べてきたからだと思いますね。

お菓子類では、まずは伊勢の赤福餅は、近所の誰かがお土産に持ってきていつも箱があったし、父は甘党で、甘納豆はいつも置いてあったけ。 冬のみかんは、箱買い。三ヶ日ミカンは甘くておいしいので定番。 ひと冬に何箱食べていたんだろうか? 今では、買ってくることもないので、たまにもらったときくらいしか食べていないな~

おこげも大好きだった。 ガス釜になったのはいつからだろう。その前はお釜でご飯を炊いていたので、底にできたおこげでおにぎりを作ってもらうのが好きだったな。 年末には、必ず臼と杵でお餅もついていたし、できたてのおもちに黄粉つけて食べるのもおいしかった。

 

名古屋名物の一つに、あんまきがありますね。 大判焼きでも、たい焼きでもなくて、どら焼きの皮を大きく伸ばして、あんこが巻いてあるの。 あれも懐かしい~

食べ物屋さんはなかったので、お店で何かを食べたという思いではありませんが、自家製のお米と野菜たちで育った田舎の子です。 おそれぞれの地方での名物があって、きっと珍しいものがいっぱい出てくるのでしょうね。

食べ物の話は尽きませんね。 みんな、それぞれ懐かしい思い出が沢山あると思います。 もう、あの頃には戻れないけれど、特別なことでもないけれど思い出があるだけでもしあわせですね。


毎月学びの時間 「ちとえ藤堂塾」より古典についての学びから

2019-07-02 23:02:31 | 日記

毎月月末の木曜日は、志賀県からいらしてくださる藤堂昌恒先生の講座を聞きに行きます。

 「覚悟力」の本を出されています。

今は、第3期「自分塾を持って強く生きる」

今日は、第4回「古典に学ぶ」

 

今回は、古典を学ぶ意味を知ることができました。

古典と言えば、令和は万葉集から出展されたのは皆さんもご存じのこと。

発表と同時に、万葉集の本が売れたのだそうですね。

 

「古典」とは、歴史の中で「ふるい」にかけられて生き残ったものである。

その時代、その時の人たちがいいと思わないと、次の世代に残っていかないものだから、万葉集が今の時代でも通用するのは、ずっと長い歴史の中で受け継がれてきたもであり、これから先の時代にも残していかなければいけない、大切なことが書かれているということになりますね。

今出回っている書籍も、古典となるには今の時代もさることながら、これから先の人たちが素晴らしいものだと認められていかなければ残らないということにもなります。

 

先生の資料の中で、「未来に残したいものとは、子孫の幸福を願う先祖の愛と知慧でもある。」

この言葉に惹かれました。

まさに、私がしたいのは個人や家族の記録を次の世代に残しておきたいとの思いからです。

そこには、家族のつながりだったり、時代の変化の中で起きたことは、子どもや孫そして会うことのない未来の子孫へのメッセージにもなると思うのです。いつの時代でも幸せであってほしいですよね。

今日も久しぶりに声をかけてくださった生徒さんと話をしていて、ご両親の古い写真が残っているそうです。

そして、お父さんと孫にあたる姪とのたくさんの手紙も、捨てるには忍びないほどの内容だそうです。

 

次に引き継ぐ家族がいなければ、その方に何かあればすべてゴミとなってしまうのことは間違いありません。

せめて、次の世代に渡しても貴重な資料として、いつまでも手元に置いてもらえるような形で残されるのが一番だと思います。

忙しいを言い出したらきりがないのですが、やはり気力・体力・判断力のあるうちですね。

 

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4 「人生の時間旅行記」 子どもたちのまわりの虫や花

2019-07-01 21:57:02 | 自分史活用

梅雨まっただ中で、避難勧告が出ている地域もあるようですが、皆さん大丈夫でしょうか?

 

『超』自分史ガイドより 今日は花や虫をテーマです。

今の子どもたちよりは、ずっと自然の中で遊んでいたあの頃。 海も山も川も小川も、全部が遊び場だったし、虫やハナも遊びの一部でもあった。 どんな思い出がありますか?

昆虫

てんとう虫・くつわ虫・蛍・こおろぎ・鈴虫・カブトムシ・クワガタ

オニヤンマ・ギンヤンマ・赤とんぼ・モンシロチョウ・アゲハチョウ・蛾・青虫・芋虫

ミンミンゼミ・アブラゼミ・ひぐらし・クモ・蜘蛛の巣・アリ・アリの巣・おけら 虫鳥もち・虫かご・とんぼつり・虫かごなど

水中動物 えびがに・ざりがに・めだか・みずすまし・げんごろう・ぼうふら

 おたまじゃくし・かえる・かに・かめ・やどかり・たにし・どじょう・うなぎ・ふな・こいなど

その他の虫や動物 かたつむり・みみず・なめくじ・蛇・とかげ・げじげじ・だんごむし・ スズメ・燕・トンビ・鳩・カラス・コウモリ・フクロウ・渡り鳥・あひる・がちょう うさぎ・馬・ヒツジ・牛・豚・ネズミ・モグラなど

春の植物

 土筆・タンポポ・菜の花・スミレ・クローバー・蓮華・セリ・ぺんぺん草・ナズナ・ふきのとう チューリップ・菖蒲・あやめなど

夏・秋の植物

朝顔・ひまわり・へちま・コスモス・ダリア・オシロイバナ・猫じゃらし・むかご セイタカアワダチソウ・すすき・けいとう・曼珠沙華・金木犀・百日紅 松ぼっくり・どんぐり・カキ・ぎんなん・ぐみ・あけびなど

 

私は、濃尾平野のど真ん中で育ったので、周りは田んぼだらけ。

学校に行くにも、田んぼのあぜ道が通学路でもあった。

 どじょうも、ふなも、めだかも普通に用水路で泳いでいたような気がする。

清水がわき出ていたところでは、みずすましがスイスイ水の上をすべっていたっけ。

 

小学校1年生は、朝顔の観察日記があって、夏休みには鉢を持って帰えるのは、今でも同じなんでしょうかね。

ひまわりも、今のように種類はなく背丈ほどに大きく伸びたひまわりだったような気がする。

保育園のころは、園庭にダンゴ虫がいっぱいいてみんなで丸めっこしたこともあったっけ。

春のつくしはよく土手に摘みに行ったし、はかまを取って卵とじにしてもらったな。

沼にはザリガニがいっぱいいたけど、今はいないよね。

オタマジャクシも、かえるもいつもいるのが当たり前だったけど、今では春先に遠くにかえるの声を聞くぐらいになりました。

男の子の方が、この点はもっといろいろな昆虫や魚と遊んでいたと思います。 思い出は尽きませんね。

さあ、梅雨が明けたら太陽ギラギラの夏が来ます。

今年も暑いんだろうな~